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「自分とか、ないから」を読んで、自分をからっぽになる方法を考えた。
ずっと「読んでみたいな〜」と思っていた本書。この年末年始に読もうと買い、無事休み中に読了。noteの記事から本が出るなんてnoteって夢があるな、と思うが、単純に東洋哲学の書を50冊読んだ著者がすごいのだろう。
noteで話題になった
『東洋哲学本50冊よんだら「本当の自分」とかどうでもよくなった話』待望の書籍化!
しんめいPさんの軽快でポップな文章で、読んでいるだけで、くすりと笑えて、なんだか元気がわいてくる。
東洋哲学の世界へようこそ!
私は元々、仏教的な考え方が好きだった。しかし「東洋哲学」というジャンルを知らなかったので「自分は仏教が好きなのか?」「仏教徒ということなのか?」と思っていた。本書を読んで、東洋哲学が好きだったのか、と腹落ちした。
本書は難しい考え方を分かりやすく、イメージしやすいように書かれていて、読みやすかった。荘子とか漢文で習っていたけど難しすぎて読もうという気になれなかったのに、著者は読んで理解してアウトプットしているなんてすごいと思う。
個人的には達磨さんが王様会った時のポンコツっぷりが好きだ。
「からっぽになる」効能
一番心に残ったのは、著者の経験だ。やりたいことがわからずに迷走していた著者が、からっぽになったら、暇すぎて東洋哲学の本を読みまくり書いてみたいと思っていた本を書くことになった。「からっぽになってしまったときはじめて、「やりたいこと」がむこうからやってきたのだ。」と著者は表現していた。からっぽはすごいことらしい。そのからっぽになるための方法を考えた。
からっぽになる①・良い○○を演じない
私はどうしても、後輩に良い先輩だと思われたい。後輩より長く働いているので、その年数分、自分の方がすごいと思われたい。だから「分からない」と言えず、分かったふりをしてしまうことが多い。だから仕事の時間が苦痛だった。しかし、別に分からなくてもしょうがない。自分はその程度の人間なのだから。そして、この本によれば社会は全てフィクションなのだ。後輩に「できないやつだ」と思われても、フィクションなのだから痛くも痒くもない。社会的な死を恐れて「良い〇〇」という役割を演じるのはやめて、役割のないからっぽな自分を目指していく。
からっぽになる②・「自分がしたいこと」以外手放す
本書と同時に「「ToDoリスト」は捨てていい。: 時間も心も消耗しない仕事術」を読んでいた。内容が本書と通じるところがあった。世間として「やったほうが良い」と言われていることと自分のやりたいことは違う。自分がスマホを見てダラダラしたくなればするし、ヨガをやりたくなったらする。そこに世間の声は必要ない。しかし、私は必要以上に「世間の声」に流されやすい。だからこそ、noteを書くことで自分の考えを持つ習慣をつけているのだが、「〇〇したほうが良い」と書いてあれば実行したくなるのだ。今後は、「したいことに時間を使う、したくないことに時間を使わない」を意識したい。家事もしなくても死なないものね。したくない時に無理してやらない。
からっぽになる③・目の前のこと以外考えない
「イマココ」の考えは、よく仏教の本にも書かれている。私が初めて「仏教の考え方って素敵だな」と思った「お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣」にも記載されていた。時間のことを気にせずに、目の前のことに集中し、その行動が終わったら小さい行動でも達成感を味わう。自分の頭をからっぽにして、目の前に集中することで満足感や幸せを感じていくのだ。
からっぽになって心と体を軽くしたい
この2〜3年、厄年だったこともあり、心も体も疲れていた。「チコちゃんに叱られる」で知ったが、「厄年=役年」だそうで、厄年はいろんな役割が与えられるという意味合いがあるのだそうだ。この数年、「良い母親」「良いママ友」「良い嫁」「良い先輩」「良い後輩」いろんな役割を「良い〇〇」にしたいと躍起になっていた。本書を読んで、背負いすぎてたな、と思った。自分も常に入れ替わっているし、自分の役割もフィクション。どれかが「良い」じゃなくなっても死なない。そう思って今年は力を抜きたい。そう考えると、今年の目標を「味わう」にしたのにはシンパシーを感じられる。