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新しい地図

極度の方向音痴である。

そういえば最近まで「極力」を「ごくりょく」と読んでいた。
「極度」と書けば「ごくど」とは読まないのに何故かそれが私の中の常識になっていた。

「出血多量」を「出血垂れ男(たれお)」だと思っていた時期もあった。
ニュースで「出血多量で重体」など聞くと「垂れ男かぁ…」など不憫に思ったものである。
今考えると何でそれが自分の中で「正」なのか不思議でしょうがないが、自分の中の常識とはそういうものなのだろう。

話を戻すと私は地図が読めない。

長年のコンプレックスでもあり、改善しようと努力したこともあった。
努力といっても「地図 見方」とネット検索した結果を何度か試みただけで失敗に終わった。

地図が読める人は、読めない人のことが理解出来ないと言う。

携帯のGPS機能でGoogle マップが目的地までの進行方向を矢印で示してくれるが、自分の身体の向きを変えるとご丁寧に矢印の向きも変わってしまうのでまた道のりが変更されてしまう。

今度は自分の居る方角に合わせて地図を上下左右に動かしてみたりして、ますます訳がわからなくなる。
私は何処?ここは誰?


物心ついた時には方向音痴の自覚があった。
「お受験」をしていた小学生の頃、模試を受ける為に隣町まで行ったときのこと。

徒歩10分の道のりを30分以上かけて辿り着いた挙句、あろうことか全く違う塾(運営会社も違う)で模試を受けて帰ってきたことがある。

いきなり現れた予約の名前が無い小学生に対し当然塾側は不審に思うが、模試の開始時間も迫っていた為、自分達の手違いかもしれないと慌てて試験を受けさせてくれたのだ。

受付で記入した家の電話番号に確認の連絡があったのか、帰宅するなり「あんた凄いねぇある意味」と呆れを通り越して感心された。
数少ない武勇伝のひとつである。

「大人になれば自然と道なんて解るようになるだろう」楽観していた。


完全に大人になった現在、私に内蔵されているGPSは更なる退化を遂げる。
地図を頼らず「勘」を頼りにするようになった。

私がこっちだ!と思う方向は大抵間違えている。だからその逆を行ってみる。
すると間違える。その逆の逆が正解のパターンが最近は多い。(つまり当初の予見で合っている)
もはや迷う時間も勿体ないので行く先々で道を尋ねることにした。

コンビニが無難だが、最近は外国人スタッフだけが在中している時間帯が多い。
「ここ、どう、ヤッテイクんですか?」(何故かカタコト)

「あぁ〜、ちょっとマッテネ」
インドネシアの留学生だろうか、私のスマホを器用に操り別の外国人スタッフにも確認してくれた。
「そこ曲がって右行ってマッスグ!!」

「アリガトゥゴザイマス」

恥ずかしくなる。私は何人で何処へ行こうとしているのか。
最初から異国から来た人を演じて尋ねればこんな卑屈な思いはしなくて済むのだろうか。

好きな時に好きな場所へ、フラッとひとり旅
「こないだちょっくら海外行ってきたわ~」なんて言う人は格好いい。

このご時世、スマホひとつでお金も払えるし翻訳機能でコミュニケーションも取れる。
行こうと思えば何処だって行ける。地図が読める読めないかではない。気概の問題なのだ。

最新のガジェットやツールを駆使してスマートに目的地に到達するより、時には勘と人の優しさを頼って進む方が道中いろんなことに気付けるかもしれない。
なんて負け惜しみを言ってみる。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし   
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 
迷わず行けよ 行けばわかるさ

1、 2、 3 !!!

ダァァァァァア゛あああーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


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エバ@エグくて優しいエッセイスト
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