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長い長い、恋文/ みらっちさん「音楽のように言葉を流す」を読みながら




実家の片付けに思うこと


昨日も昼寝が出来なかった。

横になり、うとうとしかけると激しく咳き込み、その度に水を飲み、そうするとお手洗いが近くなり、ベッドに戻ると咳をする、をくり返して私は疲れてしまった。

大切に読み進めたいから、毎日1章ずつ、と思っていたみらっちさんの「音楽のように言葉を流す」を、ヒーリングミュージックをかけながら読む。


実家の片付けの話で、私は憂鬱な気持ちになってしまった。

実家には物があふれかえっている。

母は色々収集癖のある人だし、弟も似た性格。

また、からだの弱い母のために、弟が便利家電や、タブレットではない、11インチほどのチューナー入りのテレビ?など買い与えるので(実家に行く度にモデルが変わっている)、結構まめに片付けをしている様子の家なのに、雑然として見える。

そうして、去年知ったことだが、幼い頃私たちが住んでいた祖母の家、跡取りである叔父が相続していると思っていたのに、実は母の名義であることを知った。

散々、叔父夫婦には「住まわせてやった恩を忘れて」的な発言をされてきたが、何のことはない、母の持ち物なら私が住んで当然な家だった。

その空き家になった家に、母よりひどい収集家というより、買い物依存の叔父夫婦は、捨てられない古い家電やタイヤ、あとはテーブルやなんやかや、詰め込んでいっているのは知っていた。

倒壊の恐れのある物件の解体費の一部を市が負担してくれる制度があり、弟とが祖母の家にある荷物を始末して欲しいと話したが、無視されて、結局その制度は終わってしまった。

私は実家のある地域に帰る気はないが、あの家の片付けを弟一人にさせるのはさすがに心苦しい気もする。

発言小町


私が断捨離という言葉を知ったのは、本を読んだのではなく、確か読売新聞の掲示板、「発言小町」で知ったのだと思う。

ガラケー時代、なんであんな掲示板を私が訪れるようになったのかは覚えていない。

主婦層が多く、年収が1千万しかなくて少なくてお恥ずかしいとか、ママ友(という言葉もここで知った)付き合いに疲れてますとか、私には異次元過ぎてむしろSF的だった。

いや、いいスレッドもあった。

今も覚えているのは、「こんなひとと友達になりたくない」だった。

強烈なタイトルだが、「邦楽のタイトル」と「邦楽で歌詞に描かれている人物」、それを書いていって、「こんなひとと友達になりたくない」を紹介して行くスレッドだった。

一番人気?は、確かclassの「夏の日の1993」だった。

見下していた女が意外といいカラダしてたので恋しましたって歌(はしょりすぎ)。

もともと好きな曲調でなかったら興味がなかったが、確かに聴くとひどい。

私が「君」の知り合いなら、全力で「僕」から逃げるお手伝いをする。

次に人気だったのは、ミスチルの「Over」。

これは、流行っていた頃、リアルな知り合いにも言われたことがあった。

「顔の割にちいさな胸ってなによ!」

まあ、そうね。

私なら誰と友達になりたくないだろう?

私が20歳頃に流行った、「愛が生まれた日」、あのカップルとはお近づきになりたくないかな。

暑苦しそう。

あ、断捨離のことだった。

確かに「断捨離」のスレッドはたくさんあって、一番伸びているスレッドを見に行った。

「ものを捨てたら幸せになれた!」

というものであったので、スピリチュアルなものが嫌いな私は閉じて、忘れた。

断捨離はした


一昨年、ダイエットを始めようなど考えてもいない頃、私は家にある一部の荷物に猛烈に腹を立てた。

私はこだわりが強い人間である。

私は引っ越し癖のある人間である。

現在の住まいにある、ということは、かなり厳選した品物だけのはずだが、一人暮らしには広い2DK、納戸付きの物件を、いらない荷物で占有されていることが、ある朝、突然嫌になった。

