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決して知ることのできない、この世界の奥深い部分とは『フワッと、ふらっと、脳ホログラフィー理論』

『フワッと、ふらっと、脳ホログラフィー理論』


1. 波乗り解釈

 量子力学の古典的解釈によれば、

光や電子は、観測されるまでは「波(確率的な)」であり、

観測されると「粒子(モノ)」となるという奇妙な不思議さがあるということです。

(このような振る舞いをするものを「量子」といい、またこのような解釈をコペンハーゲン解釈といいます)

 コペンハーゲン解釈の他に、多世界解釈という考え方もあります。

(これらについては以下をご参照ください)

 それ以外にも、本稿で見るマンハッタン計画に大きな影響を与え、理論物理学だけでなく、神経心理学にも影響を与えた、

デヴィッド・ボームが唱えた「ドブロイボーム解釈(波乗り解釈、パイロット解釈等ともいう)」という考え方もあります。

 これは、二重スリット実験で見せた電子の不可解な現象に対して、

「ミクロの粒子(電子)が電子銃から発射されるに先立って、粒子は謎の波を出し、

この波に乗って粒子は、波まかせでサーフィンするように、いずれかのスリットを通り、スクリーンに到着する。」

と解する考え方です。

 これなら、コペンハーゲン解釈や多世界解釈のような、

「モノは観測する前は、波というよりは、あらゆる場所に存在する可能性の波、ようするに幽霊のようなもの。しかし、観測されるとモノ(粒子)となる。」

とか、

「多世界(パラレルワールド)がある。」

等の一般常識とは大きく外れる解釈ではなく、

「電子(あらゆるモノ)が分身の術みたいなのを使ったり、幽霊みたいになったり、世界がたくさんあったりするのではなくて、電子はちゃんと、いずれか一方の穴を通る。常識とも外れていない。」

という世間一般の人にも納得がいく解釈となります。

 ただ、問題は、電子が発射される前に発するという「謎の波」の存在です。

 この謎の波も観測されませんし、ゆえに確認することができず、

 またボームは、解釈をしただけではなくて、この「波乗り解釈」を元に方程式を提示しているのですが、これが、シュレーディンガー方程式に輪をかけて難解です。

 シュレーディンガー方程式で実利的な用が足りるのであれば、わざわざ難しい方程式を使う必要もないということで、ボームの解釈は大きな支持を得るには至らず、

その難解な方程式も使われることもなくなり、物理学史の中にだけ残るということになって、結局、観測問題も、コペンハーゲン学派の学説が通説となったということです。

 「多世界解釈」や「波乗り解釈」も真実かもしれないですが、現在はそれを観測する術がなく、確認しようがないため、もうここから先は科学で立証することは無理だということです。

 観測問題に関する解釈も、

「この世界の有り様はどうなっているのか?」

を解き明かすためにはじめられたものなのですが、

ここに至って、科学は,

「もう、これ以上、世界の有り様に深入りすることはできない。」

となり、

「それよりも、浮世でのテクノロジーの進化などを目指す」、

「道具主義(インストルメンタリズム)」となり、

道具として使われるようになったといっても過言ではないものと思います。

「科学でこの世界の全てを明らかにする」

という考え方は、希薄になってきたのではないかと思います。

 ところが、ボームはそうではありませんでした。

2. ホログラフィック宇宙

「波乗り解釈」を提唱したデヴィッド・ボームは、量子力学に基づく世界観として

ボームのホログラフィー理論」を提唱しています。

 この理論は、神経心理学者カール・プリブラムにも大きな影響を与えて、プリブラムは、「脳ホログラフィー理論」を打ち立てています。

 脳は、その大半を無くしても、記憶が薄れても、なくなることはありません。

 ということは、記憶中枢のような特定箇所はないということになります。

 そこで、プリブラムは、脳は、外界のエネルギー波動のパターンを一瞬にして読み取り解析し、

その情報を脳の全体に、干渉縞のように数学的に変換し符号化して与えると考えました。

 このような形で、脳のどのように小さな部分にも、脳の全体の情報が与えられるとしました。

 金太郎飴のようになるわけです。

 このような数学的操作は、フーリエ変換というもので行われます。

 なお、プリブラムは、脳だけが、ホログラム的であるのではなくて、宇宙全体がホログラム的であるとも主張しています。

 宇宙全体の情報が、そのホログラム的断片である脳にも含まれていて、

脳はこのようなホログラフィック宇宙を翻訳する一片のホログラムであるというわけです。

 ボームはさらに、人体だけではなく、この空間の全てに、宇宙全体の情報が含まれている、

その辺に落ちている紙切れにも含まれていて、空間にあるもの全てが、宇宙全体のホログラム的断片であるといいます。

 私たちの身体を全宇宙とすると、各細胞が部分となるわけですが、

その部分には、DNAが持つ遺伝的符号の中に全身の情報が含まれています。

 宇宙は、これと同様の構造をしているといいます。

 なら、こう思う人が多いことでしょう。

「空間のどの部分にも、全宇宙の情報が織り込まれているのなら、なぜ私たちは、宇宙の全てを知ることができないのか?

