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経験学習において何を学習するのかー言語教育で「学習」にこだわる理由を考える

以下の記事で、7月に行ったセミナーから考えたことをまとめました。

この記事では、コルブの「経験学習サイクル」を取り上げ、「抽象化する」とはどういうことかを考えました。具体的な経験をもとにリフレクションを行う際、どうしても反省会のようになってしまい、次にどうすればいいかという改善策を探してしまいがちです。セミナーでも、同じような状況に陥ったことから、具体的な方法論を探しているうちは「経験学習」と言えないのではないかということを書きました。

この記事に対して、大変ありがたいことに、西口光一先生から、濃縮度100倍くらいの濃〜いコメントをいただきました。その後、以下の記事も拝読しました。

私が「山の日本語学校」で行った「Project-Based Learning」(プロジェクト型学習:以下PBL)は、言語習得だけにフォーカスした実践ではありません。しかし、「言語教育」という文脈で行った実践ですから、西口先生のご指摘のように、「内容の学習」と「言語の学習」の違いについても考えていかなければならないと思っています。

「言語習得」と「学習」の関係は、私の探究テーマでもあります。そこで、自分の考えを一歩先に進めるために、生煮えではありますが、記事を読んで考えたことをまとめてみたいと思います。

今回は、探究の手掛かりとして、PBL実践をもとに考えてみたいと思います。


「経験学習」の「経験」とは何か

私が行っていたPBL実践では、テキストは使わず、プロジェクトを行う中で、言語を習得していくことを目指しました。プロジェクト活動を通した「経験」が学びの対象となります。

しかし、ただ闇雲に「経験」を重ねるだけでは、「学習」とは言えません。プロジェクト型学習の祖とも言える教育哲学者のジョン・デューイは、「経験」には、教育的に価値のある経験とそうでない経験があるとし、「経験の質」を重視しました。デューイの言うような「経験学習」を目指すなら、「経験の質」をプログラムの中でいかに担保するのかを考える必要があります。また、連続する経験の中から、振り返り(反省的思考)をとおして、経験を修正していくことも欠かせません。

私が長年行ってきた日本語教育を振り返ってみると、「教師が教えることを学ぶこと」を学習者に求めていたと思います。そうではなく、デューイが言うような「為すことによって学ぶ」ことを言語教育でも実践したいと思いました。

日本語教育という文脈で、私が考える「経験」とは、「ことばを扱う経験」です。自分の頭で考えたことを「ことば」として表現し、相手の反応を見ながら「ことば」のやりとりをするという「経験」が、日本語教育では十分に行われていないのではないかと思いました。特に、テキスト通りに進めていく従来の日本語教育で、このような「ことばを扱う経験」をするのは難しいと考えました。これが、私がPBL実践を行おうと考えたときの問題意識です。

実際に「ことば」を扱う経験をする。そして、「ことばを扱った行為」を振り返って、さらに、よりよい「ことば」の扱い方を考えていく。それが、私が考えたPBL実践における「経験学習」です。

「経験学習」における「学習」とは何か?

次に、「経験学習」における「学習」について考えてみます。私は、PBL実践における「学習」を言語の学習だけに限定していません。

確かに、デューイの「経験学習」は、学校教育という文脈で行われてきましたが、その後、コルブによってまとめられた「経験学習サイクル」は、学校教育に限定されていません。よりよい人生を歩むためには、経験から学ぶべきだとし、学びを深めるためには、自身の学習スタイルを理解することが必要だとしています。

デューイ自身も『教育と経験』の中で、「形成されうる最も重要な態度は、学習を継続していこうと願う態度である」と述べています。

私がPBL実践において、大切にしたかった「学習」とは、「学び方を学ぶ」ということです。「学習スタイル」というのは、人によって違います。特に言語は、目、耳、口などの身体的な特徴や認知的な特性の影響を受けます。その人に合った固有の学び方があるはずです。

スポーツなどと違って、言語は、人にとって欠かせないものです。そのような言語を学ぶのに、学び方を限定せず、その人に合った学び方を模索できるようにしたいと思いました。そこで、PBL実践では、協働でプロジェクトを進めることによって、相互行為を通して、その人に合った学習スタイルを模索しながら言語を習得するという、言ってみれば実験的な実践であったと思います。

