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じわじわ人気上昇中!「砥部のおいさん」【愛媛・砥部町】砥部焼 清月窯

2022年7月の「地元を愛す。」プレゼントの賞品にセレクトしのは、砥部焼・清月窯の「砥部のおいさんセット」。リラックスした表情でくつろぐ「おいさん」がじわじわと人気を集めている。
夫婦で砥部焼づくりに取り組む野村和孝さんと野村千春さんにお話を伺いました。

清月窯三代目の野村和孝さんが家でくつろぐ様子をモチーフ にした「砥部のおいさん」シリーズ。


妻の野村千春さんがひとつひとつ丁寧に描いていく。


師匠の死を機に再スタート
夫婦それぞれのスタイルで目指すものは


砥部町大南にある清月窯は、三代目の野村和孝さんと妻の千春さんが夫婦で営む窯元。もともとは和孝さんの母方の祖父母が始めたもので、和孝さんが後継者となったのは、少し意外な理由だった。

(野村和孝さん)
ここは母の実家で、清月窯は祖父母が1950 年代に始めました。僕は親の転勤の都合で名古屋で生まれて、大学を出た 2000 年に清月窯に入り、二代目である伯父に弟子入りしました。砥部焼をやろうと思ったのは、就職試験に全部落ちてしまったからなんです。会社勤めをするよりも面白いんじゃないかと思って。子どもの頃は砥部に帰省したら粘土を触って遊んだりしていたんですけど、その頃は仕事にしようという気はなかったですね。

二代目は独身だったので後継者がなく、自分が砥部焼をやると言ったら家族は喜んでくれました。そして、僕が怠けていても強くは言えないとわかっていたので、僕は師匠が仕事をしていても釣りに行ったりするダメな弟子でした。

そんななかでも焼き物の面白さはちょいちょい感じることがあって。ある日、高知から老夫婦がやってきて、「数十年前におたくで買った茶碗が欠けてしまったので新しく作ってほしい。」と言われたんです。師匠に見せたら、「わしが 20代くらいの頃に作ったやつじゃ。こんな下手くそなん、もう作れんわ。」と言いながら、その日のうちに形を作って、焼き上げて。そして出来上がった茶碗を無料で高知の夫婦に送るようにと言われたんです。それがかっこよくて。ひびが入ったから他のものを買うのではなく、また同じものが欲しいとわざわざ来てくれるのもすごいなと思いました。それから 1 つの柄の絵付けを任せてもらえるようになり、より面白さを感じるようになった時に、師匠が 58 歳の若さで亡くなりました。

師匠が亡くなって、これから一人ではようせんなと思ったんですけど、辞める前に1 から 10 まで全部自分でやってみようと。それまでは二代目のサポートしかしていなかったので、すべて自分でやってから辞めようと思ったんです。土を買いに行くところから販売まで、全部自分でやってみたら、「これは面白いな、やめるのもったいないな」と思いました 。ちょうどその 頃から 砥部町陶芸創作館 の職員としても 働いていて、自分の窯元の仕事と両立しています。 友人や先輩達の支えや、迷惑をかけっぱなしだった両親のサポートのおかげで、きょうまで続けてくることができました。

ー千春さんは西条市出身ということですが、どうして砥部焼の作家になろうと思ったのですか。

(野村千春さん)
もともと指先を使って何かを作ったり絵を描いたりすることが好きでした。高校卒業の時に砥部焼の方で就職できないかという話を担任の先生にしたんですけど、砥部焼は自営業のところがが多いから難しいということで、全く別の仕事に就いたんです。結局そこで 6 年間働きましたが、やっぱり作る仕事がしたいなと思って、陶芸塾を受講しました。その後、結婚するまではきよし窯に勤めて、絵付けをはじめとする、焼き物作りの一通りの流れを学びました。

千春さんと並んで夜遅くまで制作に没頭することも。
和孝さんの作品は砥部焼の伝統を守り、美しさの中にも日常 使いしやすい丈夫さを備える。二代目から引き継いだ「飛び鉋 (かんな)」は砥部焼では珍しい技法。


