
君の名前に
君の名前に
終わりがなかったらいいのに
僕は死ぬまで
君の名前を言いつづけて
それで命をおえるんだ
似たような歌で、傳田真央のBitter Sweetも好きです。
いつまでも消えることない名前は
ほんとは消せない人ね
その後、それでもあなたを忘れられなかった、忘れることなどできないよと続きますが、これは、結構核心をついてますね。
私など付き合った人は少ないのですが、長さはそれぞれにあり、覚えていても良さそうなのに、1人の人を別とすると、名前がかなり思い出せません。
苗字も下の名前もあやふやな人もいるし、名前は覚えているけど、漢字が思い出せなかったり、苗字だけ忘れていたり。それが7年付き合って結婚も考えていた相手もいるのだから、薄情なものです。
名前を覚えているのは、1人だけです。
2歳年上で、欠損家庭育ち、地域で1番の進学校に進み、返済のいらない奨学金を得て大学を出て安定した優良な職業についた努力の人。
私は、自身がそうであったせいか知りませんが、付き合う人は、両親がいても家族として機能していなかったり、母子家庭の人ばかりでした。
うち2人は、子供の頃父親からDVを受け、服を脱ぐと身体中に傷跡がありました。
その人にも、ありました。
私は、普段は気のいい叔父が、深刻な酒乱で、飲むたびに殴られ蹴られしてました。一度一升瓶が飛んできて、避けたら後ろにあったTVが大破して、よけるな!と怒鳴られましたが、いや、よけますって。
北も、自分が小学生の頃から引きこもりになった父を持ち、母が生活の全てを支えるという、少し変わった環境で育ってます。
今更仕方ないですが、普通の家庭で育った人と、付き合ってみたかったな、という憧れはあります。
北は苛立ちを隠さず、未だに家族に対しては思春期の少年のような顔を見せますが、好きだった人は、少し冷めているようだけど、兄弟の中で唯一地元に残った息子として、祖母や母を大切にしているんだなと伝わってくる人でした。
ちょっとしょうもない話になりますが、初彼が2歳年上の私と同じ日生まれ。10月生まれの天秤座。
次の彼も、10月生まれの天秤座。
秋生まれ続くなー、と思っていたら、次の彼が9月11日生まれの乙女座A型。大変申し訳ない事ですが、例のテロ事件後あった時、ああ、二度と誕生日忘れないな、と思ってしまいました。
次の彼が9月19日生まれA型。この人が今でも好きな人なのですが、思い続けてるせいか、ふと、時計を見ると9:19で、ああ、と思っていたら電話があったり、という事がよくありました。
ついでに北は、9月10日生まれのA型。一番乙女座らしい潔癖さと生真面目さ、文具好き。
おかしいのは、歴代の彼氏が全員A型なのと、みんな身長173cmなんですよね。北も含めて。顔立ちは皆似てないし、体型も違うけれど。
偏った男性遍歴ですが、なにか意味があるのでしょうか?
私は相性占いをしないのでよくわかりません。
あ、親友が持っていた闇の12星座占いだと、私と好きな人は、出会った事が間違いだったそうです。
9月11日生まれの彼は、後から思えば、多少の知的障害があったのかも。実際、特殊学級を勧められて、烈火に怒った父親が学校に殴り込みに行って、普通学級になったと話してました。
自身で考えることを放棄して、中卒から10年以上働いた会社で手取り10万ほど、ボーナスなしの環境で不満はあったけれど、行動に移せない人でした。また、彼の給料は全て母親が握り、毎日のタバコ代と交通費だけを渡される、異常に見える家庭にも、不服はなかったようです。
9月19日生まれの好きな人は、とにかくやれば出来る、というポリシーを持った人でした。
他人にも厳しいですが、自分にも厳しかった。
私の努力を認めてくれましたが、しかし、甘えは許されず、私は彼に本音では話せなかった。
確かに、出会った事が間違いだったのでしょう。
付き合って2年ほど経った時、私から別れをお願いしました。
彼からのアプローチで付き合い始めましたが、どうしても、愛されているとは思えませんでした。
好きすぎて辛かった。
彼は驚愕し、別れを拒みました。
強引に、別れることは間違っていると言われると、それ以上自分の気持ちを貫く事が出来ませんでした。
しかし、4年後、私はまた彼に強烈な不信感を抱き、彼に対してあり得ないほど、本音を問いただしました。
彼は惑い、しかし私が本気だと悟ると、
「わかってるだろうけど、君には惚れてない。ただ、ほかの相手がいるとかではない。君は優しいし、居心地がいい。勝手だけど、このままの関係を続けたい」
一言一句覚えています。
私のなけなしのプライドは、もちろんこのまま別れを選ぼうとしました。
しかし、当日の結論は避けて、時間を置いた時、どうしようもなく、私は彼を好きだという気持ちが募りました。
情けない弱い女です。
私は、彼の、私に惚れてないという気持ちを受け入れて、関係を持続しました。
そんな歪んだ関係も、周囲の環境の変化で、容易く壊れました。
盲目になったような一年半をどう生きていたのか。
再会し、お互い迷いながらもよりを戻したりもしました。
でも、本当の最後に別れを選んだのは、私でした。
とても好きすぎて、同じ空間にいて同じ空気を吸うのも息苦しくて。
何もかもが好きでした。
柔らかい癖っ毛も、冷たい顔立ちに映えるメガネも、薄い唇、冷徹な言葉、知的で専門的な会話選び、例えば同じものを食べていて、私の方が崩れていたら取り替えてくれるような、的外れの優しさ。
最初の別れの時、彼は言いました。
「一緒にいると駄目になる」
最後の別れの時、私は告げました。
「一緒にいる事は間違っている」
どんな関係でも、愛されてなくても、そばにいたかった。
でも、無理だと、気付きました。
彼といると、私は砕けたガラスの上に常にいるような痛みと不安定さを感じていました。
彼は私から安らぎを得ていましてが、私は緊張し、感覚を研ぎ澄まし、疲弊してしまいました。
私から愛は乞えません。
それを納得しての付き合いだったから。
そして、私は彼に愛して欲しかったのか。
そんな対応な立場になるなんて、嫌なくらい、特別でいて欲しい。
2歳年上の彼に、13年ほど一緒にいましたが、ついに私の敬語は抜ける事なく、結局一線を引いていてのはお互い様だったのです。
彼をガラスケース入れた宝物のように愛し、触れもせず、遠巻きに見ているのが幸せでした。
歪んでます。徹底的に。
それでも、私は死ぬまで彼の名前を忘れないでしょう。
北の庇護を受けながら、私は彼の名前を言いつづけて、それで命を終えるのでしょう。