以前に、PBL実践における言語習得の位置付けについて、以下の図をもとに説明したことがあります。

PBL実践における言語教育に対する考え方

プロジェクトを行う際には、目標を設定します。それは必ずしも、「言語習得」ではありません。目標に向かってプロジェクトが進行していく中で必要な「ことば」を習得していくという考え方です。プロジェクトをデザインするときには、「ことば」のやりとりが必須となる環境設計をすることも重要だと考えています。

少し具体例を出した方がわかりやすいと思うので、PBL実践で行っていたことを簡単に説明します。

PBLでは、「誰も答えを知らない問い」を課題として設定します。例えば、「地域の課題を解決するためのITを使ったサービスを考える」といったものです。

自分のまだ形になっていない、もやもやしたアイデアや考えを言語化し、表現するということを繰り返します。そこには、はっきり「これ!」と言えない、ぼんやりとしたアイデアをチームで対話をしながら、徐々に形にするというプロセスがあります。

言語化の際、日本語であることには拘りませんでした。なんなら、絵でも図でもいいわけです。そのようなプロセスを経て、選ばれた「ことば」というのは、単に「こんなときにどのように話すのか」という言葉ではありません。その人の思考を言語化したものになります。このように思考しながら「ことば」を扱う経験を、私は、PBL実践における「学習」と捉えています。

学び方を学ぶとは?

このような「経験学習」を進めていくと、単なる言語習得ではない、思いもかけない「問い」が生まれることがあります。実際に、PBL実践の中で、私にとっても意義深い「問い」が生まれたことがあります。

クラスには、非常に優秀な学生がいました。とにかく勉強が大好きで、『みんなの日本語』を自主的に購入し、暇さえあればテキストを読み込み、そこに出てくる例文をはじから覚えていました。

あるとき、PBLの中で、地域住民にインタビューをするという活動をしました。その時も、彼は入念に準備をし、何回もシミュレーションをして、インタビューの練習をしていました。インタビュー当時の朝も、教室でぶつぶつとシミュレーションをしていました。

しかし、実際にインタビューをしてみると、彼の日本語が通じないどころか、相手の言っていることも、ほとんど聞き取れませんでした。これは、彼の日本語力の問題だけでなく、質問の内容が難しすぎて、答えにくいものだったという要因もありました。

その後、リフレクションの時間も入念に行いました。その時、彼は「日本語の勉強が足りなかった」と、繰り返し主張していました。もっと日本語を勉強しなければならないと。もっと日本語を勉強すれば、きっと上手にインタビューができるはずだと繰り返しました。しかし、最後にインタビューの感想を書いてもらった時、彼は一生懸命勉強をしたことを述べた上で、以下の言葉で作文をまとめました。

私は何を勉強しなければなりませんか、今まで考えています

言葉を扱う「経験学習」というのは、まさにこれではないかと思いました。第二言語を学ぶ学習者は、すでにある程度の学習経験を持っています。成功体験があればあるほど、その学習方法に固執することもあります。

しかし、「ことば」は、環境が変われば、扱い方も変わってきます。「学習スタイル」を変えることも必要になります。そこに気づくためには、真正な「ことば」を扱う経験が必要だと思います。そして、その経験を振り返り、それまで培った「学習スタイル」を調整していくことが必要なのではないかと思います。

「学習」に関して言えば、教師と学生とは「学習」に対する経験やスタイルも異なります。それをお互い出し合い、実際にいろいろな方法を試しながら、自分にとって最適な「学習スタイル」に調整していく。教師であっても、これまでの学習経験を修正する必要が出てくるかもしれません。これが「学び方を学ぶ」ということではないかと思います。

「学び方を学ぶ」ためには、ただ、闇雲に言語を使う経験を積めばいいわけではなく、経験をリフレクションする時間や機会をプログラムの中に組み込まなければなりません。そして、その経験は、真正な「ことば」を扱う経験でなければ、次の「学習」につながるリフレクションにはならないだろうと思います。


ということで、今回は「経験学習」における「学習」について考えてみました。PBL実践の中で、学生が日本語を習得していったのは事実ですが、PBL実践において「言語の学習」がどのように行われていたのか、今の私には説明できません。

ただ一つ言えるのは、真正な「ことば」のやりとりを必要とする学習環境やプログラムをデザインすれば、そのプログラムを通して、言語習得が可能になるということです。

そして、その学習方法は、教師が与えた方法を唯一のものとするのではなく、学習者自らが経験の中から学び取っていくというスタイルに、私はこだわっていきたいと思っています。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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ヒラサワエイコ
共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!