スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気』(中山徹・鈴木英明訳、青土社、2018年)

読書メモ。読んだのは主に3章、5章、6章。

  • 性的同意の(フロイトーラカン的)不可能性。セックスはセックス以外のことも指している。性関係は存在しない(フロイト)。性行為はこれを補完する幻想が必要。人と人とのあらゆる関係が性化される。

  • 流動的主体。「今日、支配的な主体性の形式は、父性的な〈オイディプスの法〉に従うことによて(道徳的)自由が保証される自律的主体ではもはやなく、みずからを絶えず革新し作り直す流動的主体、異なるアイデンティティを組み合わせて自分のアイデンティティとする実験を楽しむ流動的主体なのだ」(313−314)

  • 脱政治化とは、個人の好みという特異性の領域においやること。「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムのスローガンを転倒させる。なぜなら非政治的とされたものがもっとも政治的になりえるから。

  • ポストジェンダー。「ジェンダーを自発的に破棄することを説く人々が支持する社会的、政治的、文化的運動がめざす社会が、近年のバイオテクノロジーと生殖技術の進歩によって実現されたような社会のことである。(中略)固定したジェンダー役割が社会、感情、認識にもたらすものは人間の完全な解放を阻む障害である、という考え方だ」(336)セクシュアリティの解放は、セクシュアリティからの解放を導く。しかし、現実的(リアル)なものとして、カテゴリー化に抗う不可能なものとして、性的差異が執拗に存在し続けている。男/女/その他X、他の性にないものを喪失する(対象a)。「ここでいう現実的なものとは言説による変容に限界を設けるとされる生物学的な現実ではなく、性的敵対という現実である」(358)「第三の要素は差異そのものを表している。というのも、「純粋な」差異/敵対は差異化される項に先立って存在するからだ」(352)

  • 「普遍的解放をめざす共産主義者の闘争とは、個別的なアイデンティティそれぞれの中に割り込み、その内部からアイデンティティを分割するという闘いである」(367)

  • トランプかヒラリーか(2016年のアメリカ大統領選)という状況は問題である。ヒラリーとサンダースのあいだにある政治的断絶がうやむやにされる。トランプも良くないがヒラリーも良くない(ジジェクは、ヒラリーも批判するのでトランプ支持と思われて批判された節がある)。

  • ヘーゲルの人倫、すなわち「道徳的慣習」。外的な法的義務と、内的な道徳意識のあいだにある。イデオロギー領域。日本風にいえば空気(の支配)。政治的公正さ(ポリティカルコレクトネス)の介入は、道徳的慣習の「補強」になりえない。なすことを期待されているが、義務ではない、曖昧模糊とした領域。政治的公正さが、「拷問」を「高度な尋問技術」と言い換える時。

  • 「解放を旨とする政治は、信任を得るための形式的な民主主義の手続きによって無条件に縛られるべきではない。民衆は多くの場合自分が何を欲しているのかわかっていない。あるいは、自分が知っていることを欲しない。あるいは単純に、民衆は誤ったことを欲してしまう」(405)

  • グローバルな資本主義とローカルな伝統の共犯関係。抑圧と反発ではなく。「我々は自分の生活の消費者となる」(マーク・スルカ)。トマ・ピケティは資本主義と民主主義で再分配をするというが、未達成のグローバル民主主義がユートピア的に前提とされる。民主主義は、外部を必要とする。民主主義が機能するためのチェック機能(国連が担うと期待されるが、現状では、ロシアやイスラエルに対して外部機能を果たしているとは言えそうにない。)「フェティッシュ」としての民主主義。民主主義の貫徹では現状を改革できない。社会関係の領域におけるラディカルな変革は法的権利の外側でなされる必要がある。

  • グローバル資本主義による〈一般的知性〉(社会が有する集合的知性)の私有化。労働力の搾取の利潤(レント)。知的労働者は生産物から疎外されている。

  • 民主主義が単なる世論調査になったら民主主義は機能しなくなる。投票は儀式。民主主義の潜在的な力(権力が誰のものにもならない瞬間が発生)。

私のジジェク理解。

  • 普遍は到達するものではない。すでにある。敵対関係の中に。敵対関係を外部の調停者が調停しても、普遍にはたどりつかない。性的差異も、グローバルvsローカルも、Aとnot Aと、いずれにも含まれない対象aと。グローバルを批判するためにローカルを持ち出さない。ローカルも政治化されているし、暴力的な伝統もある。グローバルとローカルの敵対関係そのものをひきずりだす。トランプvsヒラリーではなく、サンダース。トランプが大統領になったんは「チャンス」とジジェクはいうが、トランプを評価してそう言っている訳ではなく、リベラル左派が自分達の戦略を見直す機会になるから「チャンス」といっている。2024年の選挙ではトランプvsハリスだったのだが…。ハリスはヒラリーと異なるのだろうか?(2024年の大統領選についてジジェクはなんと言っているのだろうか。未チェック)

  • Aを指すのに「not Aではない」と言う。「not Aではない」は(二重に否定しているが)Aではない。しかしAを指す。

  • ポリティカルコレクトネスやアイデンティティポリティクスへの批判。ただし、ジジェクが真に求めるもの(敵対関係のうちにある普遍性)が、何なのかは具体的にわからない…。

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