第1章 白熊家は『武家』だった?-第1話 白熊家の食卓-


私は、白熊家の三男として生を受けた『白熊 誠(シロクママコト)』。
今は某大手企業に勤めるしがない33歳のサラリーマンである。
父、母、兄が2人おり5人家族である。長兄は6歳上の【太志(フトシ)】。次兄は4歳上の【正樹(マサキ)】。
物語は私の小学生に遡り始まる。
両親の夫婦関係は良好であったが、典型的な亭主関白ぶりで男子(父)が何よりも偉く、その次に男子(長兄の太志)が家長の次に権力を握るような一家であり、父の考え方も古く、それはまるで武家の様な一家であった。
なぜならば、食卓では父が仕事から帰るまでは母は夕食は一切食べずに待つ。
そして父が帰宅すると皆の背筋が伸びて、家来のように家族揃って『おかえりなさい!』と大きな声で出迎える。まるでお殿様だ。
また、食卓に並ぶ父の器も母や子供達に配膳する器とは比べ物にならないほど、その量も大きさも全くと違うものであり特別だ。
それこそ権力の象徴だった。献立としては、必ず刺身がありそのお供にビール。
その横に灰皿が脇を固める。
私は幼少期から食欲旺盛であり、いつも父の夕食をみては羨ましいと思うのだった。
まずは、刺身とビール。ビールを一杯飲み干すと焼酎へと移行する。
母も飲みすぎる日は『あなた、呑みすぎよ』と呆れるが、父は『まだこんだけしか呑んでおらんよ』とクスッと笑い、誰も指図はできず、ただのいつもの母と父の合言葉になっていた。
食事が終わるとささっとお皿達は母や子供達(次兄の正樹や私)によって食卓から退散する。食器洗いは母や正樹や私で行われる。食後に一服したタバコの灰皿を新しい灰皿に替える。
そして、食事が足りぬとインスタントラーメンを追加で作ってあげるのだ。

ある日、長兄の太志が育ち盛りのため、母の作った夕食を平らげた後にインスタントラーメンを作り食している時に父が帰ってきた。
普通であれば育ち盛りの我が子がたくさん食べて大きくなるので『おっ、よく食べているな、いいぞ』などの言葉を掛けられるものかと思うのだが、父は違う。『お前は母さんの作ったご飯を大切に食べずにラーメンを食べるとはどういうことか!?けしからん!』と太志に激怒した。
父だって食べているのに、なんとも理不尽である。父に出される食事の量と育ち盛りの子供達に出す量とでは、神棚に置かれる小鉢に乗っかるご飯と普通の茶碗の差ぐらいあるので子供達は全く足りないのだ。
母が控えめにフォローを入れるも聞く耳を持たず、不機嫌な表情を浮かべお風呂場に向かう。
太志を横目に見た私は、怯える表情と理不尽なことを受け不貞腐れた顔を浮かべながら麺を啜る太志の顔が忘れられない。なぜそこまで食べるのか。

食卓に出させる子供達のご飯の量はまったく足りず、私と正樹はその事で日常茶飯事に喧嘩を繰り広げた。
理由は簡単だ。ある日の夕食では、正樹と私の鶏の唐揚げの大きさと量だ。私は2個、正樹は3個。それなのに私の2個よりも1個多いいうえに鶏のサイズも正樹の方が大きいではないか。
それを正樹に迫り鶏を交換しろとせがむ私。
あまりにしつこい私を横目に太志は『おい、正樹あいつをやっちまえ』と正樹に指示する。譲らぬ正樹と和室に移動し殴り合いを行う。
そして必ず私は泣かされ、こてんぱにやられるのだ。食卓に帰ると決まって『お前は弱いんだから逆らうなよ』と太志に嘲笑われるのだ。
結果、戦いに敗れた私は小さな鶏のモモ2個のままなのだ。悔し涙を浮かべながら食していると、横目に太志の皿が見えた。あいつの皿には唐揚げが4個もあるではないか。6歳も離れる長兄太志には、恐ろしくて逆らうどころか小言すら言えない関係だった。
これが白熊家の上下関係である。

話しは先ほどの長兄の母の夕食を粗末に食べたと認識し激怒した父の話に戻る。その後の顛末は最悪である。機嫌の悪い父がいる食卓は地獄のようにシーンと葬式のようだ。
子供達も会話は一切なく、黙ってテレビに必死に目を向け気を紛らわせるのだ。父から急にジャブを打たれるように話しかけられると、驚いてなぜか学校にいる怖い先生から説教を受けられている時のように萎縮した。
特に何か悪い事をした日の夜は、テレビを消され説教タイムが始まるのだ。この時間は本当に生き地獄である。大抵が太志がヤンチャだったため、長兄の件で父が激怒してこのケースに至るのだ。直立不動の太志と鋭い眼光で睨みつける父の顔が忘れられない。

大人になり、妻と息子二人を持った私は、ふと当時の思い出を笑い話しにしていると、妻の反応がおかしいではないか。
この一家が少し異常である事に気づき始めるのであった。
−第1話完−

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