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【読書記録】私には聴こえない「52ヘルツのクジラたち」
普段はミステリー小説しか読まない私ですが、妻とお互いに読書感想文を書き合おうということで、町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」を読んでみました。
読み始める前に
2021年 本屋大賞第1位
帯にはそんな文言が大きく書いてありました。本屋の店員が売りたい本No.1。それだけ読み応えのある、読んで欲しい本だったということなのでしょう。
タイトルの意味
小説のタイトルというのは、必ず意味を持っています。
作家はいかに小説の中身をタイトルに凝縮するかを苦心し、一方の読者は本を読み進める中で、あるいは読み終えた時にタイトルの意味に気づき、「そういうことだったのか!」と納得する。
この小説のタイトルは「52ヘルツのクジラたち」。
52ヘルツの意味は?
クジラの意味は?
なぜクジラは複数形なの?
表紙を目にした時、そんな疑問が浮かびました。
理系の私がはじめに抱いた考えは、
「低周波だな」
です。
52Hz(ヘルツ)は1秒間に電波や音波が52回振動するということです。
1秒間に52回というと人間にとっては結構早いように思えますよね?
しかし人間の可聴域は20Hz~20000Hz(20kHz)と言われているので、52Hzは人間が聞こえる音の下限に近い低い音ということになります。
低周波の音は遠くまで届きます。
なので、52ヘルツのクジラたちとは「遠く離れた仲間とコミュニケーションをとる話」と推測しました。
と思ったら、裏表紙にちゃんと書いてありました。
52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラ。何も届かない、何も届けられない。そのためこの世で一番孤独だと言われている。
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、魂の物語が生まれる。
ナルホド。そういう話ですか。
孤独なクジラたちは孤独な主人公と少年を重ね合わせているというわけですね。素晴らしいタイトルです。
読後(ここからネタバレあり)
タイトルが複数形である意味
裏表紙から52ヘルツのクジラたちは「主人公」と「少年」の2人だと思っていましたが、もう一人二人いそうですね。
まずはアンさん。家族に良いように使われていた主人公を救い出してくれた人であり、主人公の人生を取り戻すきっかけをくれた人。
彼(彼女)はトランスジェンダーという社会的マイノリティであり、母親からは治る病気だと思われていました。
自身について悩み、彼もまた声にならない声=52ヘルツの鳴き声をあげていたのです。
そして、少年の母親(琴美)もある意味52ヘルツのクジラなのではないかと私は思います。
彼女は父親に甘やかされて育ったばっかりに、あまりに自分勝手で社会を知らない人間になってしまいます。母親としての自覚もない、子供に虐待をする最低な人間として描かれていますが、彼女もまた周りから理解されないという孤独を抱えているのかもしれません。
「52ヘルツのくじらたち」とは生きづらい世の中だと感じる人たちのことなのではないでしょうか。
結末
主人公が少年を養子に迎えて仲良く暮らす。
とはならず、少年は一旦祖母の家に引き取られ、主人公は少年を迎え入れるための社会トレーニングをするというような現実的な終わり方で良かったです。
20代後半の主人公が13歳の少年を養子にして暮らすというのは、無理がある気がしていました。その点、作者はあくまで現実的な解を提示してくれたと思います。
私には聴こえない「52ヘルツ」
この小説は家庭内での搾取、子供への虐待、トランスジェンダー、過保護すぎる親、排斥的な田舎の雰囲気、高齢者たちの古い価値観による偏見といった社会問題をこれでもかというくらい詰め込んでありました。
自分の境遇と違い過ぎて、ある意味別世界の話のように感じられました。
私は不自由なく育ち、今も不自由のない生活をしています。生きづらい世の中だなぁと感じたことはないですし、むしろある程度生きやすい世の中だとも感じています。
それは私が「普通」という集団の中に属していて、集団の中心ではなく端よりではありますがちゃんと声は届くという状況だからなのかもしれません。
きっと私の声は52ヘルツではなく、他のクジラと同様の15~25ヘルツなのでしょう。
他のクジラは52ヘルツで鳴くクジラの声が聞こえません。
私もこの小説で取り上げられた社会問題について、問題の当事者の気持ちはわかりません。
なぜ虐待してしまうのか、なぜ過保護になってしまうのか、なぜ偏見を持ってしまうのか。
そしてその気持ちを知りたいとも思いません。
ただひたすらそうなりたくないと願うばかりです。
きっと私はこれからも自分が認知できないもの、目の届く範囲に無いものはそのまま知らないを突き通してしまうかもしれません。