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影食らう鏡「ショートホラー」

今は廃墟寸前の町外れの骨董屋、埃と湿気が絡む店内の奥には、誰も手を触れようとしない一つの鏡があった。曇った銀の縁にひびが走り、表面には霧のような影が揺らめいている。その鏡は「影喰らう鏡」と呼ばれ、かつてそれを覗いた者は戻ってこないとささやかれていた。


大学生のシンは、その鏡に引き寄せられた。奇妙な話を研究する彼にとって、その噂は挑発に等しかった。真夜中、骨董屋の錠を外し、静寂に包まれた店内に足を踏み入れる。月光が鏡を照らし、鏡面が生き物のように脈動しているのが見えた。


「ただの鏡じゃないか…。」


そう呟き、シンは鏡の前に立った。だが、その刹那、空気が変わった。音が消え、まるで世界が息を止めたようだった。鏡の中に映る自分の姿が微妙に揺れ、口元が引き裂かれるように広がった。

鏡の中の自分が、笑っていたのだ。だがその笑みは不自然で、人間の形を保っていない。瞬く間に、鏡面が波打ち、黒い霧が溢れ出した。その霧は触れると冷たく、シンの足元に絡みつき、彼を固定するように締め付けた。


逃げ出そうとするも身体は動かず、鏡の中の自分がこちらを指差し、無音で囁いた。


「影を見よ。」


視界が暗転し、次に目を開けると、シンは真っ暗な空間に立っていた。そこには光はなく、ただ無数の目だけが浮かび上がっている。それらの目は彼を凝視している。


自分の耳元で囁く声が聞こえた。
「ここはお前の中。お前が見ぬふりをしたもの、隠したものが蠢く場所だ。」


目の前に現れたのは鏡の中の自分――だがその姿は明らかに異形だった。長い手足に裂けた口、そして目の奥には底のない闇が渦巻いている。


「お前の影は、もう俺のものだ。」


鏡の中の自分がそう囁くと、シンの足元から影が剥がれ落ち、黒い触手のようにその「もう一人」に絡みついていった。


「待て、返せ!」


シンが叫ぶも、異形は笑うだけだった。「お前は影を失った者だ。影を喰われた者は存在そのものが薄れていく。」


シンは逃げようとしたが、次第に自分の体が透明になり、消えていくのを感じた。


終わりなき囁き


数日後、骨董屋の前でシンの友人が彼を探していた。店は静まり返り、扉には鍵がかかっていた。店内には誰もいないはずだったが、ひとりでに鏡が曇り、そこに現れたのはシンの影だった。


だが、鏡に映る影は動き続けていた。視線を向けると影がこちらを見返し、薄い唇がこう囁くように動いている。


「次はお前だ。」


その後、「影喰らう鏡」は骨董屋ごと消えた。そして、別の町でその鏡を目撃したという噂だけが残る。噂を聞いて鏡を覗いた者は、全員行方不明になり、彼らの影だけが町の壁や床に不気味に焼き付いているという。


今夜、その鏡を見つけるのは、あなたかもしれない。



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