「考えさせることを考える」AI研究とSFの近くて遠い関係――大澤博隆監修・編『AIを生んだ100のSF』(ハヤカワ新書)
本書は、「人工知能とSFに関する相互の関係を調べるプロジェクト「想像力のアップデート:人工知能のデザインフィクション」として始まった、「様々な研究者インタビューを元にして作成したもの」である(まえがき)。人工知能(AI)とSFと聞くと、「子供のころに好きだったSFに影響をうけて、AI研究に進んだ」といった「ありがちな話」を連想するかもしれないが、これは本当なのだろうか? SFに少し触れたことがある人ならば、SFが「バラ色の未来」(ポジティブな未来世界)ばかりを描いているわけではないことは知っているだろう。SFに登場するAIは、いつもとはいわないが、けっこうな頻度で人類に反旗を翻す。いったい、SFはAIの開発・研究に関係があるのだろうか? あるとしたら、どのような関係があるのだろうか? ということを第一線で活躍する研究者。開発者11人に、プロジェクトチームがインタビューしている。
インタビューされる研究者たちは、自分の研究内容から始まり、研究するようになったきっかけ、SFとの関係、オススメのSF作品、広くSFや想像力・フィクションが社会で果たす役割について、饒舌に語ってくれる。「SFなんて全く知らない」という人はいないのだが、彼ら彼女らがハマってきたSF、オススメするSFは、「やっぱり」と思うものから「へぇ~」と意外に思うものまで、幅広い。そもそもSFが想定外の世界を想像=創造するジャンルであるから、SF作品が私たちに見せてくれるビジョンの射程を、狭く・限定的にとらえてしまうのは、SFの力を見くびっているともいえる。監修者の大澤博隆も言うように、「ポジティブとかネガティブとか、そうした言葉で割り切れないような作品も多く存在する。というより、そうした人間らしい価値観の土台をひっくり返すような清々しさが、SFの醍醐味の一つでもある」。
さらに大澤氏の言葉を引くと、「人工知能という分野は、いわば「考えさせることを考える」分野」なのだ。「考える」ことを設計(エンジニアリング)する、ともいえる。人間が進化論的に獲得したであろう知能の働きを、人工的に設計する研究領域。「設計」というと、レゴブロックのように最小単位となるパーツを組み立てて、何もないところから知能を生み出すように思えるかもしれない。そういう設計方法もあるとは思うが、必ずしもそれだけではなく、もっと状況的・文脈依存的、ある意味で身体的な知能の設計があるのだと思う。デジタルデータで表現されないところに人間的な隙間が生じるのだと私は信じているのだが、だからといって知能がコンピューターで設計できないわけではないだろう。SFが時におこなう知能のメタ認知(知能とはなにか? 脱身体・脱人間・脱地球的な想像力)は、メタな水準でAIと関連しあっているとも指摘されているが、その通りなのだろう。
松原仁は「AI研究がフィクションに追いつかれている、われわれの発想力が小説の世界に負けているぞ」と言っている。基本的に、フィクションの想像力は現実の先に行くが、それでもAI研究においては、フィクション・想像のはるか先をAI研究は想像していた(「ぶっ飛んだ考えを持って」いた)と松原は続ける。しかし、いまや現実は着々とSFを社会に実装しつつあり、SFの想像力も現実に遅れてしまっているのではないか、と私は危惧している。だからこそAI研究もSFも、現実の遥か先まで「ぶっ飛んだ」ビジョンを示せないものかと、願うのだ。