宇宙の全てどころか、DNAが持つ遺伝的符号の中にある全身の情報すらもわからない。

身体の高度な機能すらも自分の身体のことなのにわからないし、自分の心のことすらもわからない。なぜこんなにわからないことだらけなのか?」

3. この世界の奥深い部分、暗在系

 これに対して、ボームは次のように述べます。

 ボームは、数学や量子力学を駆使しながら、理論的に言っているのですが、概要的にまとめると、

「宇宙の秩序には、

開示された秩序明在系)」と

織り込まれた秩序暗在系)」とがあり、

織り込まれた秩序」は、

原理的に知り得にくいようになっているため、

全体を操っている大きな秩序を、部分は原則として知るよしもない。」

ということです。以下のような例えで考えてみます。

 ガラス製の容器の中に、

それよりも小さな同じくガラス製の容器を入れ、

両者の間の隙間を、グリセリン液で満たし、

不溶性のインクの滴を入れ、

内側の容器をゆっくりと右に回転させると、

滴は、細い糸のようになって引き伸ばされ拡散されて、

やがては見えなくなります。

 しかし、今度は逆方向の左に内側の容器を回すと、インクが再び、ゆっくり集まってきて、最後には再び目に見える元の滴へと凝集します。

 時間差で3滴垂らして、同様のことをし、

いずれの滴も見えなくなったときに左方向に逆回転すると、

まず3滴目の滴が目の前の中央に復活します。

 しかし、さらに内側の容器を左に回すと、

3滴目(最初に復活した滴:過去)は左端に消え、

2滴目(現在)が目の前の中央に復活します。

1滴目(まだ復活していない滴:未来)は、依然右側にいて復活していません。

 ですが、3滴目(最初に復活した滴:過去)も、

1滴目(まだ復活していない滴:未来)も、

グリセリン液(全体)の中に織り込まれて、

確かに存在しているはずです。

 ただ、目の前中央に見えないだけです。

 この場合の、グリセリン液(全体)や、

そこに織り込まれた3滴目(過去)、1滴目(未来)が、

「織り込まれた秩序(暗在系)」となり、

2滴目(現在)だけが、「開示された秩序(明在系)」となります。

 そして、私たちは、この2滴目の世界の中にいるので、

「開示された秩序(明在系)」しかわからず

確かにあるはずの、「織り込まれた秩序(暗在系)」のほうは、原則としてわからないことになります。

 ところで、インクの滴が、内側の容器を回すことによって、

このように「織り込まれた秩序(暗在系)」に消えていったり、

「開示された秩序(明在系)」に現れたりする様は、

電子が波動コト・情報)となったり、

粒子モノ)となったりする様とよく似ています。

 この「織り込まれた秩序(暗在系)」こそが、

世界の奥深い部分」です。

 他の科学者と異なり、

ボームは、科学は道具主義となるのではなく、

なんとか「織り込まれた秩序(暗在系)」を知る手立てを見つけ、暗在系を基礎として、

人間の心を含めた、全ての存在を、分割し得ない全体として扱わなければならない、

と言い残しているそうですが、

そういうスタンス取る科学者は少なく、実利的科学者のほうが現在は多いのかもしれません。

 ボームのいう、暗在系のようなものがあったとしても、

科学はそこまで踏み入る必要はないと多くの科学者は考えているのかもしれません。

 なお、世界は前述の2重のガラス容器のようだとすると、

現在」だけが存在するのではなくて、

全体の中に「過去」・「未来」も織り込まれており

過去は過ぎ去り無くなったもの、

未来はまだ来ていないものではなく、

ただ見えないだけで、

現在と同時に、過去未来も、全体の中に存在していることになります。

 そしてまた、内側の容器を回すことによって「過去」・「未来」を現出させることも可能になります。

 このような考え方は、下記の実験内容に似ているところがあるのではないかと思います。

「互いに連動する光子のペアをたくさん作り、一方の光子を適当に飛ばしてスクリーンに当てた上で、他方の光子の経路を気まぐれに調べたり調べなかったりする。
スクリーン上の光子のうち、相手の光子がたまたま調べられなかったものだけを取り出してスクリーンを感光させると、そこには干渉縞ができている。
 逆に相手の経路が調べられた光子だけを取り出すと、干渉縞は見えない。
 相手のどれを調べるかは後から決めたのに、そのことが先に飛んできた光子の過去を書き換える。
 光子の運命はいつ決まるのか。
 名古屋大学の谷村省吾教授は、光子が観測器に飛び込んだ時ではなく、それよりずっと後、「人間がいるマクロな世界で結果が確認された時」だと見ている。
 それまでは光子の過去は変更可能だという。」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2000S_Q2A120C1000000/
(光子の過去を変える!? 量子力学の不思議な実験日経サイエンス)

 かなり、精読しないと、理解しにくい実験内容かもしれませんが、

ようは「(モノの)過去は変更可能」だということを言っているものと思われます。

参考文献)『脳とテレパシー』 ノートルダム清心女子大学教授 濱野恵一著 KWADE夢新書 1996年


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