【本音の話】SNSオンチのわたしがnoteをやって‥‥
【内容量:5分、品質:アポロチョコ級、添加物:ナシ 文章だけ】
こんにちは。
駄菓子屋の日々樹です!
今日は、SNS上のお友だちについて、書いてみたいと思います。
よろしかったら読んでください。
ちかごろ、ツラツラ思うところがある。
つい今年の春頃までは、いわゆる「SNSオンチ」だった私だ。
(今もそうかも知れないけど)
どんだけ「SNSオンチ」だったかというと、まずアカウントの状況がこれだけ。
・Facebook(2015~)一時は投稿したが、今はすっかり死んでいる
・X(旧Twitter)(2018.1~)友人や著名人の投稿を視聴する、投稿はしない
・Instagram(2020~)友人や著名人の投稿を視聴する、写真投稿している
ブログの類も全く経験ナシ・LINEやSMSは通信手段
SNS上の顔も知らない人と友達になるなんて、恐ろしいわ
つまり、自分の気持ち言葉をSNSに投稿するなんてコト、無かったんです。
(いいね! をポチっとしたコトは、ありましたけど)
「完全なる読者」だったわたしですが、ひと皮むけば「子どもの頃からの書き物好き」です! どこかで何かを書いてみたいという思いは、潜在的に積もっていたのでしょう。
そこにきて、今年の1月頃でしたか…、TVの朝の情報番組から「文章投稿サイト」というワードが、わたしの耳にとびこんで来たのです。
一瞬で手を止めて、TVの前に駆け寄りましたね。
そこでは「主婦の間でブームになってる」「毎日数万件の投稿が集まっている」「投稿した記事が本になる事もある」と、いうような事が話題にされていました。もう興味津々です。そのサイトの名前は「note」。
これだ!!
とか言ったものの‥‥、
迷いや心の準備とか、noteで何を書くのか?の問題もあったので、アカウントだけ作ってしばらくはnoteの中を幽霊のようにさまよっていました。
2カ月くらい経って、ようやく自分の方向性が固まったので、初めてのnote記事を投稿。デビュー出来たというような晴れがましさは無く、フォローする相手も、フォローしてくれる人も無い中、孤独な船出を迎えてひとり海へ漕ぎ出したような、そんな気持ちになったのを覚えています。
そもそも、わたしにとってはSNSでフォローする相手というと、身内か親しい知人あるいは著名人だけでありました。(オンチですからね)
一方、noteの世界では、一般の皆さんがそれぞれフォローし合って、記事には「スキ」がついて、読んだり読まれたりおおいに賑わっている様子に見受けられて、これはすごいなぁと圧倒されました。
そんな中で、わたしは初めての記事を投稿した訳です。
自分の記事を持てたことで、誰かをフォローする資格を得たように感じました。
そこで早速、「すてきな記事を書いてらっしゃる、お友だちになりたい」と思ったクリエーターさんを、勇気を出してフォローしてみたんです。
そうしたら、すぐにフォローバックしてくださって、1本しかないわたしの記事に早速スキをつけてくださいました。
あの時の嬉しさといったら!
孤独な航海の海に、灯台の灯りが見えたような気持ちでした。
noteでは、誰もが自由に書くことが許されていますが、クリエーターさん同士の支えや励まし、時に教えなど、「記事」の裏側の見えないところでの交流がnote運営を支えている…。それは、今やどなたもが感じておられる事ではないでしょうか。
ひとつの「スキ」で、どれだけ励まされることか。
「コメント欄」などでは、感想を交わしたり、情報交換するのみならず、近況連絡や、安否確認(?)、伝言板じゃないかと思われるようなやりとりとコミュニケーション‥‥笑
わたしはnoteを始めるまで、こんな世界があるとは想像もしていませんでした。
そして「SNS上の友達という恐ろしいもの」が、たくさん出来ました🎵
しかしながら残念なことに、
noteを知らない人は言います。「SNSでの友達は、しょせんバーチャルの人だから」「書いてることと、その人の人格は別だから」「あまり深入りしないようにね」 ‥‥。
これらは比較的若い人のクールなご意見で、達観しているのでしょうか。
さらに年配(つまりわたしと同年代以上)になると「ああ、怖い怖いそんなのやめな!」「コメントってコワいこと書かれるんだってよ!」「自殺しちゃう人もいるんだから!」 ‥‥。
はあ。
たしかに巷のSNSでは、記事やコメントが原因で「不幸なニュース」になるようなケースが多発しています。そこまで行かずとも、トラブルに発展したり、慢性的なストレスの原因になるケースは身近な所にも散見されます。
今やその世界は、匿名の上に覆面をつけて人格暴徒と化した狂人に、いつ刺されるかわからない無法地帯だとも言えます。
けれどもnoteだけは違う!
こう思うのは、
わたしがSNSオンチのデジタル世間知らずだからでしょうか?
浅慮を恐れず敢えて言えば、noteに集うクリエーターさん達は、誰もが「書きたい・創りたい・表現したい」という思いを持って記事を書き、そして読みに行ったり、読みに来てもらったりの関係ではないですか。言わば「同士」ではないですか。
お互いが表現者として謙虚に認め合っている(ように見受けられる)この世界に、巷のSNSのような誹謗中傷やアンチ攻撃などが介入する余地があるでしょうか?
と、書きましたが、実はこのnoteの世界でも、コメント欄で心が傷つく思いをされたというお話を耳にしたことがあります。内容が理不尽なものだったので、わたしも正直驚きました。
ほんの一時の事で終わってほしいと願う一方で、note運営サイドでも迷惑行為に対しては、通報や削除などの対策を構築し維持していただきたいと思った次第です。
もしも万一ですが、note界隈にまでも裏アカウントなど作り込んで、ストレス発散とばかりに暴言を吐き散らすようなエセ・クリエーターが現れたりしたら、たまったもんじゃありません!
「運営サイドによる防衛」も重要だと、残念ながら思います。
こんなことをツラツラ考えたのも、SNSオンチだったわたしが、顔も知らない人たちと、毎日読んだり書いたりなんだかんだと楽しく暮らしているのも、不思議なことだと今更ながら笑ってしまうからなのです。
デジタル友だちが出来たことを喜んでいるわたしに対し、知人友人は「ビョーキしたって見舞いに来てくれる訳じゃないんでしょ!」と、からかいます。
しかしさにあらん。
昔から『ペンは剣よりも強し』と言うではありませんか。つまりこの、言葉をこそ武器として集うnoteの民・noterは、会うことも触れることも叶いませんが(いや、たまにオフ会してるヒト見掛けるんだけどね!笑)、しかし思いの丈をペンならぬキーボードにのせて、日本列島の隅々から、いや地球の裏側からまでも届けてくれる。それは中途半端な剣なんかよりグサッと胸に刺さり込んで来るのであります。
時にその力は、心を慰め、疲れを癒し、病を忘れさせ、負の思いを正へ、一歩でも半歩だけでも良い方へと、導いてくれる。
えーーっと、
つまりは自分がnoteに
ドはまりしているってこと書いてるだけ?
あら、そうでした!爆
以上。
みなさんがnoteを始めたきっかけは何ですか?
その時、noteをやってるという人は周囲にいましたか?
いつきさんの「賑やかし帯(たい)」を、
初めて使用させていただきました🌺🌿
すてきな記事作りの応援に感謝です。
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