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やがてそれらは希望に
未だに差別は世界的に見ても無くならないのが現状である。
最近はアメリカでのニュースによると、黄色人種に対する偏見や差別が話題となった。
アメリカといえば、かつては黒人に対する差別は酷いものだった。
昔に比べ少なくなったとはいえ、地域によっては未だに偏見があるのもまた事実である。
前説とは関係のない内容だが、今回は1958年に上映された邦題『手錠のままの脱獄』を紹介したい。
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因みに、この物語は国内の映画で高倉健氏主演の『網走番外地』の元となった作品でもある。
物語は至ってシンプルだ。
囚人を乗せた護送車が事故に遭い、二人が同じ手錠を付けたまま脱走する。
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二人は当てもなく逃亡生活を繰り返す。
ここまでなら現代であれば何も関心を持たない物語だと思われる。
だが、シンプルではない点は二人の囚人は白人と黒人である。
冒頭で説明した通り1950年代といえば、特に有色人種に対する偏見は現在と比べると残酷なほど酷いものであった。
黒人を表す差別用語といえば「ニガー」や「ニグロ」が一般的であった。
現在では完全に差別の対象として汚れた言葉を発したり、SNSなどで書き込んだ人間は処罰の対象となる。
しかし、この時代は現在の価値観など全く通用せず、白人以外の人間は部外者として扱われていた時代でもある。
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こういった経緯を考えると、この作品は当時としては問題作でもあったと考えられる。
ましてや白人と黒人が同じ手錠で繋がれ、逃亡劇を繰り返し、時には困難な状況となると助け合う事も必要であった。
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彼らを追う警察と自警団は必死に追うのだが、中々捉える事ができずに焦りを感じる。
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逃亡した白人の愛称がジョーカー。
黒人の名はカレン。
当初は人種の違いもあり、殺し合いに発展し野垂れ死ぬだろうと警察や関係者は睨んでいた。
確かに最初のうちは対立があったが、切っても切れない状況を考えると協力し合って乗り切るしかないと二人は悟ったようだ。
ある時の事。
空腹に絶えかねた二人は小さな村に辿り着く。
皆が寝静まる時刻を狙い店から食べ物を盗もうと考える。
だが残念な事に二人は強盗に失敗し村人に捕まってしまうのだ。
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この村は南部という事もあり、特に黒人に対して偏見を持った人々が多かった。
しかも不揃いというか、白人と同じ手錠に繋がれている光景を見た村人らは余計に不信感を抱く。
すると村人の男が二人を痛めつようと他の男らに焚き付ける。
捕まった二人は当然ながら恐怖を感じる。
逃げ場のない中、集団でリンチにされ、挙げ句の果てはカラスか野良犬の餌になってしまう事を恐れたのだ。
全ての村人が二人を痛めつけようと考えてはいなかった。
もう一人の男はリンチなど非人道的すぎると感じ、焚き付ける男を叱る。
二人はその男のおかげでリンチを免れる。
言わば二人の恩人でもある。
ふと恩人の腕を取ったジョーカーはアザを確認する。
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恩人は直接説明はしなかったが、かつてはジョーカーとカレンと同じ境遇に遭った者であると確信する。
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村人の手前、簡単に二人をの見逃してしまうと余計に疑われると感じた恩人は二人を拘束し、早朝に警察に突き出そうと提案し、二人が逃げられないように柱に縛り付ける。
早朝を迎えた時。
恩人は村人が起きる前に二人を逃すのだ。
二人は必死に逃げ続けるが、彼らを追う者もまた容赦せずに執拗に迫る。
その後、二人はある場所に辿り着く。
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二人が休息していると、少年が突如現れ銃を向ける。
カレンは少年が油断した隙に銃を奪い、家に誰がいるのか、食べ物があるのかと尋ねる。
二人と少年は家に向かうと母親がいた。
母親は二人に食事を出した後、ジョーカーは少年にハンマーがあるか尋ねる。
少年が持ってきたハンマーで繋がれた手錠を壊す。
二人はようやく自由となる。
自由となったジョーカーとカレンだが、母親は随分前に夫に捨てられ何もないこの状況に飽き飽きしていたとジョーカーに嘆き、できれば自分も遠くへ連れて行って欲しいとお願いする。
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さて、二人は自由となりお互いに違う道を歩むのか。
またはジョーカーと少年の母が自由を求め、行き場のない環境へと追いやられるのか。
この先は作品を是非とも鑑賞して頂きたい♪
ラストシーンに差し掛かる二人のやり取りに感動を覚えるはずだ🙃
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ジョーカーを演じたトニー・カーティスと、カレンを演じたシドニー・ポワチエの演技力もまた見逃せない。
流石、当時アカデミー賞で二つの部門を受賞し、ベルリン国際映画祭では男優賞にシドニー・ポワチエが受賞した😆
そして保安官を演じたセオドア・ビケルの抑えた演技もまた、この作品を引き締める効果もあった。
希望を望む事は誰にも許される。
ましてや希望を奪う権利など地球の果てまで進んでも誰にも剥奪する権利さえもないのだ。
だから人間を含めた動物は動き続けるのだろうと痛感するのみ…