映画『美女と野獣』から男性性と女性性の関係を学ぶ
今回は久しぶりの、映画で男性性と女性性の統合を学ぼうシリーズの第2弾です。
(ちなみに第1弾はこちら)
ちなみに本記事で参考にするのは、2017年版エマ・ワトソン出演作の『美女と野獣』になります。
今回、ふと何気なく“見たことないから見ておくか~”程度の軽い気持ちで視聴したことがきっかけでしたが、
男性性と女性性の関係性を学ぶ上で気づきがあったので、それをまとめます。
さて、
すでにタイトルを見て、どんな内容かピンと来た方もいるかもしれません。
『美女と野獣』のあらすじをものすごく簡単に説明すると、
となります。(ざっくりではありますが)
ご存じの通り、『美女と野獣』はラブロマンス映画として知られています。
醜い野獣の姿に変えられた王子が、運命の女性と出会うことで本当の愛を知り自らにかけられた呪いを解くという、
とてもロマンチックで、女子心をくすぐるような展開となっています。
ただ、ツインレイと出会って以来、男性性と女性性の統合についていろいろ考えてきた身からすると、
『美女と野獣』はただのラブロマンスではなく、一人の人間の中における
女性性=ベル
男性性=野獣
としてとらえると、両者の性質(特に男性性)の特徴が実によく描写されていると感じました。
まず、野獣のキャラクター設定について。
美しかった王子は、その傲慢な性格から醜い野獣へと姿を変えられてしまいます。
私はここで、インナーチャイルドが傷ついた状態がよく表現されているなと感じました。
つまり、
野獣である
=こんな自分では愛されない
=インナーチャイルドが傷ついたメタファー
として見ると、実にしっくりきます。
(※ちなみに漫画『フルーツバスケット』にも似たようなキャラクターが出てきますが、そちらもインナーチャイルドが傷ついた姿としてのメタファーになっているように思います)
実際王子は、幼い頃に母親を亡くし愛情のない父親に育てられた結果、粗野で冷酷な性格となったことが描かれています。
映画では、醜い姿に変えられたこと自体が傷ついたインナーチャイルドのメタファーに見えますが、その根底には、
“こんな自分では誰からも愛されない”
というアダルトチルドレンが抱える呪いが、野獣の姿と重なります。
私は、“インナーチャイルドが傷つくと男性性が暴走する”ととらえているのですが、
映画でも、序盤で野獣の姿に変えられた王子は塔の中に閉じこもり、被害妄想的で感情的になりやすく、暴君と化しています。
(※ここらへんの詳しいメカニズムは、また今度の機会に書きたいと思います)
インナーチャイルドが傷ついていると、女性性を無視して必要以上に実績や成果を外の世界に求めようとし、
まるで女性性が存在していないかのように振舞ってしまいます。
そこで登場するのが、ベル(女性性)です。
本作のヒロインであるベルも、王子と同じく母親を早くに亡くしましたが、
本を読むのが好きで賢く聡明だったため、村の人たちから“変わり者”と揶揄され、孤独を抱えながら生きてきました。
劇中で、2人の共通点としてそれぞれが孤独だったと打ち明けるシーンがありますが、
ベルと野獣の間には、決定的な違いがありました。
それは、“父親からの無条件の愛”です。
ベルは、父親から愛されて育ちました。
女性性は、“無限に湧き出る泉”に例えられることがありますが、
一方で男性性は、女性性の望みを叶える性質から、ある種依存的な存在とされています。
簡単に言ってしまうと、女性性は望むことで、男性性はそれを叶えることで、エネルギーがうまく回るとされています。
ベルは父親から愛されていた一方で、野獣は父親からの愛情を得られずに育ちました。
そのため、
ベル=自己存在に疑いがない女性性
野獣=自己存在に疑いがある男性性
として見ると、それぞれの性質をよく表しているようにも思えます。
私は長い間、傷ついたインナーチャイルドが原因で、男性性が暴走してきました。
完全に“モラハラ亭主”となり、自分の中の感情や感覚(女性性)を無視し、外側の世界から成果や賞賛を得ようとがむしゃらに頑張ってきました。
そんな中で、本当の自分として生きるために、男性性と女性性の統合に向き合わざるを得ない状況に追い込まれました。
暴君だった野獣も、ベルと出会うことで人(女性性)を愛することを学びます。
劇中歌『ひそかな夢』という歌に、
人生は思い通りだと思っていた
1人で完結していて、誰も必要としなかった
という過去の描写があります。
私はこの歌を聞いたとき、女性性の存在を完全に無視していた時代の自分の心理とすごくリンクするなと思いました。
しかし、男性性が内側の世界を無視ばかりしていては、当然ながらうまくはいきません。
本当の自分として生きるには、自分の中で男性性と女性性が愛し愛されるという正しいパートナーシップを結ぶ必要があります。
お互いの性質を尊重し合い、支え合う関係があるからこそ、私たちは理想の世界を自らの手で創造していくことができます。
野獣も、ベルと出会ったことで、ベルを守り愛すること、ベルと共に生きていくことを望むようになります。
私たちにとって愛すべき存在は、性別関係なく一人ひとりの中にきちんと存在しています。
それが女性性であり、内なる自分が秘めた豊かさなのです。
実績や他者からの賞賛は、本当の意味で自分の心を満たしてくれません。
女性性が姫、男性性が騎士となって自分の中でお互いにしっかりと信頼関係を結び、それぞれの性質を活かしてパートナーシップを結んでいくこと。
きちんと内側の世界に目を向け、
騎士は姫を世界一幸せにすると誓うこと。
また、
姫は騎士から愛される自分を信じること。
この内側の性質どちらも愛し育むことの大切さを、今回映画から改めて教わった気がします。
私たち一人ひとりが自己内で“インナーマリッジ”の状態になれば、おのずとその内面を反映した現実を引き寄せることが出来ます。
もしも今、パートナーシップで悩んでいる方がいたら、相手との関係がどうであれ、
自分は自分の望みを叶えているか?
自分は自分の声をちゃんと聞けているのか?
世間体や常識を優先して心の声を無視していないか?
と、自分に問いかけてみてください。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました🍀
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