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古本屋の本とザル

古本屋の本は、おもしろい。
誰かが手放した本を自分が読みたいと思っていたり、
思わぬ値段で手に入ったり、
本のどこかに線が引かれていたりする。

線の引かれていた部分になぜ惹かれたのか
この本を読んでいた人はその時に何を考えていたのか
線が出てくると、楽しくなる
来たな来たな、という感じ。

その人にとって、そのとき、その言葉が大切だった。
そして、その感性を乗せた本がわたしの手元に届いた。
ガラスの瓶にお手紙を入れて、海に流すやつみたい。
わたしは本をあまり手放す習慣がない(そもそも読み切れる本が多くはない積読タイプ)
それでも、そんな感性を乗せた本だと
わたしも、どこかに乗っけて届けたくなる。
届けないと、独り占めしているような、気持ちを止めてしまうような。
それは、単なる思い込みなのだと分かっていても
そういう気持ちになる。


大学生のときに、サークルの部室に
誰でも何でも書いてもいいノートがあった。
「ざる」という名前のノート。
みんな、思い思いのつぶやき、落書きとか、カラオケメンバー募集したり、まるバツしたりとか。
多分、Vol.250は過ぎていた。

私たちは、引退してからもサークルの部室にたまに遊びに行っていた。
そんな中、あるとき、ざるがVol.1になっていて、
「!?!?!?!?」となった。
「ざる」の表紙には、たぶんおそらく後輩が書いた字で
「ざる Vol.1」

………………………….?

嫌なことは言いたくないけど。でも。
「なんで、Vol.1なの?」と聞いてしまう。
「なんか、一旦ざるがどっかにいって、何番か分からなくなったかららしいですよ〜」
「そうなんだ…なんか悲しいな…」


「ざる」がいつから始まったのかも知らないし
「ざる」を誰がはじめたのかも知らなかった
「ざる」で恋がはじまったりしたこともなかったし
「ざる」にかなりの思い入れがあるわけでもなかった
たまに、ひまつぶしで使う程度だった
「ざる」というタイトルは、何でも誰でも書いていい、何でも入れていいというような雑多な意味から来ているらしい、ということだけは先輩から何気なく聞いたことがある。(本当かは知らない。)
そんな程度だった。

それでも、同じサークルの人がここまで続けてきた、受け継がれてきた「ざる」のVolを
1に戻すのは、何だかすごくさみしい気がした。

伝統とか、そんなにこだわるタイプではないと思うんだけど、
新しいことに変えていった方がいいことは、変えていくのが良い、と思っているタイプだけど、
それでも、それでも、なのだ。

(別にVol.251が2冊あっても、253がなくても、いいじゃないの。そのくらいの番号から再開すればさ、笑)


誰かの気持ちを受け継いでいきたい
その気持ちが自分の中で、自然にあるのかも。


とりあえず、本を読み終えます。
よしもとばななさんの、人生の旅を行く2。
あと少しです、(線はまだ出てくるかな、?)
楽しみ。


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