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人と揉めるタイプなのか?

ちょっと悩みというか、タイトルのとおり、「私は人と揉めるタイプなのか?」 と最近考えている。

トラブル メーカー、と言えばそれは正しくないだろう。
大抵のことはどうでもいいと思っているし、感情的になることは非常に疲れるので、「は!? ( Ꙭ)」 みたいなことが起こっても、なるべく 「なかったこと」 にしようとする。
なるべく気にしないようにしようとするというか。

が、しかし私はどうも 「忘れる能力」 というものが著しく欠けているように思うのだ。
そして我慢が利かない性格をしているのだと思う。


殊に、「私の仕事ではない仕事」 をさも当然のように押し付けられそうになったときはかなり腹を立てる傾向にある。
感情的にならないようにその場では抑えているが、自宅ではかなーりイライライライラしている。

自分にとってかなりストレスなことが分ったら、「また次に同じことが起こったら次は絶対言おう!」 と思って、とりあえずその場はやり過ごす (^^;)

私はボランティアではないのだ。また、やりたい仕事をやりたくて職業を選んでいる。
だから 「手が空いてそうだから」 的な理由でやりたくもない仕事を押し付けられそうになることは大嫌いである。

例えるならラーメン屋を開いているのにサンドイッチを注文されるくらいイラッと来ることである。意味が分らない。

たまーにならサンドイッチを作ってやらないでもないが、「当たり前のように」 言われたらいつだって作りたくない。しかもそれが月の業務の 1/3 をサンドイッチ作りに充てろと言われたら私はかなり腹が立つ。

ラーメン屋だってサンドイッチくらい作れるだろう。作れるだろうが誰も頼まない。
「何で?(Ꙭ )」 って思うのが目に見えているし、断られる方がむしろ自然だ。

最悪サンドイッチ作りに貢献したとしても、まったくモチベーション上がらないので、人並みの 10 倍以上の工数がかかることを約束してもいい。

したがって 「私はラーメン屋なので月に 2 日までしかラーメン以外のものを作りません。急ぎなら 3 月にもサンドイッチを作る分をすべて 2 月にまわす、などの対応はできます」 とキッパリ言った。

まぁ多分、正味 5 ~ 6 日サンドイッチを作ることになるのだと思うが、やはり 「私はこういう心づもりです」 ということを言っておくと後から同じことを言われにくくなるので、予防線としては張っておくべきだとは思う。

それでも半年に 1 回くらいこの手の話が舞い込んで多少イラッとはしている。
うん、多少ではなく 「かなり」。

「めんどくさい人」 と 120% 思われていると思うが、それで私のストレスが緩和されるのなら構わない。


学生時代から苦手なことからは逃げてきたのだ。
同じ労力払ったところで、苦手な科目と得意な科目は 「伸び」 が違う。苦しんでまで乗り越えるようなことではないではないか。

頂上を目指したくもない人に山を登らせることはできない。
それと同じだ。


さて、詳しくは書けないのだが、人助けをしたつもりがその当人から 「あれしろ、これしろ」 と言われてとうとう我慢ができなくなった。
だから私はボランティアではないんだって。

私はあなたの召使いですか? (^_^ꐦ) と思ったら言わずにいられなくなってしまった。
(人助けの部分はボランティアだが、自分の許容範囲を超えてそれをしようとは思わない)

「これはやりますけどこれはやりません。やりたければ自分でやってください (3% くらいのお手伝いはします)」 というような内容のことを伝えた。

相手から今のところ返事はないが、「私ってよく揉めるタイプなのだろうか……」 と、考えてしまっているところだ。


これらはすべて

  • ガマンできないこと

  • 忘れる能力が欠けていること

に起因していると思う (ガマンできないからストレスが多い + 覚えているからストレスが蓄積する) のだが、一体全体どうやったらガマン強くなるのか、忘れやすくなるのか、は分らないでいる。

まぁそんな一切合切も、きっと歳をもっと取ったら頑張っても思い出せなくなるのだから、それはそれでいいかと思っている。


というわけで私はまた人と揉めてしまうのだろうか ‎(⊙⊙)

揉めたいわけではないのだけれど、ある一線超えると 「いい加減にしなさいよ (^_^ꐦ)」 という気分にはなるからなぁ。


会社では 「こっそりフェードアウト」 ができないではないか。
みんなどうしているのだろう。



お読みくださりありがとうございました (^^)




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