清風高校教員がカンニングした生徒に制裁を与え、生徒は自殺。これは教育か?
自殺に追い込むただの鉄拳制裁である。「指導」という正当化されそうな言葉にすり替えれば、やっていることはむごい仕打ちでも実態を誤魔化すことができる。「愛の鞭」といいながらやっていることを法の下に照らしてみれば、不法行為にあたる暴力であったりする。これが昭和からごく一部残る日本教育の悪しき伝統である。
今回の清風高校の制裁内容もみても明らかなやり過ぎで、これが「うちはこうだから」と言い張るのであれば、何の進歩も見られない劣悪高であり、尊い命を奪ったことに対して無関心でいられるのだろうか?
将来ある10代の命を奪ったことに強弁するのであれば謙虚さや改善の希望すらない。
(そもそも教員・学校と生徒の間に実質的な上下関係など存在しない)
そもそもの話として、教育の本質とは生徒をいかに効率的に伸ばしていくか。ペナルティは行き過ぎるとその生徒を潰してしまう。
これは海外でもいわれていることで、日本は失敗に対して制裁を加えるだけで、まったくの非効率的、正座をさせたりグラウンドを何周も走らせたり次につながる指導ではないどころかただの制裁、というのはよく聞く話である。以下、記事から抜粋。
その2日後の朝、男子生徒は建物から飛び降り自ら命を絶った、とのこと。
全科目0点、というのは自分の所属していた大学でもあった。すなわち留年である。しかしその中には、教授(監督官?)の主観(勘違い)もあった。
友人等との連絡禁止って何だ? この法的根拠は?これを教訓に頑張ったとしても、この時点で学校推薦は行わない、ということらしい。
清風高校には社会を知らない「教員村」が決める生徒との上下関係が存在し、生徒が主役であるといった本当の教育が根付いていないようだ。
このような学校が誉とされるような風潮はただでさえ劣化している日本の教育を一層ダメにすることだろう。まるで「わが伝統校を汚す生徒には制裁を加える」といわんばかりの稚拙な教員マウントは教育の歪みが存分にでている。教員が世間知らず、といわれる所以である。