独・ヒルデスハイム大学の世界哲学史プロジェクト

はじめに

2024年3月25日・26日に東京大学本郷キャンパスで「正典を超えて:グローバルな視点から見た哲学史(Workshop: Beyond the Canon. Histories of Philosophies in Global Perspectives ※「哲学」も「歴史」も複数形)」というワークショップが開かれるそうです。

このイベントの概要を読むにつれ、ドイツのヒルデスハイム大学で行われている世界哲学史研究のことが気になってきました。HPに書いてある情報のまとめだけではありますが、書いてみました。

研究プロジェクトの概要

この研究プロジェクトは2019年にDFG(Deutsche Forschungsgemeinschaft/ドイツ研究振興協会)(*1)という組織の、「Reinhart Koselleck-Projekte(ラインハルト・コゼレック・プロジェクト)」という研究資金に採択され開始されたものです。

(なお、DFGは「あらゆる分野の研究者に、研究資金援助や研究者の連携支援を行って」いる「ドイツの学界の自治組織」です。ドイツ連邦政府や州政府から大半の資金を得ています。)

研究プロジェクトの概要については、「世界的視野からの哲学史」という日本語で書かれたPDFファイルも存在します。

https://www.uni-hildesheim.de/media/koselleck/Forschungsprogramm/NEU/JP_Description_Research_Project__Japanese_.pdf

詳しくはリンク先から読んでいただくこととして、研究課題として挙げられている十点だけ引用・紹介します。ただし、ドイツ語版を参照した方がわかりやすい箇所もあります。

1.18世紀後半から欧州哲学の中で構成され現在まで継承されている「正式な哲学イコール欧州哲学」という枠組みとそれに基づいた排他的な哲学の定義の分析批判。
2. インド学、中国学、日本学、アラビア学、ユダヤ学など、19世紀以降ヨーロッパで定着した言語学(*ママ、「文献学」)の分野と共同に哲学史を研究。
3.従来の欧州的な哲学史のみでなく、日本語、中国語、アラビア語圏などヨーロッパ外で形成された哲学史の研究。
4.翻訳問題や受継(*ママ、「受容」)のパターンに注目した哲学史の分析から「絡みあった歴史」としての哲学史の構成。
5. これまでの哲学史の中でグローバルな要素を含むものを見出し、それらからグローバルな地平線のもとに作られた哲学史の新たな説話(*ママ、「語り」)の構成に向けての探究。
6. 哲学の分類方法として民族、国、宗教、大陸、西洋、東洋、時代、言語、文化、ジェンダー、等のパラダイムから哲学史を系譜的に分析する事と、体系化への試み。
7.20世紀以来の世界中のあらゆる大学やアカデミアにおいての哲学科の形成パターンの調査分析と、教授法や研究にどのような影響があるのかの分析。
8.哲学の制度化や地域学会および「世界哲学会議」のような世界レベルでの学会の分析を通してグローバルな哲学の方法の研究。
9.世界のあらゆる地域のグローバル化されたいると思われる哲学科の自己表示、およびカリキュラムや教授法において「哲学史」にはどのような要素が含まれ教えられているかの調査を通し、哲学史において何が主流化されているのかの分析と研究。
10.哲学のグローバル化により発生する哲学用語や概念自体の変化の研究。

なお、「「哲学史」の歴史」というこのプロジェクトのテーマについて、このプロジェクトの主催者ロルフ・エルバーフェルト(後に詳しく紹介します)が書いた論文は邦訳されています。

プロジェクト成果物の『哲学史』

このプロジェクトの成果物が『Philosophiegeschichten』あるいは『哲学史』というデータベースです。オリジナルとおぼしきドイツ語版にリンクを張りますが、ドイツ語と英語のバイリンガルとなっているので、英語が読める方は右上の「English」をクリックすることで直接読めるかと思います。

少し見ていただければわかるように、データベースは二つに分かれています。「さまざまな言語における哲学史」と「さまざまな言語における世界哲学史」です。

さまざまな言語における哲学史

「さまざまな言語における哲学史」は26?の言語について、それぞれの言語で書かれた哲学史の本が分類され掲載されています。哲学史の多くが20世紀以降に書かれていることを反映し、「18世紀まで」「19世紀」「20世紀以降」などに分かれ、「20世紀以降」に関しては、大陸ごと、国ごと、分野ごとなど、さらに細かい分類がなされています。

この分類も各言語ごとに項目が異なっています。
たとえば日本語では「19世紀」と「20世紀以降」に分かれている時代区分が、フランス語では「17-18世紀」「19世紀」「20世紀以降」という分かれ方になっています。
また、たとえば、日本語にはある「道教」「儒教/儒学」といった項目がスペイン語にはありませんが、スペイン語には「アフリカ哲学」「ラテンアメリカとカリブ海の哲学」や、「アルゼンチンの哲学」「チリの哲学」などがあります。

なお、「データベースの使用例(Beispiele für den Gebrauch der Datenbank)」はドイツ語ですが、各言語ごとにどのような哲学史が書かれてきたかの概説があります。たとえば、日本語に関しては次のように特徴が書かれています。

