個人の利益はすなわち国家の利益ーーユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』(河出書房新社)
メトーデとは「方法」のこと(英語のmethod)。国民の幸福が国家の幸福と一致し、いっさいのズレを許容できない健康監視国家・メトーデ。国民は、消費エネルギーから食べ物まで管理され、検体を提出することで、身体の健康状態は常時監視(=報告)される。人は自分の健康を保つ義務があり、親であれば自分に加えて子供を健康に保つ義務もある。もしこの義務を怠るようであれば、国家から裁判所を通じて警告が出され、それでも従わない場合は刑罰がまっている。自らを「手段」と規定しておきながら(ゆえに?)、気がつけば自らが「目的」にすり替わっている。(よくあることかも)
生物学者ミーアは、弟は弟モーリッツを亡くしている。モーリッツは「強姦殺人」の罪で有罪になり、収監された先で自死してしまう。彼女は心身のバランスを崩し、裁判所から警告がでるが、改善できない。やがて裁判にかけられるが、弟の事件を問い直すことで、彼女自身が反メトーデ(反体制)とみなされていく。弟は、罪を最後まで認めなかった。個人の幸福と国家の幸福が一致するメトーデにおいて、「罪の否認」は存在してはならないにも関わらず。
訳者が解説しているのだが、コロナ以前の二〇〇九年に書かれた本書は、「魔女狩り」を意識している。作中には「魔女」や「魔女狩り」への言及もあるし、ミーアを追い詰めるクラーマーという男は、実在した異端審問官の名前に由来しているようなのだ。健康監視国家といえば、伊藤計劃『ハーモニー』の生府(ヴァイガメント)を連想するが、ヴァイガメントは日本的な同調圧力(=空気)のメタファーであった。『ハーモニー』は日本的なディストピアとも思えたが、こうしてドイツの作品や、それを経由して魔女狩りという歴史にまで遡及すると、異質なものを排除する同調圧力の問題は、もっとずっと普遍的なテーマであると気がつく。
メトーデは健康を至上の価値とする国家なので、人は死んではいけない。死刑も極力、避けたい。しかし、反メトーデは確実に摘み取らなければならない。としたときに体制が出した答えとは。オーウェル『一九八四年』と対照的でもある。