能登地震と3.11~あれから13年で何が変わったのか?
先日、いつも見ているネットメディアの番組が集まって、伊豆で「論壇フェス」というのをやるということで、有料だしどうしようかな~と思っていたのですが、DOMMUNEでやっていた津田大介さんの「ライブストリーミングの黎明期から現在までの”言論番組”の配信史」を見て、セッションのテーマもちょっと聞いてみたいなというのがあったので申し込みました(60分のセッションが30余りあって3500円です。3か月間視聴可能なので、関心あもってくださった方のために最後にリンクを貼っておきます)。
関心があったのは「脱資本主義と加速主義」で宮台真司氏と斎藤幸平氏のセッションとかなのですが、「能登半島地震と災害日本」のセッションが地味ながら1時間の割にはとても深くポイントをついた話が聞けて良かった
そのセッションでメモしたものシェアします。
登壇者はArc timesの尾形さんとポリタスの津田さんで、MCが永井玲衣さん。
尾形さん、津田さんは能登に早い時期に入って取材を何度かしているので、現地の状況のシェアから始まる。
能登の震災と、311の時の違いの話になる。もちろん311の対応や復興にも問題はあるわけだが、あれから13年経って、能登地震に関しては、世の中的に「他人ごと」感があるという話に。発災直後のボランティアを抑制するような発信があったり、ボランティアへのバッシングがあったり、他人事なだけではなく、分断をあおるような言説も広がった。この13年で学んだどころか、劣化していて、一体何が変わったのか、人間を人間として見ることができなくなったのではないか?それが、論破カルチャーにつながったのでは、というような話があったと思う。
ここからは、拾った断片的な言葉ですが、いくつかのトピックを書き連ねてみます。( )内は私のつぶやき。
・「対話」は人間として認めた上で成り立つのだから、そうじゃない場合は対話はどうしたらいいのか?(尾形)という問いに対して、哲学対話の場をつくっている哲学者でもある永井さんから、「逆に、対話が人間性回復の効果があると思っています」との回答。対話をすることで他者も人間であるということに気づいていく。
(私的には、311後、対話の場づくりをしてきた感覚としては、人間ということはもちろん認めた上で、話すことで違いを受容し相手を理解する、と思っていたけれど、「相手も人間だということに気づく」って、そこからかよ!と思いましたが、そこからなんですね。いずれにしても対話は重要)
・ボランティアはマッチョな人たちが瓦礫をガシガシ片づけをするというだけではなく、お家の片づけをするということは、捨てるかどうするか?なども含めて、一緒に考え、弔うプロセスでもある。
これは、永井さんが能登にボランティアに入った若いアーティストの女性から聞いたエピソードからの言葉です。おばあちゃんが家の片づけをしているところを手伝いながら、そうやって、話をしていく、それも対話なのです、とのころ。
(「弔い」という言葉にハッとしました。そうなのです、その時間が必要)
・話の流れで尾形さんの実家が気仙沼で、家も流されご両親は無事だったものの、津波でご親戚の方が命を落とされたという話があり、311の時の現地の人たちから聞いた言葉と、能登の人たちの違いの話に。
能登では「見捨てられるのが怖い」とよく聞く。311の時は「風化するのが怖い」「忘れられていくのが怖い」という言葉をよく聞いた。前者は人間扱いされていない、後者は人同士の間で起きること。
・応答責任(行為者が自己の行動に関して正当 な理由を提示すること)・・・日本政府にはない。切腹文化だからなのかな?
(だから、納得できる説明をせずに、やめるか、もっと頑張りますといってやめないかどちらかなのか?)
・論破カルチャーは日本だけ。論破とディベートは違う。米国では言い合うけど関係性が悪くなるわけではない。
・未来への責任は、継承し記憶すること、過去の声を聞く地道なこと
・何もできな自分の無力感に対して、あるアーティストの言葉の章かい。「遠くにいるからこそできることがある。それは遠くにいる人の責任」。
(確かに。311の時には、例えば東京の人たちは何をしたらいいかわからない、何をしたらいいのか?という話をメディアなどを通して良く聞いたが、都知事に石原慎太郎を選ばないで欲しいと思ったことがある。震災直後の都知事選では石原慎太郎が当選した。つまり日常の暮らしの中で、自分は何を選択するのか、ということについて自覚的になることなら、日ごろから少しづつできることだ。無自覚性が無自覚に遠回りにどこかに害をなしていることになる)。
以上です。
気になった方は有料だけど見てみてください。
他のセッションも、今、話題になる様々なテーマについてのセッションがまとまって聞ける感じです。
堅苦しくなく、1本60分なので、ご飯食べながらとか聞ける感じなので、社会の問題を自分事として考えられるようになりたいという人も是非。