
『トゥルーマン・ショー』に見る女性性と男性性の統合
他の記事を投稿しようとしていましたが、
映画『トゥルーマン・ショー』を見たら衝撃があまりにも強すぎたので、
今回は、“『トゥルーマン・ショー』に見る女性性と男性性の統合”というタイトルで書きます。
女性性と男性性の統合と聞くと、なんとなくスピリチュアルな響きがしてピンと来ませんが、
“人生がなんとなく行きづまっている”
“誰かに背中を押してほしい”
と感じている方全般に当てはまる内容なので、ぜひ読んで頂けたらと思います。
さて、
『トゥルーマン・ショー』は有名な映画なのでご存じの方もいるかと思いますし、タイトルを見てピンときた方もいるかもしれません。
あらすじはというと…
典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は、どことなく不自然だ。それもそのはず、実は彼の人生は、隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ!家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った彼は、現実の世界への脱出を決意する…。
『トゥルーマン・ショー』は、見る人によって喜劇にも悲劇にもなるストーリーで、メディアや監視社会への皮肉としても考察されていますが、
今回は女性性と男性性の統合という観点から見てみます。
主人公トゥルーマンは、自分の私生活が生まれてから24時間ずっとTV番組として世界中に放映されていることを知りません。
親友も、妻も、両親でさえも“ニセモノ”で、作られたフィクションの人間関係の中で生きています。(本人だけが“本物”と思っています)
そんなニセモノの妻とトゥルーマンのある会話に、私はハッとさせられました。
その会話のシーンとは、こちら。
子どものころから探検家になるのが夢だったトゥルーマンは、
“8000ドルあれば1年中世界旅行ができる”
と目を輝かせて話しますが、妻は
“その代わり5年前の生活に逆戻りよ”
“まるでティーンエージャーね”
“家のローンはどうするの?”
“車のローンも踏み倒して行く気?”
と、たたみかけます。
それでもトゥルーマンは、“冒険旅行がしたい!”と引きませんが、妻は“私は赤ちゃんがほしい、それも楽しい冒険よ”と対抗します。
それに対してトゥルーマンは、
“赤ん坊は先でもいい。広い世界を見て回りたいんだ!”
と必死に訴えかけます。
しかし妻は、“そういう衝動って誰にも起こるものなのよ”と、トゥルーマンの願いを一蹴してしまいます。
それもそのはず、世界旅行に賛同したら、TV番組ということがバレてしまいます。
それでは困るので、妻は必死にトゥルーマンの望みを打ち消そうとしたのです。
しかし、私はこのシーンを見て、異様に衝撃を覚えました。
なぜなら、ずっとこういった会話が、今まで頭の中で繰り広げられてきたからです。
自分の中に湧き上がってきた、“あれがしたい!”“これがしたい!”という衝動に対して、
お金はどうするの?
今さら無理に決まってる
そんなの誰もやってない
もっと現実的に考えたら?
などと言って、ことごとく打ち消してきたのです。
平たく言ってしまうと、
“あれがしたい!”“これがしたい!”を司るのが、感情・直感・純粋の女性性です。
そして、
“おっけ!じゃあその願い、叶えたろ!”が、決断・行動・冒険の男性性です。
私はこれまで、女性性をないがしろにして生きてきました。
“自分の直感とか感性って、ムラがあって当てにならないし子どもっぽいし幼稚だし、
第一お金にならない”と、どこかバカにしてきた部分があったんです。
そして、それこそ“赤ちゃんが欲しい”と言った妻のように、大人ならこうあるべきものという普通にとらわれて生きてきました。
なので、このシーンを見て衝撃を受けたんです。
この会話を、頭の中でやってきてたわ…と。
そして、なんて自分で自分を狭い世界に押し込めようとしてきたんだろうかと、痛感しました。
映画中盤で、まわりの様子がおかしいことに気づいたトゥルーマンは、
監視員の目を盗み街を抜け出そうと、ヨットで海へと漕ぎ出します。
そこで、脱走されないように人工的に嵐にされ(街自体がセットなので天候も操作できる)大波に襲われながらも、
“殺せるなら殺してみろ!”と抵抗し、ついには街の“はしっこ”までたどり着きます。
このときのトゥルーマンは、かなり男性性が開花しています。
女性性でキャッチした違和感を押し殺さずに、“冒険したい”という願いを叶えるため、
街を脱出するという決意をし、何度失敗しても諦めません。
そして、ついに外の世界に通ずるドアを発見し、踏み出そうとしたそのとき、
TV番組のプロデューサーが、彼を行かせまいと話しかけます。
自分はいったい誰なのか、全部作り物なのかと尋ねるトゥルーマンに、
“君はスターだ”
“君は本物だ。だから人が見る”
と、そのプロデューサーは答えます。
“外の世界より真実があるのは、私が創った君の世界だ”
“私は君のすべてを知っている”
と言い、こう続けます。
“君は怖いから外へ出ていけないんだ”
“君は逃げ出せない”
しかし、トゥルーマンはそれに対して何も言わず、外の世界に踏み出していきます。
何もかも統制され、守られた世界は、確かに安全です。
しかし、冒険はできません。ワクワクもしません。
それでは、心が死んでしまいます。本当の自分には、いつまでたっても巡り会えないのです。
人は本来、一人ひとりがスターなんです。本物なんです。
ただ、誰かや何かの世界に真実を見出そうとしても、うまくはいかないんです。
他人という存在は“現象”でしかなく、いつだって真実は自分の中にあるんです。
だからこそ、現実は自分が創っていけるんです。自分自身で選んでいけるんです。
選択権は、いつもあなたの中にあります。
あなたが選べるんです。
あなたが選ぶ立場で、それ以外のものは選ばれる立場なんです。
だから、あなたが望んでいいんです。
あなたが望む世界は、他の誰でもない、あなたが創っていくもので、創っていっていいんです。
“なかなか一歩が踏み出せない”
“自分自身の力を信じ切れない”
といった方は、『トゥルーマン・ショー』をおすすめします。
見ていて、“この自分でいいんだ”と勇気が湧いてきます。
私も、彼のように直感に従って思考のブロックを一つずつ取り外し、シルビアに会いに行きたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました😌
※関連記事
いいなと思ったら応援しよう!