それから、数週間にわたって、40Lのゴミ袋で、不燃と可燃どれだけ捨てたことか。

不燃ゴミは「15kgを超えないこと」という制限があったので、いちいちはかってゴミに出す。

普段、牛乳2本を持たせようものなら「重い」と絶対持たないし、北も持たせようともしないのだが、持てたな、頑張れば。

家の片付けが終わった頃、届いた一通の手紙。

それは、会ったこともない父方の祖母が亡くなったので遺産相続の手続きをしたい、というものであった。

こういうことを書くと、「やっぱり断捨離をすると運気が上がるんだ」って思うひともいるかもしれない。

この話の肝は、当時、私は今も煩っている「解離性記憶障害」の発作をよく起こしていて、インターフォンが鳴っただけでパニックになり記憶を無くす人間だった。

当時はまだ明細をペーパーレスにしていなかった電気やガスの通知が来たら、なぜか記憶を無くして捨ててしまって自分が困るをくり返していた。

知らないひとからの手紙など、絶対捨てるか、よくて北が来るまで残しておいて確認してもらうしか出来なかった。

ちなみに、手紙は普通に父方の伯母からで、封筒に「親展」とか、「相続について」なんぞ書いてなかった。

このことは、北も驚かせたし、その後の自分をかなり変えた出来事であった(まあ、遺産相続もしたしね)。

執着する心を手放す


私は未だ読んだことがないが、みらっちさんの本から引用すると

やましたひでこさんが提唱した「断捨離」は、一世を風靡し、猫も杓子も「断捨離」というようになりました。
本来は、物に執着する心を手放せば、心が軽くなる、という提案です。

そう、私は物にとても執着心がある。

一度手に入れたものは手放したくない。

壊れても、どうにか使えないかを考えてしまう。

しかし、家の容量には限界がある。

私の望むだけの「欲しいもの」すべて、しまっておける家はどのくらいの広さがいるのか。

私の「解離性記憶障害」という病気にしてもそうだ。

母に言わせれば、「子供の頃からそうだった」私の記憶の欠乏だが、母は知らないこと、祖母にも話せなかったこと、北にすら打ち明けていない「覚えている過去」がある。

話して、恨みを、恐怖を、悲しみを解放していれば、この病気にはならなかったのかもしれない。

分からないけれど。

憎悪、痛み、妬み、恐れ。

私の心をはみ出して、その重さで私は壊れてしまった。

それでいっぱいになった心は、与えられているもの達への感謝、友人からの愛、喜びを、受け取ることが出来なくなってしまった。

あの朝、急に「いらないもの」を全て捨てようと思った。

その中には、過去の「思い出」が詰まったものもたくさんあった。

不幸な過去、忘れ去りたい過去、語れない過去。

それを物理的に捨ててしまって、私は確かに、少しずつ変わっていったのだ。

なんて恵まれているんだろう


毎朝、散歩をして、夜が朝に変わっていく瞬間を見て、「美しい」と何回思ったろう。

お百度参りといって、神社に行き、「今日もここまで歩かせていただいてありがとうございます」と何回言ったろう。

お天気の日は庭で洗濯物を干すと、太陽が2時間ほどで乾かしてくれる、エコだ。

雨の日は静かにピアノ曲を聴きながら、本を読む、贅沢。

親友はいつも私を気遣ってくれるし、北も私を支え続けてくれる。

以前のブログで知り合ったひと、noteで知り合ったひとも、みな優しく賢く、文章だけのお付き合いのはずなのに、昔なじみの手紙を読んでいるような懐かしささえある。

腐るほど言うけど、私はスピリチュアルなことが嫌いだ。

けれど、結果は出ている。

執着は、ひとの心を蝕む。

過剰なことは、何事もやめた方がいい。

ものに執着するのも、捨てることに執着するのも、「執着」であること、それ自体が病の元なのだろう。

みらっちさんへ


この記事を読まれているかは分かりません。

でも、告白すると、以前からみらっちさんの記事を読んでいましたが、たくさんの仲良しの方々、スキの多さに怯えてしまって、スキも、コメントもすることが出来ませんでした。

みらっちさんが、「音楽のように言葉を流す」を出版して下さって、人見知りの私は誰のことも気にせず、みらっちさんの「言葉の世界」にダイブ出来ています。

本当は読み切ってから、感想文をあげるつもりでしたが、みらっちさんの言葉のひとつひとつが、私の「書きたい」をツボ押しのように刺激して、細切れで感想文をあげてしまってごめんなさい。

本当に、「音楽のように言葉を流す」を出版して下さってありがとうございます。

2023/08/05 19:49

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