ビジネスは芸術的に。
美術館に行くと、美しい表現だけでなく、意味不明な芸術というものに遭遇することがある。
「なぜ赤ちゃんの落書きみたいなこの絵が、立派な美術館の中にご丁寧に飾られているのだろう・・・」
万人受けするような絵しかよいと思わない凡人の私にとっては、頭がはてなマークだらけになる時もある。
それが、いいのだ。
こういう表現があってもOK
という、世界の寛容さに触れることのできる美術館は、ありがたい存在だ。
世界の広さ、多様さ、寛容さ、いうならば、人類の愛といったものを、肌で感じることができる。
そして、それを表現たらしめた、宇宙の愛も感じることができる。
そう考えると、美術館というのは、癒しの場とも言える。「大丈夫」というメッセージがたくさん飾ってある場所。
そんな芸術は、どうしても閉じられた芸術の箱の中で完結しがちだ。
例えば、美術館から一歩外に出ると、たちまち私は最も平均的な「常識人」にならなければならないという、脅迫観念とも言えるような空気を勝手に感じる。
まして、仕事においては、さらに人々の集合意識が求める一定の価値基準に沿って、現実を生きることを強いられるかのよう。
自分や商品を常識の枠に押し込めて、なんとか万人受けするようにと、努力をする人は少なくないのではないかと思う。
そんな息苦しさを解放すべく、私は、アートな哲学をビジネスに持ち込んでみたい。
芸術をビジネスにするというのではない。一般のビジネスに、もっと自由な感覚を導入するという試みである。
つまり、商品は、美術館や展示会で飾られているものではないし、コンサートや劇場で触れられるものでもない。本屋で買う文学やエッセイでもない。
例えば、野菜を売る商売を芸術的に行う。
一般商材を、芸術的に生産し、芸術的に生活者に届ける。
それをわざわざ芸術と呼ばなくてもいいようになるまで、人は遊んでいいのではないかと思う。
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