日本語による哲学史の記述は、19世紀にはすでに始まっていた。この時期にはすでに日本語の翻訳用語が作られ、20世紀初頭には中国と韓国で受容された。20世紀には、ヨーロッパ哲学の歴史を中心に、より多彩な哲学史が出現した。さらに、仏教哲学、東アジア哲学、中国哲学、儒教哲学の歴史も数多く生まれた。特に日本哲学史や日本思想史は、様々な時代別に詳細に紹介されている。さらに、ヨーロッパの倫理学史とは明らかに異なる点にアクセントの置かれた倫理学の歴史が数多く書かれていることも特に強調されるべきである。

日本語に関しては、"Histories of Philosophy and Thought in the Japanese Language"という出版されたPDFのバージョンもあり、Leon Kringsによる概説(英語)があります。文献収集の方法、方針についても書いてあります。

https://hilpub.uni-hildesheim.de/entities/publication/a4a85ee9-0074-41f2-8b67-8cb9891c800b/details

さまざまな言語における世界哲学史

こちらは、哲学史ではなく、世界哲学史について、各言語ごとに整理されています。
同じく「データベースの使用例」に各言語での特徴が書かれています。日本語での世界哲学に関する記述も訳してみましょう。

日本語では、20世紀に入って以降、世界哲学史を試みた書籍が18件出版されている。最も新しい試みは、2020年に出版された伊藤邦武、山内志郎、中島隆博、納富信留らによる『世界哲学史』8巻(筑摩書房)である。本書では日本の哲学者たちが「世界哲学(World Philosophy)」と呼ぶ分野を新たに構築し提示しようと試みており、諸哲学の広大な分野が含まれている。目次はドイツ語でも閲覧できる。重点はヨーロッパとアジアの思想の伝統の紹介に置かれている。アフリカ哲学の記述は最も乏しく、ラテンアメリカの哲学は完全に欠落している。他の多くの記述と同様に、ここでも地理的な中心が明白であり、そのために特定の地域が不可視とされている。我々の研究の一つの成果は、さまざまな哲学史の記述は何らかの中心主義への傾向を示していること、そしてこの現象はヨーロッパに限ったことではないということである。哲学史では、その言語で発展してきた思想の歴史的伝統に特に注意が払われている。

ロルフ・エルバーフェルトについて

経歴

このプロジェクトの申請者は、ヒルデスハイム大学教授のロルフ・エルバーフェルト(Rolf Elberfeld)です。

1995年に博士論文『Kitarō Nishida und die Frage nach der Interkulturalität(西田幾多郎と間文化性についての問い)』を、2001年に教授資格論文『Dōgens Phänomenologie der Zeit und die Methoden komparativer Philosophie(道元の時間の現象学と比較哲学の方法)』を書いています。
多くの論文、本の章、共著書にくわえ、単著には以下があります。著書の邦訳はありません。以下に付す日本語訳は私による仮の訳です。

  • Kitarō Nishida (1870-1945). Das Verstehen der Kulturen. Moderne japanische Philosophie und die Frage nach der Interkulturalität, Rodopi: Amsterdam 1999. 『西田幾多郎(1870-1945) 文化を理解すること 日本近代哲学と間文化性についての問い』

  • Phänomenologie der Zeit im Buddhismus. Methoden interkulturellen Philosophierens, Frommann-Holzboog: Stuttgart-Bad Cannstatt 2004, 2. Auflage 2010, 3. Auflage 2020. 『仏教における時間の現象学 間文化的な哲学の方法』

  • Sprache und Sprachen. Eine philosophische Grundorientierung, Alber-Verlag: Freiburg i. B. 2012, 3. Auflage 2014. 『言語と諸言語 哲学の基本的な方向づけ』

  • Philosophieren in einer globalisierten Welt. Wege zu einer transformativen Phänomenologie, Alber-Verlag: Freiburg i. B. 2017. 『グローバル化した世界において哲学すること 変容的現象学への道』

  • Zen. Reclam: Stuttgart 2017. 『禅』

  • Dekoloniales Philosophieren. Versuch über philosophische Verantwortung und Kritik im Horizont der europäischen Expansion, Olms: Hildesheim 2021. 『脱植民地的に哲学すること ヨーロッパ拡大の地平における哲学の責任と批判についての私論』

複数の論文が日本語に訳されています。詳しくは上記大学HPから「Veröffentlichungen(出版物)」を参照してください。

直近の著書

ここでは、哲学の脱植民地化に関する直近の著書について、要旨を訳出しておきます。本文(ドイツ語)も下記リンクからダウンロード可能です。

https://hilpub.uni-hildesheim.de/entities/publication/9c98ac86-81e6-46d8-afa9-24badcf32be9/details

21世紀初頭、特にラテンアメリカとアフリカから、脱植民地主義の観点に立つ批判がヨーロッパの大学に向けられた。その批判は、ヨーロッパの学問の植民地主義とのかかわり、抑圧を正当化し、人種差別を学問的に基礎づけ、植民地主義的な権力の要求が下支えする、そんなかかわりに向けられたものである。本書はこの批判を取り上げ、思想と学問の脱植民地化の過程において哲学的責任を果たそうとするものである。

エルバーフェルトの著書や、研究プロジェクトのメンバーでアフリカ哲学・フェミニズムを研究しているアンケ・グラネスについても書こうと思ったのですが、長くなったし力尽きたのでここまでです。続きを書くかもしれません。


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