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三千世界への旅 魔術/創造/変革5 ユダヤ人追放とルネサンス

ヨハネス・ロイヒリン


すでに紹介したドイツの思想家ヨハネス・ロイヒリンは1455年生まれで1522年没なので、1452年生まれ・1519年没のレオナルド・ダ・ビンチとほぼ同世代に生きた人です。

フランセス・イェイツによれば、彼はルネサンス期の人文主義者であり、古代ギリシャ・ローマだけでなく、ユダヤの学問にも精通していました。若い頃にイタリアを訪ね、ピコ・デッラ・ミランドーラなどイタリア・ルネサンスを代表する思想家のグループに会っているので、たぶんロイヒリンはミランドーラの神秘主義に影響を受けたと思われます。

彼が生きた時代のドイツは宗教改革直前で、カトリック教会の腐敗によってスコラ哲学は影響力を失い、エラスムスの人文主義がそれに代わる思想として評価されていました。しかしフランシス・イエイツによると、ロイヒリンにはエラスムスの「人文主義的教養のカリキュラムは不充分に思われた」ようです。


神秘主義の学問カバラ


「彼にとっては、教養だけでは足りなかった。彼はスコラ哲学に代わる哲学、空虚ではなくて力を持つような哲学を必要とした。彼はそれを効力ある魔術という核を備えた新プラトン主義の中に見出した。しかし彼は、多くの人が効力のある魔術を悪魔的かもしれないと恐れていたのも知っていた。彼にとってカバラ的魔術はこの心配を取り去るものであった。というのは、これは聖なる力、天使、神の聖なる名称にのみ関係したからである」(フランセス・イエイツ『魔術的ルネサンス』P.48 内藤健二訳)


つまり魔術を提唱するとカトリックの信者たちから悪魔的な魔術と思われてしまうので、カバラ的魔術を提案したということのようです。

このカバラというのは、元々ユダヤ教の秘術、神秘主義の学問として伝えられてきたもので、すでに紹介した伝説の神秘思想家・錬金術師ヘルメス・トリスメギストスを源流として、地中海世界からヨーロッパで広く、しかし密かに研究されてきました。

このユダヤ教カバラの影響を受けて、キリスト教徒の神秘主義が生まれたとイェイツは『魔術的ルネサンス』で語っています。


ユダヤ人追放とルネサンス


そもそもなぜヨーロッパ、特にイタリアでまずルネサンスが始まったかというと、15世紀末にスペインからイスラム勢力が完全に駆逐されて、国土回復が完了し、ユダヤ人がスペインから追放されてその多くがイタリアに渡ったたことがきっかけだったというのがイェイツの考えです。

イスラム勢力は、8世紀から北アフリカから南ヨーロッパまで広く地中海沿岸を征服し、いわゆるサラセン帝国を構築していました。特にスペインとポルトガルからなるイベリア半島はほぼ全体がイスラムの支配下に置かれました。

キリスト教勢力の反撃で南ヨーロッパの領土は徐々に奪還され、スペインがその南部に残っていた最後のイスラム教徒の領土を奪回したのが、1492年つまりコロンブスがスペイン王の出資で大西洋を渡り、インドに行こうとしてアメリカの西インド諸島にたどり着いた年です。

スペインはイスラム教徒をイベリア半島から追い出すと同時に、ユダヤ人も追放しました。


ユダヤ人に寛容なイスラムと非寛容なカトリック


今のイスラム系の国のイメージからは想像しにくいかもしれませんが、当時のイスラム教徒はユダヤ人にずっと寛大でした。特にユダヤ人に対してというより、あらゆる宗教や文化に対してオープンだったと言った方がいいでしょう。そもそもイスラム教はユダヤ教を源流とする宗教ですし、創始者のムハンマドはそこから多くのことを学んでいます。

イスラム教は砂漠の都市を拠点として活動する商人たちに広がりましたから、ユダヤ教だけでなく色々な宗教の民族・部族に対してオープンでした。サラセン帝国はアレキサンダー大王が中東やエジプトに伝えたギリシャ文化も引き継ぎました。イスラムの帝国はヨーロッパが中世の停滞期にあった期間、多民族の文化や学問、技術を積極的に取り入れ、活用することで栄えたのです。スペインを最後に支配していたイスラム勢力であるマウリヤ王朝も、ユダヤ人の学者や技術者を登用して、独自の芸術・文化を発展させていました。

