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旅をする人生

今回、北海道旅行に出たのは主に頭の中と気持ちの整理をするためだった。
私の中で考えねばならないことができたのだ。

だから北海道 & 東日本パスを使って北海道を右周りに移動しながら、電車での長旅で頭の中を整理しようと思っていた。


話が突然飛ぶけれど、だいぶ前に静岡で購入してつい最近友人に送った徳川家康の遺訓の手ぬぐいについて、その意味を訊かれた。

遺訓については下記のとおりだ。

人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りてまくる事をしらざれば害其の身にいたる
おのれを責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり

実際には徳川家康の言葉ではないようだが、久能山東照宮でこれを読んだとき、心に残ったのだ。

その意味を英訳しながら考え、私の大好きな『高瀬舟』のことも考えた。

『草枕』の冒頭を読みながら、下記の文章のことも。

金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。


自分にとって必要なもの、必要じゃないもの、できること、できないこと、何ができたら満足なのか。評価されるべきは他者からじゃなくて自分からじゃないのか。
欲しいのはお金ではない。時間だ。
ではそれは何をする時間なのだ。

色々と考えても答えは宙ぶらりんで、その後の人生が変ってしまうので容易に出すわけにもいかない。


そんな凝り固まった頭の中を、吹き飛ばすのが人との出会いだと思った。

女性一人旅 × 道聞かれ顔 (というのがあるらしい) なので、今回の旅行でもまぁよく人から話しかけられる。
特に自分より 10 個以上年上の人からだ。

少し話しただけで 「そんな考え、そんな人生もあるんだ……」 ということに触れることができる。
やはり行ってよかった。家の中で頭を整理したり本を読んでいるだけではこれだけ視野が広がることはないだろう。

生きた実体験として、北海道が好きすぎて移住した人がいる。
北海道にずーっと生きながら (北海道のひとは 「北海道」 という国だと思っているという話をネットで見たが、「北海道」 = 「ひとつの国」 説はあながち間違っていないような気がする)、試行錯誤しながら & 予測外の苦境に立たされながら、乗り越えて、または乗り越えようとして生きている人がいる。

どこかで聞いた話ではなく、目の前にその人がいるのだ。


北海道民は本当に親切。そして人懐っこい。
函館でも 73 歳の女性に話しかけられ、E. YAZAWA のチケット抽選申し込みを代理でおこない、一緒に山川牧場のソフトクリームを食べ、お寿司をご馳走になり空港まで送ってもらう、という事態になった。

札幌で E. YAZAWA のライブがあるのに 「ネットで申し込まないと抽選に応募できない。でもネットのやり方が分らない。いつも E. YAZAWA に元気をもらっている」 って言われたら、何とかしてあげたくなるではないか。

73 歳でひとり E. YAZAWA のライブに行くというのもなんかいいなって思ったし。


なぜか、この旅行中『わたしはダニエル・ブレイク』という映画のこと (特にシングル マザーのお母さんのこと) を考えていたのだが、この女性と同映画のダニエル・ブレイクを何となく重ねてしまったのだ。

とても考えさせる映画なので、興味のある方はぜひ観てほしいと思う。

↑ 「涙と感動の……」 と書いてあるが、泣いている場合でもなく、感動している場合でもない。
綺麗事では終らないのがこの映画の特徴だ。

シングル マザーは 「自己責任だろ」 と思う人もいるかもしれない。しかし、この映画の彼女を見て、とてもそんなことは言えないと思う。
虐待だって現実に起こっている世の中で、とても立派な 「母親」 だ。フード バンクでのシーンは強く印象に残る。


これに併せて『グッド・ライ』という映画のこと、主に 「教育」 について考えていた。

↑ これも何だか 「心あたたまるヒューマン・ドラマ☺️☺️」 的な見せ方をされているが、実際にスーダンの内戦で被害に遭った (元) 子供たちが出演している。
特に前半の内容は 「壮絶」 としか言えない。あんなに美しい村で、自然を楽しむことなく殺戮がおこなわれているなんて。

そして子供たちは突然 「孤児」 になる。とんでもない距離を歩いて、人には簡単に言えないようなことをして何とか命を切らさずに生き延びる。

生き延びたあとも、生きるために人を殺さざるを得ない状況になった少年もいる。


「教育」 がキーワードになる映画はいくつかあった。「教育」 とは選択肢の拡がりであり、本来はとてもありがたがる種類のものだろう。



まだまた考えが散らかってまとまらないのだが、そろそろ自分の人生に必要なもの、不要なもの、あまり多くは持てないので、絞り込んでフォーカスする段階に来たのだろうと思う。

「そう生きるように生まれついた」 ごとく、私のしたいこと、することで楽しめる、または幸福な気分になることというのは変らないのだ。

無理して押し込んで 「世間ではそういうことになっているから」 に当てはめても、きっとどこかで歪みが出て、自分が苦しくなる。
欲しくもないもののために頑張る。
人として不自然だ。


意味不明になったがそれだけ頭の中が散らばっているのだろう。
けれどもいつも思い出す言葉や映画のシーンは変らない。
ストーリー自体は忘れても、私の中で 「必要」 だから消えない記憶となり、必要なときに引き出されるのだろう。

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