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記憶に惑わされるな

身勝手な解釈に聴こえるだろうが、人は記録に左右されがちだ。
即ち、記録とは数字みたいなもので、誰が見ても判りやすい数値でしかない。

「記録更新」やら「記録を塗り替えた」といった事柄も数値でしかないのだ。
だからといって数値を否定をする訳ではない。
殆どの社会では数値が不可欠であり、最終学歴や名刺の肩書と同様、人の地位を数字で解釈する者もまた少なくないからである。

で、「記録」と対局に属する「記憶」となると、話は随分と異なる。
「記憶」は数値よりも色で示される事が多い。
また、この場でいう色とは、明確な記憶であるほど鮮明であり、あやふやな記憶ほど断片的な色であったり、線が存在しない色だけの構成により抽象画の様な色しか残らない。

フゥ…😩
ここまで話し続けると哲学入門みたいで堅苦しいので、もっと柔軟な話題へと移るとスル〜♪

てな訳で、『ブラッドショット』というタイトルの映画を鑑賞した。


因みにこの作品は漫画が原作となる。
そのため、物語が急展開したり、実際ではあり得ない「物事」と「事柄」が「交差」する。


この物語の主人公である海兵隊員のレイはあらゆる武装集団と戦い続けて来た。
最もレイを悩ませた記録の中に、愛する妻のジーナを目の前で殺害される事だ。


またレイもこの場で射殺されるのだが、最愛なる妻を殺害した者に対し、「この場で殺さなければ後に後悔するぞ…」と言い残す。

やがてレイの記憶は封印され、新たに兵士として生かされる。
かつて経験した事がないほどの力を備え、銃や鋭い刃で急所を傷つけられても、びくともしない身体能力を与えられる。

完璧と思える肉体を与えた人物がハーディング博士である。


レイ自身も驚くほど、かつてないほどの能力を備えたが、力を発揮する場がない。
そしてあるはずのない記憶がレイの脳裏をパズルのコマの様に、断片的に組み合わされ、徐々に明確に映し出されると、目の前で妻が殺害された映像が記録として甦る。



レイは誰に止められない復讐の鬼と化す。
だが、レイの記憶は偽造された映像でしかなかった。
レイと同様、この様な理不尽な行為に状況は異なるが、似た様な境遇でレイと似た様な環境で最新技術で生かされるKTがその場を見守る。



復讐を理由にレイは数人に制裁する。
面白い等と言うと語弊はあるが、不思議な事にレイは記憶に左右され同じ所で、顔こそ違うが妻を殺害した者を何度も仕留めるのだ。


レイの行動とは関係なく、ハーディング博士の私的な目的にレイは左右される。

そもそも、レイに家族が存在したのだろうか?

また、記憶にないは経験を本当にこなして来たのだろうか?


全てが曖昧となったレイが決断した行動とは?
何より、なぜ自分が兵士から兵器となったのか?


あらゆる矛盾点が徐々に解明されつつも、ハーディング博士から敵と称された者が、実は理解者である事実を知ったレイが行った結末とは…



わーお!
いったい、ぜったい、なんだい、どうなっちまうんだよ!オリーブ!

改めて「記録」を出来事と例えるならば、「記憶」は未知なるものと称すると、必然ではないものの、道は切り開かれるのだろうなどと思える。

うふ、ふむ…🙃



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