ちゃま

食べ物好きの社会人です。 最近色々悩みながら前に進むことが多いので自分の悩みや判断、選択、自己啓発の記録を残します。少しでも前向きに日々を生きられる人が増えますように。

ちゃま

食べ物好きの社会人です。 最近色々悩みながら前に進むことが多いので自分の悩みや判断、選択、自己啓発の記録を残します。少しでも前向きに日々を生きられる人が増えますように。

最近の記事

これまでの人生について③

ちゃまです。 これまでの人生について②では高校時代の大学受験の内容をお話ししました。その続きとなります。 大学に合格して県外に出ることが決まってからは準備が多く怒涛の日々でした。 家探し、引越し準備、入学資料準備などバタバタしていたと記憶しています。 初めての一人暮らしに期待と不安を抱きながら新天地に向かったことを覚えています。 父と母と自分の3人で、父の車で向かいましたが、500キロを超える大移動でした。 都会かと思えば大学のそばは落ち着いている都会でも田舎でもないちょ

    • 叶わぬ恋、愛する人へ

      私には好きな人がいる。とっても優しくて、賢くて、ユーモアがあって、その人が居るだけで周りが笑顔になってしまうようなミッキーみたいな人だ。私は知っている。その人への恋が天と地がひっくり返らない限り叶うことはないということを。でもそれでもいい。あの人が幸せで笑顔でいてくれさえいれば、それで充分。 だから私は噛み締める。あの人と見た桜並木やお祭りに行って一緒に食べたモツ煮や、傘が一つしか無くて一緒に雨宿りした思い出も全部かけがえのない宝物。 そして何よりいつも笑いかけてくれるあの人

      • 今人生について思うこと【2024.10.20】

        最近生活の中で私が思ったことを下記の内容に記します。 今思う、この世界は自分の行い次第でどうにでもなるのだと。 人間の人生というのはどれだけ他者の幸せを願い、他者から幸せを願ってもらえるかで大きく変わると私は思う。 その他者への祈り一つ一つがその人の運の要素の大部分となり、やがて自らの運命となる。 だからこそ私は願う、私の周りの人の幸せを。 世界中の人を幸せに出来なくても、せめて僕の手の届く範囲の人は幸せにできる人になりたい。 他者への幸せへの祈りが気遣い、思いやりであり、

        • これまでの人生について②

          ちゃまです。 これまでの人生について①では高校時代までの内容をお話ししました。その続きとなります。 国公立大学の推薦入試に失敗して、浪人を考えていた頃、進路指導室にあった某私立大学のパンフレットが目に入りました。それは小学校の頃、父が働いていた韓国へフェリーで行く際に経由して訪れた思い出の県の私立大学だったのです。その県では一泊しかしたことはありませんでしたが、都会的で素敵な街のイメージでした。田舎にいる自分にとって都会にある私立大学には惹かれました。 そこからその大学を

          これまでの人生について①

          こんにちは、ちゃまです。 ここまでの人生について振り返ってみます。 なぜこんなことを書こうと思ったか、それは今行き詰まっているからです。 私はど田舎に一人っ子として生まれました。 当時はあまり感じていませんでしたが、今思えばたくさんの愛情を受けて育てられたのだと感じています。 幼少期は極度の引っ込み思案で友達に声をかけるのすら物凄い恐怖を覚えていました。 そんな私を支えてくれたのは笑顔がよく似合う母でした。 中学校に入ると部活に力を注ぎすぎ、次第に勉強についていけなくな

          これまでの人生について①

          ちゃまの思い出⑤憧れの人と車を買う【2024.9.4】

          Aさんの車に乗せてもらい、先輩から紹介してもらった中古車店に向かった。その店はとても値段が安く優しいおじいさんとおばあさんが経営しているという話を聞いていた。 その中古車店まで車で40分くらいの道中をいつものごとく楽しく話しながら向かっていた。目的地点に差し掛かった時一軒の中古車店が目に入った。しかし駐車場が見当たらない。そこで一旦私が車を降りて店員に聞いてみることにした。 遠くで半壊した軽自動車を黒人男性がリフターで運んでいるのが見えた。 プレハブのような中古車店内に入

