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母は入院、父は介護施設へ

空き家になったゴミ屋敷の実家を貸して、家賃収入 月11万円を達成した、主婦大家そらです。実家を貸した経緯については、自己紹介をご覧いただけたら嬉しいです。

実家が空き家になるまでに、誰もが通る道、それは両親の介護。
前回の記事では、お正月祝いができないから、おせち料理だけを取りにきてほしいと母に言われ、元旦に実家を訪れたことを書きました。


今日は、その続きを書きたいと思います。


元旦の母

元旦に実家に行き、玄関を開けると、そこに立っていたのは、まるで別人のように、顔も足も浮腫で腫れ上がった母でした。ぶつけて怪我したという右脚のふくらはぎには、包帯が巻かれています。

おせち料理を受け取ったら、とにかく、今日は帰って欲しいとのことだったので、すぐに帰路につきました。両親は元気だと思い込んでいて、のほほんとしていた私でもさすがに、その年の母の異常事態には、気がつかざるを得ませんでした。

母の病状

なんだか落ち着かない元旦のその夜、私はネットで母の病状について調べ始めました。ぶつけて怪我した右脚の傷が治らない、と言っていたことが頭から離れなかったからです。

母が糖尿病を患っていたことは、もちろん知っていました。でも、病院には母一人で通院していたこともあり、母から聞くより他は、父も私も本当の病状については、把握できていませんでした。

今振り返ると、当時、母の糖尿病は末期状態で、だからこそ、以前記事に書いたとおり、ガリガリに痩せていたのです。母は最近太らないと喜んでいたけれど、それは、もう、身体が栄養を吸収できなくなっていたから、だったのでしょう。

調べていくと、糖尿病は、糖尿病そのものよりも合併症に注意が必要で、合併症のひとつに傷が治りにくくなったり、足に症状が出て、最悪の場合、足の切断を余儀なくされることもある、ことがわかりました。

まさに母の症状はこれだ、と思った私は、糖尿病による足の症状を診断してくれる、フットケア外来というものがある大きな病院を見つけると、すぐ父に電話をして、病院を受診することを勧めました。その後、父がその病院に電話をして、専門の先生が来ることになっていた、1月6日に受診が決まりました。

今考えると、ここまでの状況なのに、私が母を病院に連れて行こう、とは思っていないところが、いかにそれまで、両親の介護は、私とは無関係だと思っていたかが表れている、と自分でも思います。

前回の記事にも書きましたが、母は自分たちの介護を私には絶対にさせない、という主義で、私も常々そう言われてきていたので、母を病院に連れていくのは父、と思うのが普通になっていました。

散らかった家で介護はできない

1月3日の夜になって、今度は、父から電話がかかってきました。
なんと、母と二人で入所できる介護施設を探してほしい、というのです。

その時は、母の体調不良の方が緊急度が高かったですが、そもそも父は、その前年の10月に間質性肺炎で専門病院入院し、その後、リハビリも兼ねて近所の病院に入院して、11月月末にようやく退院したばかり。父には圧迫骨折があり、母は動くのもままならず、その上、足の踏み場もないほど散らかった実家で、どうしたらいいのだろうかと、私も思っていました。

両親には、「とにかく早く、業者でもなんでも頼んで、ちゃんと住めるように片付けよう!」と、それまでに何度も、そう提案していました。でも、片付け業者を頼むのは絶対に嫌だ、と頑なに拒む母が原因で、私が実家の惨状を偶然目の当たりにした前年の11月から、片付けは全く進んでいなかったのです。

さらに母の場合は、家族以外の他人を家に入れることについて、極端に嫌がりました。家にヘルパーさんが来ることも、片付け業者が来ることも拒む母。にもかかわらず、明らかに体調が悪く、もしかしたら入院が必要になるかもしれない母。
そして、自分自身は、間質性肺炎と圧迫骨折の病み上がり。

父の出した答えは、母と二人で介護施設に入るというものでした。

家が散らかっていなかったなら、通いの介護ヘルパーさんに来てもらって、なんとかそのまま二人で生活ができていたと思います。でも、このように散らかった家では、それも叶いません。

