文藝賞振り返り日記
今日(10/7)文藝冬号が発刊されて、今年の文藝賞の選考結果が全部出ました。2000通以上応募があった中、一次通過は31通。
でまあ、私は通過しなかったのですが、もうちょっと落ち込んでいいんじゃないかというくらい、ダメージを受けていない。そのことについて検証しつつ、これからのことを述べていこうと思う。
1.結果分析
1 まずはラフに数学として考えてみる
賞レースについて考える時、公募勢は「〇次まで通過したか」を非常に気にするけれど、私はどちらかというと、受賞まであと何人(倒さなきゃいけないか)ということを考える。
文藝賞の一次を通過するのは約2000名の応募に対して約30名、通過できるのは全体の1.5%である。対して、昨年の文學界は文藝賞と同じくらいの応募数があって、二次通過者が約60名である。文學界の三次がどれくらいの割合かは数えてないけれど、文藝の一次は文學界の三次以上の倍率ということになる。だからまあ、文學界以上に書けていないと通らないよね。
そして、出した時点はハイになっていたからともかく、あの作品は文學界の作品以上に書けた気がしなかった。だから落ちたのは順当な結果だったと思う。むしろ一次にでもひっかかっていたら却って悩むレベルだったかも。
2 自分的原因分析
単なる確率の問題で述べてみたけれど、次は内容面の分析である。
落選しているので文言は後ろ向きになってしまうけれど、基本的にはあの作品を書き上げて良かったし、書き上げていなかったら今の境地には立っていないから、必要な落選だったと思う。あくまで冷静に分析していると思って欲しい。
①文藝賞と自分の作風が合ってない
文藝賞に出した作品は、実は消去法で文藝に出すと決めた。すばるは完全に自分に合わないと思っていたので候補から外れていた。そして、扱うテーマから言って、新潮は合わないだろうと思った。文藝にもあまり合う気がしなかったが(文藝に出すならもっと尖っていないといけないと思ったが)、その前の受賞作「無敵の犬の夜」が割合オーソドックスな小説だったので、「これを受賞作にする懐も持ち合わせているなら、全くの賞選びエラーでもないかも」と思って文藝に決めたのである。
だから、最初から無理筋だったなあ、と思う。
②書きたいことはあったが、言いたいことがちゃんと書けてない
まあ、小見出しの通りでしかないのだけど。
書きたいことと言いたいことって同じじゃないのかというツッコミがあるだろうと思う。
書きたいことというのは今回の場合、特定のシーン、主人公や登場人物の悩み、職業上の特性(に基づく悩み)、といった話の個々の要素のことを指す。その要素がいくつか集まって、全体としてこういうことが「書きたいんだ」という小さいテーマがあり、さらに小説全体として「これはこういう話です」という大きなテーマ=言いたいことがあるイメージなのだけれど、全部がうまく接続できていなかったなと思うし、言いたいことが複数あってまとまっていなかったと思う。
原因は、自分の「書きたい」に必然性を持たせられなかったということかな。ちゃんと掘り下げて「何を言いたいか」をはっきりさせれば良かった。その上で「何をまだ書けてないか」考えてピースを埋めたり、要らないピースを取り除いたりしないといけなかったなあ。
ただ、この作品については、自分の核に近いことをテーマにしようとしたがゆえに、何を言いたいかをしっかり掘り下げられなかった(掘り下げるのが苦しかった)のが大きな失敗要因だったと思う。
感覚的なことだから説得力がないけど、そこそこうまく行く小説は、難産にならない。
もちろん未熟ゆえの難産という側面もあったと思うけど、この作品は、その当時における最新作のはずなのに(=経験を積んでいるはずなのに)これより前に書いた二作よりも難産だった。
③構成がまずい
小見出し、MECEにはならないっすね。まあいっか。
ひとえに、面白いお話作りの基礎が身についてなかった。②と関連するところもあると思うけど、いいたいことを面白く伝えるためにはどうしたらいいか、が足りなかったし、プロットも作っているようで作ってなかったかなあ、今にして思えば。当時なりに話の流れをちゃんと考えていたのだけど、まだまだ稚拙だったな。
今の小説の先生は「没だった作品は行李の中に入れておいて、デビューした後に編集者に見せるんです。書けば書くだけストックがたまるからデビュー後楽になるし、その時には、その作品をどう直せばいいかわかるようになっているはず」と言うのだけれど、この作品についてはどう直せばいいか分からないままではないかと思う。
あっでも、今の講座にこの作品の冒頭32枚を出した時に先生に受けた指摘で「あーーこう直せばいいんだあ」とは思ったかなあ。講座にはこれから賞に出す作品を出す方がいいと思っていたけれど、過去作を出してどこが悪かったか見てもらうのも意味があるのだという経験ができたな。
④(蛇足)自分の実生活の意趣返しのようなことをした
まあ、小見出し通りですね。私的なモヤモヤを作品にダイレクトにぶつけたわけではなかったけれど、割に生々しい気持ちを主人公に代弁させたと思っていて、そういうのは良くないなと思った。
実はこれを書いてみようと思ったのも、当時割に仲の良かったnoteの住人に「こういうテーマはどう」と言われてなんとなくその気になったせいだった。しかも……その人に対して意趣返しするような話の結末になってしまった……。
それを書こうと決めたのは私なので、責任は全て私にあるし、当時はあれを書く意義があったと思うけれど、作品の手綱は最初から最後まで私が持っていないといけなかったなと思う。
出来上がった後、人に感想を求めたり違和感があるところがないか聞いたりするのは、手綱を人に渡すことにはならないのだけれど。
