見出し画像

三千世界への旅 魔術/創造/変革71 ゲームとしてのメキシコ征服

異なる夢とゲームの勝敗


ル・クレジオは『メキシコの夢』で、メキシコ先住民もスペイン人もそれぞれ夢を見ていたと言っています。メキシコ先住民は彼らの古代的多神教の中で夢を見、スペイン人は黄金獲得という夢を見ていたということです。

それぞれの世界にはそれぞれの価値観があり、発展段階はともかくそれぞれの科学技術があり、合理性がありました。彼らはそれぞれの世界に閉じこもったまま出会い、コミュニケーションをとり、戦いました。お互いの価値観で相手を見ていたのも同じです。

ただ、先住民は自分たちの信仰の世界で神々と共に生き、スペイン人を神々かもしれないと考えてしまったのに対し、スペイン人は先住民をヨーロッパの進化という尺度で「未開人」と見ていたという違いがあります。

そして、スペイン人の方が武器や異民族との戦いの経験知などで優位に立っていた分、交渉・戦闘・征服のゲームでは、彼らの身勝手な主観の方が有利に事を進めることができたということなのでしょう。

つまり先住民とスペイン人は、それぞれの価値観でお互いを見ていながら、ゲームでは敗者と勝者になったわけです。ゲームの勝者であるスペイン人が敗者である先住民の国家を滅ぼし、宗教や言語など文化を徹底的に破壊してしまいました。


だます側とだまされる側


メキシコ先住民に、いつか彼らを滅ぼす神々がやってくるという言い伝え、思い込みがあったというのは、スペイン人側が書いているだけなので、事実かどうか怪しいという説もあるようです。

『メキシコ征服記』を書いたデル・カスティーリョも、それをベースに『メキシコの夢』を書いたル・クレジオも、アステカ人がスペイン人を神々だと信じたことをコルテスが最大限に利用したと語っていますが、もしこの迷信的な思い込みが先住民になかったとしても、彼らは自分たちの神々や言葉の呪縛をスペイン人に利用されて征服されてしまったんじゃないかと僕は思います。

少し後にピサロ率いる別のスペイン遠征隊に征服されたインカ帝国は、特にスペイン人を神々と勘違いしていなかったようですが、やはり交渉の過程で王が人質にされてしまい、インカで王は神のような存在だったため、黄金を言われるままに差し出した挙句、王は殺され、後継者たちによる抵抗も鎮圧され、帝国は滅ぼされてしまいました。

結局、どこに勝敗を分けたポイントがあったかというと、古代的な価値観を共有していた先住民が、神々の監視の下で口にした言葉・約束は神聖なもので、それを破れば天罰が下ると真面目に信じていたのに対して、スペイン人は野蛮な異教徒をだまそうが約束を破ろうが、自分たちのキリスト教の神はなんとも思わないと考えていたということなんじゃないかという気がします。


一神教の思い込みと多神教の幻想


一神教は多神教に対する批判と、それを乗り越えることによって生まれた宗教のあり方です。つまり一神教の教徒は多神教とその教徒たちが存在し、自分たちとどう異なっているかを知っているわけです。

しかも彼らは異教徒や異端を認めませんから、スペイン人にとって異端の多神教を信じる先住民は、キリスト教に改宗しないかぎり、生きる権利もない動物みたいな存在であると見なします。

つまりスペイン人は最初からメキシコ先住民を上から見下していたことになります。それは一神教のルール内でしかものを見ない、偏狭かつ非理性的・不合理な思い込みにすぎませんが、この思い込みが、銃や騎馬兵や鉄製の武器・武具などの先住民を驚かせ、恐れを抱かせた道具類と相まって、彼らを終始優位に立たせることになったのも事実です。

これに対してメキシコの先住民も南米の先住民も、古代の多神教的な世界に生きていて、しかもまったく世界観の違う世界を知らなかったため、スペイン人のように異世界からやってきた連中に対応するにも、自分たちの神々が支配する世界の法則に従うことしか知りませんでした。