          ちゃまの思い出⑤憧れの人と車を買う【2024.9.4】

          ちゃまの思い出④憧れの人との日常【2024.9.4】

          入社して2ヶ月経ったころ、私には車がなかった。このため毎日30分かけて自転車で通勤するか、近所の同期のBさんに乗せてもらっていた。 大抵は同期のBさんに乗せてもらっていたのだ。そんな日々に終わりが訪れる。研修期間が終わり同期が日勤やシフト勤務にバラバラに振り分けられたのである。毎日送ってもらっていた同期とは異なるシフトだった。そこで『自転車で通う』か『車を買う』かの2択を迫られた。 私は迷わず車を買うことを決めた。 それを決めた翌日仕事終わりに更衣室でAさんと一緒になった。そ

          ちゃまの思い出④憧れの人との日常【2024.9.4】

          ちゃまの思い出③憧れの人と宅飲み【2024.9.3】

          AさんからLINEが入っていた『今日宅飲みせん?』との内容だった。私は、コロナ禍ということもあり会社から飲み会は自粛要請されているため迷った。飲み屋であれば断っていたが、まあ宅飲みならバレないかと思い承諾した。 仕事場でしか会ったことなかったが、Aさんは家に来たとき既に酔っていた。Aさんの家のそばにある地域唯一の飲み屋に行っていたようだ。Aさんと私の家までは歩いて5分ほどの距離にある。酔っていたAさんは別人のようだった。テンションは高いし、声は大きいしビックリしたことを覚えて

          ちゃまの思い出③憧れの人と宅飲み【2024.9.3】

          ちゃまの思い出②憧れの人との出会い【2024.9.2】

          憧れの人をAさんとしよう。Aさんとの出会いは画面越しであった。Aさんはコロナ渦のウェブミーティングにて豪快に2Lのペットボトルを飲み干していた。私の印象は豪快な人だなという印象であった。 そんな中私がAさんと初めて対面したのは就職して仕事初日のことだった。コロナ渦で入社式が本社で出来ず、私の配属された工場で10人ほどの新入社員が配属を命じられた。その自己紹介の際に寂しがりなんで声をかけてくださいと言っていたことを今も覚えている。 Aさんは同い年で学歴、部活など境遇が近いことも

          ちゃまの思い出②憧れの人との出会い【2024.9.2】

          ちゃまの思い出①憧れの人【2024.9.2】

          私には憧れの人がいる。 それは同い年だが、考え方が大人で人間的な魅力に溢れた人だ。その人の周りはいつも笑顔に溢れている。まるでミッキーマウスのような主人公タイプだ。 そんな人を初めて見た。話をしてこの人には何をしても敵わないと思ったのは初めてだった。そのくらい凄まじい愛され力を持った人だ。 その人はとてつもない熱量を持っているにも関わらず、どこか寂しげで孤独で影がある。そんな力強くも儚いところに惹かれていった。 なぜか知らないが、同期のなかでも至って普通でつまらない私に対して

          ちゃまの思い出①憧れの人【2024.9.2】

          好きな言葉③ 『何かを選ぶときは、寂しいを理由にするのはやめろ』【2024.9.1】

          『何かを選ぶときは、寂しいを理由にするのはやめろ』 例えば、寂しさを理由に行きたくない飲み会に行くや、寂しさを理由に海外留学を諦める、一人暮らしのを諦める、進路を諦める ようなことはしてはいけない。 人は寂しいと自分の足元すら見失ってしまう。 そして間違えた道を進んでしまう。 誰かと別れるのが寂しいということは切り離して、選択をするのがよい。なぜなら、どんな人とでもいつまでも同じ場所には居られないからである。 ただし、それはネガティブな意味に捉えるのではなく、今共にい

