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22歳大学生、なんで人々は「映え」を求めるの?の話
世の中はまだまだ不思議なことが多い。
実家に帰省して、久しぶりにテレビのニュースを見ていると「なんで?」と思うことがたくさんある。
そうして「なんで?」を調べて、まとめる。小学生の夏休みの宿題で取り組んだ自由研究だと思って読んでほしい。シリーズ化するかもしれないし、単発で終わるかもしれない。この記事へのリアクションと私次第。
Q.なんで人々は「映え」を求めるの?
朝のニュースを見ていて、最近流行っているものや今年流行りそうなものが紹介されていた。その多くはやはり若者が起点となっていて、「映える」グルメやスポットばかりであった。
ここで気になった。私たちはなぜ「映え」を求めるのか?他人事ではない、私もついついきれいな写真を撮ることに時間を費やしてしまう。だからこそ、なぜ「映え」を求めるのか気になる。
まず思い浮かぶのはSNSの普及だ。SNSは他者からの反応を数値として可視化できる場だ。投稿に対する「いいね」やコメントは、自分が認められているという感覚を与えてくれる。
そのため、人々はより多くの反応を得られるような投稿を目指す傾向がある。特に「映え」のある写真や動画は目を引きやすく、多くの共感や注目を集める可能性が高い。これにより、さらなる「映え」を追求する動機が生まれる。
一言でまとめると承認欲求になるのだろうが、なぜ現代人は承認欲求を求めるのか?
承認欲求は、人間の基本的な心理的欲求であり、マズローの欲求階層説においても重要な位置を占めている。しかし、現代社会では特にこの欲求がかなり強調される。それはなぜだろうか。
現代社会では、個人の価値や成功が重視される傾向が強まっている。ここ数年でユーチューバーやティックトッカー、インスタグラマーという言葉が当たり前になったことを筆頭に、インフルエンサーや芸能人など、表舞台でキラキラしている人が増えた。個人主義が台頭したとでも言おうか。
その結果、他者からの承認を得ることで自分の存在意義や価値を確認しようとする人が増えている。
社会的孤立の増加も一因にあるだろう。デジタル化が進む中で、リアルな人間関係が希薄化し、孤立感を抱える人が増えている。この孤独感を埋める手段として、SNSを通じた他者とのつながりが求められている。会社員はリモートワークからオフィスに戻った。それでもこの社会的孤立はますます深刻になった。
ここ最近は孤立というよりも分断か。”○○が好きな人”と”アンチ○○”、”○○に興味すらない人”のような明確なカテゴライズ。近年の考察ブームもこれに拍車をかけているように感じる。「これは○○ってことだ!」「いや、~~だろう」「なんで考察なんかしてるんだよ、素直に楽しめばいいのに」、ドラマや恋愛リアリティーショーなどで幾度となくこうしたやり取りを見たのではないだろうか?
価値観が多様化して分断したから当然1つ1つのグループに所属する人数は減った。だから孤立が起こりやすくなった。なるほどそういうことか。
これは今の日本の政局でも表れているか。私が物心ついたころは自民党vs民主党だったが、気づいたら民主党は立憲民主党と国民民主党に分かれ、自民党は公明党と協力しているではないか。日本維新の会なども台頭しているし、その他に少規模な政党も多数。そうか、徐々に腹落ちしてきたぞ。
そしてこうした小さなコミュニティが消えてなくならないのは即時的な満足感を得られるようになったからではないか。 SNSの「いいね」やコメントは、短時間で手軽に達成感を得られる仕組み、承認欲求が満たされる環境が整っている。
きた、これだ。
承認欲求を求める背景にあるのは価値観の多様化による分断・孤立と小さなコミュニティの存続のため。
問いに戻ろう。なぜ「映え」を求めるかだった。
これを答えるにはまだ深掘りが足りない気がする。
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マズローの欲求階層説に戻る。承認欲求よりもさらに高度な欲求として自己実現欲求があるではないか。ここを突き止めると答えられそうだ。
SNSはその自己表現の場として機能し、「映え」の追求は自己実現の追求とも言い換えられる。最高の写真にするべく撮影や加工に多くのエネルギーを費やして投稿して、自分とは何かをアピールし、自己肯定感を高める手段となっている。
また、現代社会における情報過多の時代では、人々は日々大量の情報にさらされ、その中で自分の存在を際立たせる必要性を感じている。
日本の教育は良くも悪くもみんな同じ。ルールを守ることが良しとされ、組織に忠誠を誓うことが素晴らしいとされてきた。(それが日本人の組織的な人格を形成し、個性になっている。悪いとは思わないし、言っていない)
ただ、海外のコンテンツに手軽に触れることができるようになってから同時に価値観やマインドセットも少し入ってきたのではないか。
あなたは何者なの?何ができるの?何が強みなの?という個性を求める海外の価値観に触れたことで、自分が何たるかを証明したい欲求に駆り立てられているのではないか。
*今までの日本人になかったみたいな書き方をしてしまったが、人間が本来持っているものだから駆り立てられたという表現は強調したい。
視覚的に魅力的な「映え」コンテンツは、情報の中で目立ちやすく、他者の目を引くための有効な手段となる。このため、自然と「映え」を意識した投稿が増加しているのではないか。
文化的な側面もあるかもしれない。日本の「美」の感覚だ。
私たち特有の美意識や美的感覚が深く根付いており、伝統的な美学と現代のデジタル文化の融合で一気にそれが広がった形だ。
「映え」はその延長線上にあり、美しいものを追求する文化的な価値観がSNS上で新たな形で表現されている。特に若者にとって、「映え」は自己表現の重要な手段であり、個性やセンスをアピールする一つの方法となっている。
どんな画角で写真を撮るか、どんな編集をするか、どんなメッセージを添えるか、所作の1つ1つに私たちの個性やセンスがにじみ出る。これがかっこいい、かわいい、映えると信じる感覚こそ、私たちに根付いた「美」の意識。
こうした意識を「映え」という言葉が内包している!どうだ!それっぽい!
最後に質問に答えて締めよう。
Q.なんで人々は「映え」を求めるの?
A.自己表現と承認の欲求を満たすため
では。