スペイン人はその古代的な純真さを未開人の野蛮さ幼稚さと解釈し、言葉でうまいことたぶらかすことができると判断したわけです。そして、このスペイン人の傲慢な思い込みは、勝敗を決めるゲームにおいては正しく機能しました。

侵略のゲームにおいては、本質的な理性・非理性のあり方とは別に、こうした思い込みがヨーロッパ人に有利にはたらいたことになります。


今も続く勘違い


今のグローバルな価値観では、先進国側がそれ以外の地域の人々を見下す考え方は、差別的で身勝手で野蛮であるとされていますが、そういう多様性を尊重する価値観が世界に広がったのは、20世紀の後半あたりからです。

それまでの欧米先進国は、身勝手かつ差別的な価値観で世界を支配してきたし、16世紀大航海時代の侵略・征服ゲームでは、スペイン人はなんら良心のとがめを感じることもなく、先住民をだまし、侵略し、征服することができました。

現在の先進国も、未開人や後進地域も含めて、様々な民族や宗教の多様な価値観を容認するようになってはいるものの、だからといって自分たちの科学的・理性的・合理的な価値観が絶対的に正しく、全世界の国家も社会も経済もこれに基づいて運営されるべきであるという立場は崩していません。

先進国の異民族に対する寛容さは、大航海時代に始まった侵略・征服・支配のゲームの勝利・優位性を維持し続けている豊かな強者の寛容さであり、ゲームに負けた敗者・弱者と自分たちを対等に置くような寛容さではないのです。

その意味で、大航海時代の征服と支配の価値観は、今のグローバルな世界でも存続していると言えるでしょう。


ゲームの勝敗と現実の征服


征服や支配のゲームは、異なる価値観を持つ民族や国家が、それぞれの仮想化された領域の基準にしたがって戦われます。

大航海時代以降、近代ヨーロッパの国々が、世界を征服できたのは、彼らの科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが、異なる価値観を持つ民族や国家を相手にした侵略・征服・支配のゲームにおいて優れていたからです。

メキシコ征服でも、スペイン人が勝者になり、先住民が敗者になったのは、侵略・征服ゲーム上のことにすぎません。この勝敗によって先住民側の文化や信仰の価値が下がったりなくなったりしたわけではありません。

しかし、このゲームの敗戦によって、彼らの文化や信仰はほぼ破壊されてしまいました。スペイン人はアステカ帝国の首都の、今のメキシコシティの中央広場あたりにあった神殿や宮殿を破壊し、その上にカトリックの大聖堂や総督府を建てました。

先住民の多くはスペインからやってきた入植者たちと混血し、今のメキシコ人が生まれました。メキシコ人の人口比率は、約8割がメスティソと呼ばれる先住民とスペイン人の混血で、1割がクリオーリョと呼ばれる混血していないスペイン人、残りの1割がインディヘナと呼ばれる混血していない先住民と言われています。

征服や支配のゲームは、異なる価値観を持つ民族や国家が、それぞれの仮想化された領域の基準にしたがって戦われます。

大航海時代以降、近代ヨーロッパの国々が、世界を征服できたのは、彼らの科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが、異なる価値観を持つ民族や国家を相手にした侵略・征服・支配のゲームにおいて優れていたからです。

メキシコ征服でも、スペイン人が勝者になり、先住民が敗者になったのは、侵略・征服ゲーム上のことにすぎません。この勝敗によって先住民側の文化や信仰の価値が下がったりなくなったりしたわけではありません。

しかし、このゲームの敗戦によって、彼らの文化や信仰はほぼ破壊されてしまいました。スペイン人はアステカ帝国の首都の、今のメキシコシティの中央広場あたりにあった神殿や宮殿を破壊し、その上にカトリックの大聖堂や総督府を建てました。

先住民の多くはスペインからやってきた入植者たちと混血し、今のメキシコ人が生まれました。メキシコ人の人口比率は、約8割がメスティソと呼ばれる先住民とスペイン人の混血で、1割がクリオーリョと呼ばれる混血していないスペイン人、残りの1割がインディヘナと呼ばれる混血していない先住民と言われています。

長くなったので、続きは次回に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?