          好きな言葉③ 『何かを選ぶときは、寂しいを理由にするのはやめろ』【2024.9.1】

          ちゃまの昔話⑤父との別れ、父と母【2024.8.18】

          父と母と僕の3人家族の僕は、韓国へ単身赴任中の父の元を訪れていた。 そんな中、母と僕の帰国の時が近づいていた。 もうすぐまた父の居ない生活に戻ってしまう。そう思うと心の中に寂しさが少しずつ大きくなってくのがわかった。 母と僕の韓国滞在最終日は、釜山港で父と3人でお土産を選んだ。韓国海苔や鉄製の箸を買った。乗船ゲートを通って父と別れる際、父にお別れをするため何度も手を振ったのを覚えている。父は僕らが見えなくなるところまで手を振っていた。僕はゲートを通って小さくなっていく父が涙を

          ちゃまの昔話⑤父との別れ、父と母【2024.8.18】

          ちゃまの昔話④父の偉大さ【2024.8.18】

          韓国に行って半年の父は日常会話程度の韓国語であれば話せるようになっていた。買い物や飲食店の注文などを難なくこなす父を見てカッコいいなと思っていた。その時の僕は漠然とすごいなぁという程度だったが、今考えると相当な苦労があったのだと思う。 父は決して勉強が得意なわけではない。私立高校の特進科であった父は、やんちゃな友達と遊ぶようになり、進学する人が少ない普通科へ変更した。その後、美術の専門学校へ行くも、貧しかった父は親からの援助を受けることができずバイトと学業の両立に挫折し、専

          ちゃまの昔話④父の偉大さ【2024.8.18】

          ちゃまの昔話③空手と韓国旅行【2024.8.18】

          父からの助言で小学生になってすぐビビリの僕は心を鍛えるために、空手を習うことになった。 まずは体験に行ったが、自分としては声を大きく張り上げる大人が大勢いるということだけでも萎縮する対象であった。その仲間入りすることを当然のように拒否したのだが、父の意志は堅かった。 父なりに強く生きてほしいという願いの現れだったのかもしれない。 小学2年生の冬のことだ、父が韓国に行って半年が経ち、韓国の父の元へ旅行に行くことになった。既に空手を初めて2年が経ち嫌々ながらもなんとか続けていた

          ちゃまの昔話③空手と韓国旅行【2024.8.18】

          ちゃまの昔話②夫婦喧嘩と父の居ない小学生時代【2024.8.16】

          小学校に入る頃から、片付けが苦手な母とそれが許せない父との間で夫婦喧嘩が絶えなかった。お互いにつかみ合いの喧嘩やものを投げ合ったりどんどん激しくなっていくことに最終的にどうなってしまうのかと恐れていた。 まさに夫婦仲は最悪だった。 そんな中小学生2年生の時、父が仕事で韓国に単身赴任することになった。ここから母一人子一人の生活が始まることになった。父は一緒に韓国で生活することを提案してくれたが、物心ついたときから住み慣れた地を離れたくないという思いから、深く考えもせず韓国に行

          ちゃまの昔話②夫婦喧嘩と父の居ない小学生時代【2024.8.16】

          ちゃまの昔話①田舎へ誕生【2024.8.15】

          こんにちは『ちゃま』です。 この名前をつけた由来はあだ名が『ちゃま』だからです。元々は名前〇〇にちゃまをつけて呼ばれ、〇〇ちゃまでしたが、次第に省略されて『ちゃま』になってしまいました笑 私は一人っ子の長男として生まれました。 私が生まれたのは見渡す限り、田んぼや畑が広がっている田舎でした。 近くには〇〇商店というものしかなく、コンビニに行くには自転車で30分程度かかるような場所に住んでいました。 父は会社員、母は専業主婦というごく一般的な家族構成です。 非常に引っ込み思案

          ちゃまの昔話①田舎へ誕生【2024.8.15】