しかし、スペイン王朝とカトリック教会は、イスラム王朝と違ってユダヤ人に非寛容だったようです。1492年にスペイン王朝がイスラム勢力を領土から駆逐したとき、ユダヤ人の学者や技術者たちも追放されました。

その中にはユダヤ教神秘主義、ユダヤ教カバラの研究者たちもいて、彼らの一部はイタリアに逃れ、その影響でイタリアにキリスト教カバラの研究が花開いたとイェイツは言います。

もちろんユダヤ教カバラの影響だけでルネサンスが始まったわけではなく、古代ギリシャ・ローマの文化の影響も見逃せません。
しかし、この古代ギリシャ・ローマ文化の再評価がこの時期に始まったのも、長い間その文化を吸収して活用してきたイスラム圏と、そこで活動してきたユダヤ人の学者たちの影響が、重要な役割を果たしたからだとイェイツは考えています。


ユダヤ教神秘主義とルネサンス


そういう観点からヨハネス・ロイヒリンが言っていることを振り返ると、ルネサンスという文化運動がまた違って見えてきます。たとえば彼の代表作『驚くべき言葉について』は、キリスト教カバラを解説した本ですが、ギリシャ人シドニオスとユダヤ教徒バルシアス、キリスト教徒カプニオンという3人の学者による座談会という形式で書かれています。

3人が何を語っているかというと、まずユダヤ教徒バルシアスは、「カバラをユダヤ教徒の間で口伝によって伝って来た心的な学として称賛」し、「神が天使に語る時の言葉として、また神と天使の真の名前が表現される言葉としてヘブライ語を称賛する。」

さらに「イエスの名前を、後にキリスト教カバラ主義者が用いたテトラグラマトン(神ヤハヴェを表す4つの文字)と結びつける」方法を知っていたヒエロニムスについて語ります。キリスト教徒カプニオンは「イエスはテトラグラマトンにSを挿入したもので、メシヤであることのカバラ的証明をする」。(『魔術的ルネサンス』P.46-47)

ユダヤ教の神ヤハヴェを表す神聖な四つの文字は、アルファベットではYHWHなので、これにただSを挿入しただけではイエス/JESUSにならないと思うんですが、カバラの秘法に従って操作するとイエスになるのだそうです。


ユダヤ+ギリシャ+キリスト教の神秘主義


こういう占い的な文字遊びは僕の関心事ではないので、これ以上は掘り下げませんが、ここで興味深いのは、ロイヒリンの『驚くべき言葉』の中で、ギリシャ人とユダヤ教徒とキリスト教徒が3人で会話していることです。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、哲学に関する作品を、いくつも座談会形式で書いていますが、ルネサンスはプラトンの影響を受けて、そこに神秘主義をプラスした新プラトン主義という考え方をとる思想家たちの時代なので、『驚くべき言葉について』もプラトンの影響なのかもしれません。

この『驚くべき言葉について』には、ルネサンスを生み出したとイェイツが考える三つの要素、すなわちユダヤ教徒とキリスト教徒とギリシャ人の神秘主義がセッションしながら、ヨハネス・ロイヒリンが考える真理、それまで隠されていて、新しく発見された真理が語られているわけです。

ユダヤ教に神秘主義の一派があり、それに影響されてキリスト教にも神秘主義が生まれたと言うのはわかりますが、ギリシャ人にも神秘主義者がいると言うのは、一見不思議な感じがします。ギリシャといえば古代でいち早く科学や哲学などの学問を生み出した、理性的な民族というイメージだからです。

しかし、ギリシャの科学と神秘主義は必ずしも無関係ではなかったようです。たとえば数学のピュタゴラスは秘術的な教団を組織して、自分の数学と宗教的な教義を守ろうとしました。その結果迫害され、攻撃されて、殺されてしまったと言います。

こうして見てくると、近代思想・近代的科学の始まりとされるルネサンスは、ユダヤ教神秘主義と、それに触発されて生まれたキリスト教神秘主義に、ギリシャの神秘主義と科学が融合することで生まれたと考えることができるのではないかと思えてきます。

ギリシャの科学的思考と神秘主義がどのようなものだったのか、ユダヤ教の神秘主義がどのようなものだったのかについて考えるには、今の僕の知識では不十分なので、もう少し勉強してから改めて考えてみたいと思います。

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