これまでの人生について①
こんにちは、ちゃまです。
ここまでの人生について振り返ってみます。
なぜこんなことを書こうと思ったか、それは今行き詰まっているからです。
私はど田舎に一人っ子として生まれました。
当時はあまり感じていませんでしたが、今思えばたくさんの愛情を受けて育てられたのだと感じています。
幼少期は極度の引っ込み思案で友達に声をかけるのすら物凄い恐怖を覚えていました。
そんな私を支えてくれたのは笑顔がよく似合う母でした。
中学校に入ると部活に力を注ぎすぎ、次第に勉強についていけなくなりました。いえ、やろうと思えば無理してでもやれたと思います。でも当時の私はやりませんでした。グータラだったのです。
もう本当に進学校には進学できそうに無くなってきた中2の夏、塾を探していたときでした。後ろの席の同級生から自分が通っている塾に誘ってもらいました。そこが一つのターニングポイントとなりました。そこから少しずつついていけるようになり、結果的には地域で2番目の進学校に入ることができました。その友達には非常に感謝しています。
しかし、入ってからも大変なことは続きました。
人見知り、引っ込み思案の性格もありなかなか友達ができなかったのです。あれだけ喋らなかったんだそれは無理もないと思います。さらに毎週行われる小テスト、毎日出される膨大な宿題。日々の部活、田舎ということもあり19時15分が最終バス時刻で、家に着のが20時30分、そこからご飯を食べて、風呂に入り、課題をして、24時30分頃に寝て、朝6時30分に起きて学校に向かう生活をつづけていました。今考えても高校生とは大変だなと感じます。
その高校生活では、かろうじて部活と勉強の両立を行なっていたものの、高2になり理系の『物理』が入ってきてから完全についていけなくなりました。定期テストで20点など赤点を連発し恥ずかしい限りです。高校時代は部活があるため塾を辞めたことも悪い方へ働いてしまったのだと今では思います。
通っていた高校は、国公立大学至上主義を体現しているかのごとく勧められたのは国公立大学ばかりであった。私立大学がどんなものかも正直教えられなかったです。
しかし、国公立大学は5科目全てにおいて偏りなく勉強しオールマイティに点数を取らなければならなりません。それは部活にも全力を注いでいた私には挽回はもう不可能だったのです。
そこで、藁にもすがる想いで国公立大学の推薦を希望して受験することにしました。そこから日々面接練習、作文練習に取り組んで受験しましたが、結果は不合格でした。ここからも苦難の連続となりました…つづく