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【note始めて3ヶ月】短文を書く難しさを日々思う

( 挨拶抜きでいきなり始めますが、お許しください。)

noteという投稿コミュニティーに参加する前のわたしは、書きたいものを思うままに書き綴っていただけでした。
それはそれで、子供の頃からの楽しみでしたから、個人的な趣味として悪くはありませんでした。たまに読んでくれる人がいたりすると、それなりに嬉しく思ったものです。

noteに投稿してみようと決心した時。
わたしは大層なことは考えませんでしたが、ひとつだけ、「ひと様が読んでくれるかも知れないのだから、きちんとした文章を心がけて失礼の無いようにしなきゃいけないな」と自分を戒めました。(まあ、誤字脱字とかね)
それなりに緊張していたのだと思います。(笑)

なにしろ、インスタもエックスもYouTubeも、知人や有名人のアカウントをフォローして、見る読む専門でいいねをつけるだけ。
自分の情報を発信したことなどありませんでしたからね。


noteで文章を初めて書いたとき、下書き画面の右上に文字数が表示されていることに気付きました。
これまでは、文字数など意識せず自由にいくらでも書いていましたから、そんな調子で書き綴っていたら、あっという間に4000文字を越えちゃいました。
‥‥今のわたしならば、その時点で文章の構成を改めるなり、不要な述懐を削除するなりの作業を施すと思います‥‥

しかし愚かにもその時わたしは、
「へぇ、わたしってすごいじゃん!ちょっとした短編小説くらいなら、簡単に書けちゃうわ。」と喜んだのです。(爆笑)

お店に品物が並んでなければ、お客さんは冷やかしてもくれません。
とりあえず5作は書いて並べようと考えました。
同時に、他のかた達はどんなものを書いておられるのかな、と興味津々でnoteの海を漂いました。

そこに、おもしろい、たのしい、すばらしい、とうとい、数々の投稿が溢れていたことは言うまでもありません。
とりわけ衝撃だったのは、多くのかたが1000~2000文字程度の短い文章の中に、情報や心の想いをしっかり盛り込んで、まとめ上げておられたということでした。
一方で、優れた長文の書き手も数々おられて人気を誇っていることも知りましたが、わたしにはとても真似できません。

ヤッバーーー!汗

これに気付いてからは、投稿作品を書くにあたっては、よもや思いのままになどとは言っていられません。削って削って削りまくりです。引き算の美学を追及しなければなりませんが、言うほど簡単な事ではありません。

そこでヒラメキました。
いくつかのエピソードが含まれるお話は、分割して複数の投稿に分けてしまおう!!
‥‥という、こすっからい手法にて『今昔の天気予報』のお話や『猫を愛する人に捧げる』お話は、2~3作品に分割してまとめ上げて投稿しました。
それにも関わらず、5000~6000字越えの作品がゴロゴロあったことはもう、ひんしゅくモノだと反省しつつ筆力の不足を悔やむところです。
読んでくださった方々には、足を向けて寝れません。(立って寝るのか?)

賢明なnoterのかたは、作品が長文の時には冒頭で「◯◯文字以上になりますから多忙なかたは△△の部分だけでもお読みください」と案内したり、「今回は文字数〇〇、写真◇◇枚です」と解説を入れたりなさっています。
他のnoterさんをお手本にしながら、読み手のかたが心地よく感じるnoteを書いて行きたいと、あらためて認識したものです。

一方で短文を追求しようとも考え、自分なりのカテゴリーとして「日々記」というサブタイトルを、最近設けました。
こちらのサブタイトルがついている記事は2000文字ほどに仕上げるつもりで書いておりますので、安心して気軽に読んでいただけるという目印になっています。

長文が悪で短文が善のようなことを書いてしまいましたが、決してそんなふうには思っていません。むしろ、わたしは長文を読むのが好きです。

けれども、当面のわたしの課題はやはり短文を書けるようになることです。
その思いをご理解いただくために、2人のかたの短いエピソードを書かせてください。(また始まっちゃったよ~~)

1人目は、世界的に有名なカナダ人作家のアリス・マンローさんです。
残念なことについ先月92歳で亡くなられニュースにもなりましたが、彼女は短編小説の巨匠と呼ばれるほどの短編の名手でした。
簡潔な文章がその魅力のひとつでしたが、彼女は毎日朝から必死に書いて、書くと削りに削るんだそうです。
ノーベル文学賞まで受賞した物書きの極みは、「芸」とも「職人技」とも讃えられました。
ああ、そんなふうに短文を書いてみたい! と憧れずにはいられません。

2人目は、大分県にお住いの菅美知子さんのお兄さんです。
新聞投稿によるお話ではありますが、彼女のお兄さんは吃音症で、初めの一音を発するのに時間を要したそうです。発しようとする気持ちがうまく脳に伝わると、やっと言葉になって出て来るのだということです。
そのお兄さんの話は、短いものだけれども心に響いて、まるで短歌のようだったと彼女は綴っていました。
ああ、こんなふうに心を伝えたい! 沈黙は金、饒舌は銀、ならばお兄さんの言葉はプラチナのようだと、眩しくてなりません。

言葉は心を届けるための器のようなものではないでしょうか。
それが大きくても小さくても、こぼさずちゃんと届けられるようにしたいです。

どうぞこれからも、仲良くしてくださいね!

これくらいでいいですか


                    note始めて3か月の日に



( 挨拶抜きでいきなり終わりますが、お許しください。)

photo by 阿部朱梨さん

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