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何故に人は過ちさえ繰り返す宿命

生存する今なんて
刹那の悲鳴を抱いて
共存する意味なんて
苦渋の犠牲を払って
Prologue-君の向こう側- angela

11月14日、月曜日、17:22の記録。

アップするかどうかわからないが、一度でも食に対しての認識が歪むと、50歳になっても苦しむのだと、リアルを残したくて書く。

日曜日、寝ようと思ったら激しい喘息発作。

吐くまで咳き込んで、薬を飲んでも吐いてを繰り返す。

生理は重い。
咳したり、吐いたりするとお腹に力が入るので、経血がダダ漏れになり、掃除やら着替えやら、結局朝方まで起きていた。

定期の通院の日だったが、少し横になろうと思ったら寝てしまい、起きたら午前の診察の時間を過ぎていた。

予約じゃないとすごく待つのは分かっていたが、午後の診察時間に行くと、午前の予約をドタキャンしたことをスタッフに酷く責められる。

私が悪いのだし、普段なら遅れた時点で電話なりするのに、それもしなかった。
しかし、それくらいしんどかったと、想像して欲しかった。

診察やら処置やらは思いのほか早く終わったが、その日は色々悪いことが重なり、私は、解離の発作ではない、古い別の病で、自分を罰し、痛めつけ、その後浄化しようと思った。

過食嘔吐である。

私が過食嘔吐をしていたのは20代で、この病の原因の男と別れてから、ほぼしなくなっていた。


28の時にそいつと別れてから、たぶんしたのは、この日を入れても片手くらい。

私は拒食症で異常に痩せて、その事を妬んだ付き合っていた男の姉から無理矢理高カロリーのものを食べさせられて、太る事の恐怖とその女の憎悪で、その女と一緒に食事をした時は吐くという状態になっていた。

その女と会う=吐く、であり、それ以外は徹底した食管理をしていたので、吐く事はなかった。

ただ、そいつらと付き合いがなくなってからも数度この病が出てくるのは、リスカや爪がみよりも強烈な、自己破壊衝動に駆られた時である。

だから、解離性記憶障害の発作を起こす時にリスカや過食をしても、嘔吐はしない。

過食嘔吐は、明確な意思のもと、自分を徹底的に痛めつけたいのだ。

自我の殺害。

自殺と何が違うと言われそうだが、自殺は、成功すればその先の意識はないが、この行為は、肉体も精神もこれ以上はないというほど痛めつけても、死ぬことは出来ないという拷問。

(過食嘔吐は私の危険を孕んでいるのはきちんと理解している。ここでは医学的な話でなく、私の個人的な話を書きたいのだ)

過食嘔吐をするとき、二つのパターンがあると思う。

そんなつもりはないのに、つい食べ過ぎて、その後吐いてしまう。

もしくは、最初から吐くつもりで食べ物を物色して、黙々と用意して、食べ、吐く。

私は後者である。

いつもなら、過食嘔吐用の食材を買いに行くのだが、月曜日はそんな気力もなかった。

また、普段手作りの物しか口にしないわたしの家には、そもそも過食嘔吐に向いた食材は少ない。

それでも、過食嘔吐すると決めた気持ちは止まらず、淡々と米を2合、早炊きモードで炊き始め、パスタを茹で、貰い物のソーメンを茹でる。
適当に小麦粉を水でといて、クレープ城のものを作る。

貰い物で持て余していたパスタソース、もう割るのも面倒で3倍濃縮だが、原液のめんつゆ、などで適当に味付けして、しかし、どうせ吐くのだからと味わいもせず胃に押し込んでいく。

そのうちご飯も炊けて、やはり貰い物のレトルトカレー、牛丼、などを適当にかけて、黙々と食べる。

途中、北から電話があったが、当然出ず。

数年ぶりの過食嘔吐で、量を誤ったか、年で食べれなくなったのか、途中で胃が破裂しそうに痛くなり、食べる事を中断。

どうせ吐くのに、遺すのは勿体無いと訳の分からない事を考えなら、お腹はパンパンだが、水を200mlほど飲む。

そうしなきゃ、吐けないのだ。

普段から一人で出かけると吐いてしまうので、吐くのは慣れた物だ。

最初にかなり吐いて、今度は水を1Lほど飲む。
そして吐く。

それを数回繰り返す。

しかし、ここでも歳のせいか、吐き切るのが体力的に厳しいのが判明。

寒くて体もガタガタ震え、吐瀉物の上に倒れそうになり、私は吐く事を諦めて、まず、顔と手を綺麗に洗い、トイレを入念に掃除して磨き上げる。

それが終わると、クレープもどきを作ったせいで油臭い台所を拭き上げ、鍋や食器、シンクも磨き上げて、まるで何事もなくなかったようないつもの風景を作り上げる。

シャワーを長めに浴びて、今急に北が来たとしても、私が何をしたかわからないだろう、ただ、外見を取り繕う。

喉の奥から胃がチリチリと痛く、白湯を飲むのも辛い。

髪を乾かして、お腹が少し落ち着いた頃に、下剤を規定の倍量飲む。

普段は下剤など飲まないが、メンタルがやられてる時に便秘になるので頓服として出されてるのが余っているので、それを飲み下す。

次の日、とんでもない腹痛で目が覚めるのはわかっているが、これをしなければ、私の過食嘔吐は終わらない。


いわゆる、浄化行動だ。

翌日は、吐いて浮腫んで、お腹は痛くて、最悪の朝になるだろう。

ここまで自分を追い込まなければ、どうしても許されない汚れだ、過食嘔吐。

食は乱れると、一生苦しむ。

健全な食欲、普通な食生活が行えるなら、ダイエットなど本当はいらないのだ。

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