自己の中心で無いを叫ぶ
「助けてください!! 誰か助けて下さい!!」
セカチューならぬジコチューだった。
辛いときは自分だけが不幸のど真ん中で取り残されている様な気分になる。
周りが全く見えていない。
かわいそうな私、どうして私ばかり、私なんか…
〝消えてしまいたい〟
ふと電車の窓ガラスに映った自分の顔を見て驚いた。
生気の無い虚ろな目。
薬の副作用か不眠のせいか瞼は腫れ、倦怠感と疲労感が全身から渦を巻くように漂っている。
暫くそれを見つめた後、「私じゃない」と目を逸らしフラフラした足取りで帰路に着いた。
シャワーを浴びながら嗚咽を漏らし泣いていた。
どんなに泣いてもシャワーの音が掻き消し、水に流してくれる。
「助けて。誰か助けて…。水と一緒に流れていきたい…」
水の流れる先はただの汚水管だが、そんなことは考える余地もなかった。
凡庸である
世の中は実に色んな人が居る。
会社と家の往復だけでは決して関わることのない人と交流できるのがSNSの最大の利点。
色んな人の価値観や人生に触れ、自身のものの見方や凝り固まった概念に奥行きと多様な彩りを与えてくれる。
視野の広さは心の広さに比例すると思う。
自分よりも遥かに重く、辛い病状で苦しんでいる人はごまんと居る。
当たり前だが、当たり前のことこそすぐ忘れ、自分に在るものに感謝をせず、無いものねだりをしては現状を嘆く。
たくさんのことを気づかせてくれたのはTwitterで交流のある方たちだった。
本人希望で詳細は記載しないが、上のDMを下さったJさんは松山千春の「凡庸」という曲も教えてくれた。
凡庸とは「際立ったとりえもなく、至って普通であるさま」
曲の結びは「言葉にするほど幸せでなく、涙にするほど不幸でもない」
凡庸とは言い難い難病を抱えたJさんの「受け入れて生きようと思った」の言葉の陰には、抱えきれないほどの苦しみ痛み、やるせなさ、辛さ悲しさ、それらを包括する強さと優しさ、大きな愛と覚悟が同居しているように思える。
それでもJさんは言う。
「俺にしたら普通のことやけどな😀」
客観視する
私は自分だけが不幸のど真ん中で孤独を抱え「誰にもこの痛みは解りはしない。言ったところで無駄だ」と塞ぎこんでいた。
本当は痛くて辛くて苦しくて「助けて」と叫びたいのに、マイナスの気持ちを押し殺して気丈に振る舞うのが美徳だと思い込んでいた。
弱い自分を認めて受け入れるのは、自分に負けることではない。
現状をしっかりと把握し、その上でどう行動するかでこれからの流れが決まる。
Tさんは「客観視」することと、自分の力ではどうにも出来ない問題に対して思い煩わないこと。
自分なりに人生の困難に意義を見だすことを教えてくれた。
自分が認知していることを客観的に把握し、制御することを心理学の概念で「メタ認知」という。
認知能力が高い人は、感情のコントロールと、自分の持っている認識や考え方を状況に合わせて変えることが出来る。
つまりどんな困難に直面しても、冷静且つ柔軟に対応することが可能になる。
Tさんは大病を患い、震災を経験されている。
全てを失った時「人生にリセットがかかった」と捉え、ゼロからスタートすることを決めたという。
「心の強さ」はどんな状況でも乗り越えられる力を持っているのだと教えてくれる。
最近は手術を終え退院されたばかりだ。
今は苦しかった当時を補完するように、小さな幸せを見つけて丁寧に暮らしているとメッセージにあった。
そんなTさんの作るカレーは、生姜と庭で取れる月桂樹の葉っぱが隠し味。
ハーブの甘い香りに、ピリッと薬味が効いた「深い大人の味わい」らしい。
コトコト煮込む様子を想像したら、痛いお腹が高らかに空腹の音を立てた。
そんな自分に泣きながら笑ってしまった。
奉仕する
私が最も影響を受けた本のひとつ、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」。
この本では個人が人格を磨き「自立」した上で他社と「相互依存」して生きることが自然の摂理であり、最も理想的な社会の形であると説いている。
人格形成の上で核となる「奉仕」の精神は以下のように語られている。
人に奉仕し、人の役に立つことは心の安定をもたらす。
その意味からすればあなたの仕事も心の安定を与える源になる。
想像力を発揮して仕事に取り組み世の中に貢献していると思えるとき、貴方は心の安定を得られるはずだ。人知れず奉仕活動をすることも同じである。誰もそのことを知らないし、誰かに知らせる必要もない。
目的は人に働きかけ良い影響を与えることであって、認められることではない。
健康で幸せに長生きする鍵は、世の中に貢献し人のためになり自分の気持ちも高揚する有意義な活動に身を捧げ人の生活に喜びをもたらすことである。
真理だと思う。
我々人類は元より、自然界のすべては生態系という相互依存の関係で成り立っている。
それは科学と歴史が証明してきた事実であり、反論の余地はない。
消えてしまいたいと思った長く辛い夜。
濁って澱んだ私の水が、人の持つ温かく優しい綺麗な奉仕のフィルターを幾重も通り、ゆっくり浄化されて還ってきた。
感無量だった。
noteを見て頂いた方からのメッセージに、消えてしまいたいとまで思っていた心が意義を見出せた気がした。
枯れて尽きそうになった源泉から綺麗な水が湧いてきたような感覚。
水を得た魚のように、少しずつだが生気を取り戻すことが出来た🦞
私はわたしの出来ることで誰かの役に立ちたい。
頂いたこの水で、誰かの心を潤すことが出来ればこれ以上の幸いはない。
地球の水は形を変えながら、陸海空の間を行ったり来たりして常に一定の量を保っている。
地球上の水の総量は変わることはない。
自然界の全てのものは、見事なバランスで調和して循環している。
わたしたちもまた。
🍀あとがき🍀
メッセージを下さった方、いつも私に関わって下さる方に心から感謝申し上げます。いつも力を頂いています。ありがとうございます。
余談ですが掲載画像のコーヒーとカレー、カレーに入れる月桂樹も循環してきた水によって作られていますね。人間の80%は水分だし、自然って素晴らしいなとつくづく思います。
最後に。私の粗相は綺麗さっぱり水に流させて下さい👍 🚰
大量の水が必要だな🤔
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エバ@エグくて優しいエッセイスト🖋
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