ー和孝さんと千春さんの作品はずいぶん作風が違いますね。

(和孝さん)
僕は二代目から引き継いだ清月窯の作風で、砥部焼では珍しい「飛び鉋(かんな)」という、器の表面に削り目をつける技法を用いています。一方、彼女は色を使ったり、モチーフも鳥や猫だったり。一緒に制作していく上で、清月窯の中に新しいブランドを作ったほうが彼女ものびのびとやれるんじゃないかと思い、彼女の作品は「トリネコ屋」というブランドで印も変えてやっています。

―お二人は結婚されて 3 年ということですが、創作の面ではどんな変化がありましたか?

(和孝さん)
いい刺激になってますね。結婚して夫婦でやっているんでけど、たまに言うのが「合宿みたい」って。仕事なんですけど、夜遅くまで二人で並んでろくろをしたりしていると、学生の時の合宿のような気分になります。懐かしくもあり新鮮な気分。ひとりでやっていたら、このへんでやめようかなとなるけど、二人でやっているともうちょっと頑張ろうかと思えるんです。


きっかけは知人からのリクエスト
ゴロゴロくつろぐ「砥部のおいさん」が人気者に


おいさんのくつろぐモチーフは4パターン。

―人気になっている「砥部のおいさん」シリーズは和孝さんがモデルで千春さんが絵付けをされているということで、お二人の仲の良さが伝わってきます。「おいさん」誕生のきっかけは何だったんですか?

(千春さん)
私が写真を撮るのが好きで、猫や風景も撮るんですけど、リビングでくつろぐ夫の写真をたくさん撮りためているという話を知人にしたら、「お皿の上でおいさんがゴロゴロしているような絵付けをしてほしい」と言われたのがきっかけなんです。そのリクエストを受けたのが去年の春頃。その時にモチーフを 4 パターン作ったので、せっかくなのでイベントにも出してお客さんの反応を見てみようということになったんです。

(和孝さん)
5月末に開催された「まつやま花園砥部焼まつり」でも、おいさんシリーズは完売しました。たくさんのお客さんに「新聞見たよ」とか「テレビ見たよ」と声をかけてもらって。以前、大阪のテレビ番組でも紹介していただいたんですが 、花園 にも大阪からわざわざ来てくださったお客さんがいらっしゃいました。僕はおいさんのモデルではあるんですけど、最近は僕の方がおいさんに寄せていく感じで趣味の筋トレを頑張っています。

ーますます、人気が高まりそうですね。お二人の今後の目標ややってみたいことを教えてください。

(和孝さん)
最近は砥部焼も女性の作家が増えてきたり、厚手だけじゃなくて透けるくらい薄い作品があったりとバリエーションが増えてきました。昔は国道沿いの大きな店に商品を納めて、観光客が買っていくというのがメインで、窯元までお客さんがやってきてやり取りすることはあまりなかったんですが、これからはお客さんとやりとりするスキルも必要です。制作から販売まですべてをこなすのは大変ではありますが、やりがいがあります。僕も今はたくさん注文をいただいてそれに応えるので精一杯なんですが、もう少し余裕が出てきたら、成形や釉薬のかけ方など、いろいろ試してみたいなと思っていることはあります。暇なときにやっとけって話なんですけど、忙しくなるといろいろやってみたくなりますね。

(千春さん)
私はイベントの時にお客さんから「ウサギを描いてほしい」とかいろいろリクエストをいただくので、自分がまだ描いたことのないモチーフにもチャレンジして、一人でも多くのお客さんに喜んでもらえたらと思っています。

スーパーJチャンネルえひめ(2022年5月12日放送)「砥部のおいさん ユニークな絵柄の砥部焼」のニュース動画はこちら

清月窯の野村千春さん(左)と三代目・野村和孝さん(右)

清月窯ホームページはこちら