【愛犬の命日から想う事】
今日は
『愛犬の命日から想う事』
について考察していきます。
2006年6月18日(日)
早朝4時過ぎに飼っていた
愛犬の豆柴が鳴きながら
息を引き取りました。
愛犬の名称は色が白かったので
そのまま「シロちゃん」と
名付けていました(笑)。
クレヨンしんちゃん的な
ノリを彷彿させます。
ソフトバンクのCMに出演している
お父さん役のカイ君に似ていて
人が近づいても吠える事もなく
皆から愛されていました。
あれから16年の月日が経つので
感慨深いものを感じます。
愛犬が亡くなった状況は
今でも鮮明に覚えています。
当時私は2階で寝ていました。
4時前に1階から
両親が慌ただしくする音と
愛犬の鳴き声が聞こえてきたので
目が覚めて駆けつけました。
愛犬が身体をよじらせながら
訴えかけるように
必死で鳴いているのです。
私は愛犬の手を持って
お腹をさすりながら
「シロちゃん大丈夫、大丈夫」
「しんどいのはすぐにおさまるよ」
と呼びかけました。
両親と一緒に何度も祈るように
声がけしていました。
虚しくも家族の声は届かず
愛犬は倒れるように
眠りにつきました。
身体を触ると冷たく
息をしていなかったので
無念の想いでした。
これが「死」なのかと
痛烈に感じました。
私は大泣きして
涙が止まりませんでした。
今でも思い出すと
泣きそうになるくらい
強烈な出来事です。
この日は仕事がありました。
涙をこらえながら職場に向かい
何とか氣持ちを切り替えて
対応に努めました。
仕事から帰宅すると
両親が亡くなった愛犬を
箱に入れて周囲に
お花を敷き詰めてくれました。
冷たくなった愛犬が
息を吹き返してくれたらと
切に願いました。
身内や知人の「死」に
何度か立ち会っているので
悲しさは込み上げてきます。
しかし
愛犬の「死」は
人の「死」以上に心を揺さぶり
悲しい氣持ちになりました。
人間と違って言葉が話せない分
辛さを感じたのだと思います。
だからこそ
言葉が通じる人間同士は
言葉の奥にある本質を
汲み取る必要があります。
自分の言語だけで翻訳して
相手の真意を無視すると
ミスコミュニケーションが起きて
お互いに摩擦が生じます。
夫婦喧嘩や組織内での対立は
ミスコミュニケーションの
典型的な事例です。
言葉や単語を過信しすると
盲点が見えなくなります。
例えば
「クリア」という単語でも
人によって解釈が異なります。
クリアとは
《「クリアー」「クリヤー」とも》
[名](スル)
1 走り高跳びや棒高跳びで、バーを落とさずに跳び越えること。
2 サッカーやホッケーで、守備側が味方陣内からボールを
大きく蹴り返したり打ち返したりして危機を脱すること。
3 バドミントンで、シャトルを高く打って
相手コート後方へ送ること。ロブ。
4 段階的な課題を、失敗せずに、通過または突破すること。
5 目標とするものをこえること。目的を果たすこと。
6 基準を満たすこと。
7 コンピューターの記憶装置や
計算器などをゼロの状態に戻すこと。
[形動]曇りがなく澄んでいるさま。
明晰なさま。
goo辞書
脱線しましたが
動物には言葉を使えない分
スキンシップを図りながら
コミュニュケーションを取ります。
私の愛犬も毎日一緒に散歩に行き
愛情表現をする事で
言葉を介さなくても
何となく意思疎通出来ます。
言葉自体にはさほど意味がなく
単純なシンボルです。
コミュニュケーションする上で
大切な観点は
「1つ1つの言葉に責任を持つ事」
「メッセージとして届ける事」
「非言語も駆使して表現する事」
です。
愛する人と別れる状態になった時に
「あの時正確に伝えておけば良かった」
「何で感情的に激昂したのだろうか」
「本心ではそんな氣持ちではなかった」
etc
後悔しても時すでに遅しです。
たったひと言で相手を救う事も出来れば
たったひと言で相手を貶す事も出来ます。
『言葉に返金保証はない』参照。
普段から自分の言語だけで解釈せず
相手の現実に入って
コミュニュケーションする事です。
人は「死」の瀬戸際に立った時に
初めて「生」の有難さが分かると
言われています。
「死」をネガティブな意味で捉えていると
「生」が見い出せません。
「死」を直視するからこそ
「今」を大切に生きようとします。
陰と陽の関係と同じです。
生と死は対です。
1日1日を大切に
愛情と感謝を抱いて
駆け抜けていきましょう。
最後までお読み頂き
ありがとうございます。
追伸
あなたにとって
大切な人もしくは動物&モノとの
想い出を教えてください。
追追伸
天国から見守ってくれている
愛犬に心から感謝です。
シロちゃんありがとう。