今日、また数ヶ月ぶりに美術館に行きました。 やっぱり美術館は癒されます。 芸術と名付けられたアウトプットの羅列。 好きな作品、意味不明な作品、不快な作品、いろいろあります。 いずれも、ご丁寧に飾られています。 こんな絵でいいなら私にも描けるわ! なぜこれを描いた? この絵をここに飾った人は、なぜこの絵がいいと思った? 庶民はきっとこんなふうに思うであろう、そのセリフをまさに私が心の中でつぶやく。 それでも、ここにいていいんだよって許されている空間が、いわば天
20年前には考えられなかった程、今は、人々が唯一無二の個性を花開かせ、その人にしかできないアートを表現することが可能となった。 テクノロジーの発展は、精神世界の発展と緊密にリンクしている。 しかし、インフラは整っているのに、未だ、唯一無二の花を開かせることができない人も多い。 その原因の多くは、エゴや自我と呼ばれるものが、本来の姿を覆い隠しているためである。 支離滅裂な独自の方程式(〜〜は、ーーである)を、幾つもエゴの人生経験の中で作り出し、それを観念としてご丁寧に頭
宇宙の仕組み、大いなる全て、神、世界、タオ、天、源、ソース・・・呼び方は人によって様々ですが、今回ここでは、仮にそれを「宇宙」と呼ぶことにします。 人間があくなき好奇心で開発し続ける科学技術というものは、その宇宙を模倣しているとしか思えない。という話を書きたいと思います。 コンピューター上の仮想現実は、この世そのもの 例えば、コロナ禍でさらに注目を集めるようになったバーチャルリアリティ(仮想現実)が挙げられます。 般若心経では、五感で得られる情報や感覚というもの「色」
美術館に行くと、美しい表現だけでなく、意味不明な芸術というものに遭遇することがある。 「なぜ赤ちゃんの落書きみたいなこの絵が、立派な美術館の中にご丁寧に飾られているのだろう・・・」 万人受けするような絵しかよいと思わない凡人の私にとっては、頭がはてなマークだらけになる時もある。 それが、いいのだ。 こういう表現があってもOK という、世界の寛容さに触れることのできる美術館は、ありがたい存在だ。 世界の広さ、多様さ、寛容さ、いうならば、人類の愛といったものを、肌で感