散らかった実家の室内


片付けの本などには、家が散らかっていると自宅で最期まで過ごせない、というようなことが書いてありますが、あれは本当です。そして、今後書く予定ですが、部屋が散らかっていたら、亡骸を安置することさえできないのです。

この家の惨状と両親の体調、そして、母の性格を考えると、介護施設を探すしかないな、と私も納得し、介護施設を探し始めたのでした。

介護施設選びとそのポイント

ほんの2ヶ月前までは、両親は元気だと思っていたので、介護施設のことなんて考えたことさえなく、何から手をつけたらいいのか、わからないことばかりでした。

とにかく、一刻も早く、両親が入れる施設を探さないといけない、とネットで調べると、いろいろな介護施設の資料を一括請求できるサイトがあったので、とりあえず、実家の最寄駅の周辺にある施設にしぼって、実家に届くように、資料をを請求しました。

実家に資料が届くと、父は資料に目を通し、実家から徒歩10分くらいのところにある、介護施設を選びました。両親が行くコンビニやファミレスもある、よく知ったエリアで、とにかく、家から近い、ということが決め手だったようです。他にも、実家からは少し離れるけれど、最寄駅からバスで行けるところに、設備も良く、もう少し費用を抑えたところなどもあったのですが、そんなところは遠い、とのことで却下されました。

この後、両親が他界するまで、何度も目の当たりにすることになるのですが、とにかく、歳をとると家に近い、慣れているエリア、ということがすごく重要になるようでした。

私自身は、これまでいろいろな理由で、何度も引越しをしてきたので、両親が実家周辺にこだわることに対して、当時、あまりピンと来なかったのですが、身体が弱ると、元気な頃には、なんてことなかった場所が遠く感じるのと、新しい場所には不安を覚えるようです。

以前テレビで、田舎に一人で住んでいた母親を都内の自分の家の近くに呼び寄せたところ、それまでのような近所付き合いがなくなって、認知機能が衰えたり、精神不安定になった、という特集がやっていたのを観たことがあるのですが、両親二人を看取った後は、その意味がわかるようになりました。
歳をとるほど、慣れた環境と住み慣れた家が大切になるようです。

母は即入院、父は介護施設へ

実家を連絡先にしていたため、ネットで介護施設の資料を請求した後すぐに、たくさんの介護施設から父あてに連絡が入りました。

とにかく父は、母のいない家で一人で暮らすのが嫌だったようで、上に書いた、近所の介護施設の人から連絡が来ると、すぐに車で迎えにきてもらって、母とふたりで見学に行き、いざとなったらすぐ入居できるように、体験入居の予約をしてきてしまいました。

おそらく、1月6日に予定していたフットケア外来の病院を受診した後、母が入院することを見越しての決断だったのでしょう。いずれにしろ、あの散らかった実家では、具合の悪い母と退院したばかりの病み上がりの父がふたりで暮らすことは無理だったので、父の英断だったな、と思います。

体験入居というのは、実際に施設に宿泊して、食事や施設の雰囲気を見ることができるもので、本契約と違って、入居金も不要です。施設によって、さまざまなようですが、両親が選んだ施設は、2週間体験入居ができるようになっていました。

本当は、両親ふたりで一緒の部屋に入れる部屋を希望していたのですが、残念ながら、その施設には二人部屋がなく、隣同士の個室を予約しました。

介護施設の個室(実際の部屋ではないのですが、こんな感じでした)

介護施設にいつでも入居できるように予約をした上で、1月6日になると、母は父に連れられて、フットケア外来がある大病院を受診しました。結果は、即入院。なんと、血糖値が800mg/dLを超えていたそうで、いつどうなってもおかしくない、かなり危ない状態だったようです。

即入院といっても、入院に必要な着替えや歯ブラシなど準備があるので、その日は家に帰って、次の日の朝、もう一度ふたりで病院に行って、母はその日から入院となりました。お正月に私が実家を訪れてから、たった6日での出来事でした。

そして、後から振り返れば、その日が、両親がふたりそろって実家で過ごした、最後の日となってしまいました。











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