デビューしたら「今回はこういう特集組むからこういう作品書いて」って編集から言われることもあるだろうから、その時どう手綱を取るべきか考えないといけないね。
3 落ち込まなかった理由
原因分析とかぶるところがあるかもしれないけれど、落ち込まなかったのは大体次の理由からだと思う。
①落ちる理由がはっきりしていた
②今、当時よりはっきりとうまく書けている自信がある
③書ききれなかったことがはっきりしている
①は原因分析で書いたことと同じことだね。結果が出る前に落ちるって分かってた。
②は、今年の文學界に出し終わったものの方が十倍は面白く書けたと思うので、自分の成長について心配していないということだ。文藝賞に出した作品のダメさがあったから、「面白く書こう」と次の目標を立てて、それを実行してこられたと思う。
③は感覚的な話で、今構想している次の次の話に、文藝賞の主人公に似た子がまた出てきたのね。作家は、モチーフは違っても、同じテーマについて書く人が多いから、それ自体は悪いことじゃないと先生は言ったけれど、私の中であの子のことを書ききれなかったという気持ちがあったんだと思う。
次々作の主人公に彼女が出てきた時点で、「あー、これは落ちたな」と思った。だから今度はちゃんと書きあげて、一旦成仏させてあげたいなと思う。
2.今後に向けて
落ち込んでいないのは悪いことかもしれないけれど、いいことでもあると思う。決定的に落ち込まないようにして次につなげたい。
話は少し飛ぶけれど、毎年、2000人前後から候補者を5人前後に絞り、一人か二人の受賞者を決めるのに、世の中には最終候補まで行った人というのがゴロゴロしているのである。で、その人達の多くが、候補になった後賞レースにおいて伸び悩みを見せている。
そして、私はまだ最終候補まで行っていないのに、その伸び悩みパターンにはまってしまうのではないかと思うので、軌道修正をしていこうと思う。
1 一作をじっくり書いて品質を上げる
次は今月末の群像新人賞に出すつもりで執筆をしていたのだけれど、かなり順調に書けたとしても、このままでは十分な推敲をしないまま出すことになると思う。
今回はモデルにしている場所があって、そこに行ってみないと作品に対して誠実ではないので足を運ぶことにもしているのだけれど、そこまで労力をかけているのに、十分に見直しをしないまま提出するのは行動としてちぐはぐだ。当然、そのままだと受賞は難しいだろうと思う。
それだけ急ぐ気持ちになっているのは、「自分はそこそこ書ける」という自信がついたからだと思うのだけど、ここで焦って多産して、どれも引っ掛からないということになると伸び悩みパターンまっしぐらである。
作品は群像向きだと思うので惜しいし、やはり初稿は今月中に書き上げるスケジュールで行きたいけれど、十月末で、マジ軌跡! ってな具合に非の打ちどころのない作品が書き上がらない限り、三月末の新潮に照準を変えようと思う。群像と新潮の傾向は微妙に違うけれど、路線は近いのでそんなに間違った選択にはならないと思う。
次々作については、今書いているものの初稿を書けたら取り掛かり、太宰治賞に送る予定だ。そちらもややタイトなスケジュールではあるものの、プロットは出来ているし、短めな話になると思うし、群像よりは余裕があるのでじっくり書き進めたい。でもまあ、それも無理に太宰に押し込むことはしない方がいいかなあ。
以前と比べて格段に「次書きたいもの」が思い浮かぶようにはなったけれど、毎回、書くのは体力要るので、あんまり無駄打ちして黒星を積み重ねるようなことをしてはよくない。小説に対して誠実な態度とも言えないしね。
2 出した作品はやはり公開しない
前回、太宰治新人賞の作品を有料記事として出したけれど、少なくとも文藝賞に出したものは公開しないし、今後賞レースに載せたものも公開しないことにする。
なぜ太宰だけ出したかというと、二次以上通過のものはデビュー後改稿して世に出る目があろうが、一次通過のものでは無理があるだろうというのと、自分が公募に出した作品がどれだけ注目を浴びるものか知りたかったというのがある。
けれど、一つやってみて、これに慣れてしまってはいけないなと思った。無料の冒頭部分だけの人も、購入して頂いた人も、読んでもらえた人が多かったのは大変ありがたいし、力にはなったのだけれど、だからこそ、そこに甘えちゃダメだなーと思ったのであります。
ちゃんとデビューした姿を見せたい。
3.おまけ
この一、二年、新人賞の受賞作や芥川賞の受賞作を読んでいて、どの作品とは言わないが、「これは今までにない新しい小説!」という触れ込みの作品でも、「なんだ、こんなものが新しいの」「文章のトリッキーさや目新しいっぽいテーマで目くらまししているだけじゃん」とよく思う。書いた人が若いから/〇〇という本業があるから/〇〇というマイノリティ属性だから、新しいっぽいだけじゃん、新しいっぽい属性があるの有利でいいね、みたいなね。
こういう僻みの感情は公募勢あるあるだと思うのだけれど、最近私は「むしろこの程度の新しさじゃないと、大衆にうけないのでは」と思うようになった。誤解を恐れずに言えば、大衆=出版社の編集部員である。
ものすごく変だとか、今までに全くないような新しさを思い付けます! と言える自信は私にはない。ないけど、先に世に出た作品に対して「けっ」ってなるんじゃなくて、「割と広い人が『おっ新しいな』と思う頃合いの作品を書く」というスタンスで全力を尽くすといいんじゃないかと思うのである。新しさの手抜きをするというのではなくて、伝わりやすいもの、なるべく多くの人が面白いと思ってくれるものは何かという視点である。でも、二回言うけど手抜きじゃなくて、読者と真正面からやり合って一番いいものを出すというつもりで書く。
今週はそんな感じで。