冨田晃『ルソーと人食い 近代の「虚構」を考える』(共和国、2024年)
「「人食いの言説」を通じてルソーの教育思想とその背景としてのヨーロッパ思想の系譜を相対化する」(54ページ)というねらいをもつ冨田晃『ルソーと人食い 近代の「虚構」を考える』(共和国、2024年)を紹介したい。300ページ超だが、独特な着眼点、整然とした構成、読みやすい文章というところで、楽しく読める。
ヨーロッパ社会において、「人食い」はさまざまな形で論じられ、研究されてきた。カリブ海、ブラジル、オーストラリア、フィリピン、カリフォルニア、ニューギニアなど、さまざまな地域で人食いの習慣があったとされた。「カニバリズム」の語源も「カリブ」にあるという。
その一方で、ヨーロッパで「人食い」が見聞されても、それは例外として処理される。「ヨーロッパ人がする「人食い」は、食料不足の極限状態もしくは個人の精神状態に理由があるとみなす一方で、「未開人」がする「人食い」は、その真偽を疑うこともなく、その社会の文化や宗教に理由を求めようとする「人食い言説」の「非対称性」」(60ページ)があると、著者は指摘する。
2024年のアメリカ合衆国大統領選挙の前に、「ハイチ移民がペットを食べている」という根拠の薄い情報が広まった。現代においても「人食い」言説が政治的に用いられる一例である(しかも、まさにカリブ海からの移民をめぐって!)。昔のことではあっても、ごくごく限られた目撃例や創作が疑われる記述によって「人食い」のイメージが形成されたのはどのようにしてなのか、その上にどのような政策が行われたか、どんな思想哲学が築かれたか、いま考え直すことに意味はあるだろう。
著者は小アンティルのカリブ人(食人種とされた人々だ)の子孫にあたる「ガリフナ人」の研究をしている中で、17世紀のフランス宣教師ジャン=バティスト・デュ・テルトルによるカリブ人の記録である『アメリカのセント・クリストファー、グアドループ、マルチニックなどの島々の博物誌』(以下、『テルトル神父の博物誌』)を読み始めたという。カリブ海先住民に関する最初期の文字記録であるこの『テルトル神父の博物誌』の読者にルソーがいたことを知り、そこから本書につながっていたようだ。
各章の簡単な紹介
序章「問い、視点、方法」は、主題を絞り込み、基礎知識を提供し、先行研究を概観し、展開を予告する。本全体として構造も記述も明確なので、読みやすく、以下の紹介を書くのもあまり苦労しなかった。
第一章「「人食い」言説の系譜」では、西欧における人食い伝説が検討される。ローマ帝国やマルコ・ポーロに遡った上で、コロンブスからモンテーニュに至るまでの、カリブ海やブラジルでの食人に対する記述が批判的に検討される。
第二章と第三章では、モンテーニュを参考にしたルソーの著作、『人間不平等起源論』『エミール』が検討される。
ここで展開されるルソー批判は主に二点に要約される。
一つは、史料の恣意的な扱い。ルソーは、『テルトル神父の博物誌』に書かれている現地住民の社会性、不平等性、残虐性、文学性、音楽性などを無視して、言語や社会をもたない「カライブ人」を描いていた。
もう一つは、論理展開。本来関係がない上に、そもそも根拠が怪しい「人間の歴史」と「個人の成長」を結びつけ、「自然人」と「乳児期」を重ね合わせていた。そこに著者はルソーの「文字の人」としての意識、それに基づく根拠のない優越意識を見出す。
第四章「カリブからの問い」では、「文字の人」ルソーに対置する形で、無文字社会が論じられる。無文字社会に対する西欧諸国の暴力だけでなく、それに対する抵抗、集合的記憶の継承など、無文字社会の側の主体性にも光が当たる。
附章「日本のおかしなルソー」も面白い。ルソーといえば「自然に帰れ」だ、という研究者のあいだで否定されている言説が、高校倫理の教科書や教員採用試験のカリキュラムのせいでゾンビのように生き延びているという指摘は非常に興味深い。これは、他の哲学者の思想内容に関しても、あるいは歴史や自然科学に関することでも起きているのだろうとも想像される。
各章がはっきりとつながり分かりやすい本書だが、個人的に読みごたえがあったのは第一章「「人食い」言説の系譜」だ。ときには征服を正当化するために、ときには自分たちの学びの糧とするためにさまざまな形で表象された「野蛮人」「人食い」のイメージを追うのだが、この章で面白かった部分を、もう少し詳しく内容を紹介したい。
個人的な読みどころ
そもそも、ヨーロッパの人々は古代から人食いについて語っていた。古代ギリシャ時代には現在のキーウのあたりにアンドロパゴイ人という食人種が住むと考えられていた。古代ローマでも、キリスト教が異端だった頃は、キリストの体と血を象徴するパンとワインを分かち合う儀式を行うキリスト教徒が「人食い人種」として迫害され、キリスト教が公認された後は、逆にユダヤ教徒が「人食い」とされた。
モンゴル帝国にも旅したベネチアの商人マルコ・ポーロの旅行記『東方見聞録』(1300年ごろ)では「世界の果ての人食い犬頭人」が語られた。ヨーロッパでベストセラーになった『マンデヴィルの旅』(1357年ごろ)でも、東方に住むという、頭が犬の人々、一つ目の巨人、大きな一本足の人々などの「怪物」が登場する上、インド周辺に住むという人食い人の儀式の描写もある。
1492年、カリブ海域の島に到達したコロンブスの記述が、「カニバル」という語の起源となる。コロンブスは、当地のアラワク人から「一つ目の人間や、犬のような鼻面をしていて、人を喰う人間がいる」「「カニーバレス」と呼ばれる」という話を聞く。このとき、アラワク人はカリブ人の侵略を受けている最中であった。アラワク人が敵であるカリブ人の話をしたのだろう。コロンブス自身は人食い人を見ていないし、そのイメージは『マンデヴィルの旅』に描かれたものと酷似している点が、さしあたり重要だ。
のちに、コロンブスはスペイン高官への書簡で「私は怪物にも会ったことがなければ、怪物について聞いたこともありませんが、ただインディアスに入って二番目にあるクリアス島にはとても獰猛な、人間の肉を喰う人種が住みついております」と報告しているという。これが、ヨーロッパの南北アメリカ進出を正当化する人食い人についての伝聞の起点の一つとなった。
本書では、チャンカ博士、オビエード、アメリゴ・ヴェスプッチ、アントニオ・ピガフェッタといった人物の報告の内容、その根拠の薄弱さが紹介される。アンティル諸島のカリブ人だけでなく、ブラジルのトゥピナンパ人も俎上に載せられるのだが、さまざまな人食い言説の検討は興味深い。食人の言説は、『東方見聞録』や『マンデヴィルの旅』の描写が流れ込み、似た内容が互いに引き写され、実際の見聞に裏付けられることなく既成事実が形成されているかのようだ。また、ラス・カサスによる、スペイン人がインディオに食人を強いていたという報告もショッキングである。
ちなみに、現在のブラジルにおいては、かつて先住民が人食いをしていたと考えていることは常識になっているらしい。ブラジルの小説家オスワルド・デ・アンドラーデによるマニフェスト「人食い宣言」(1928年)にもそれは反映されている。日本でも注目されている人類学者ヴィヴェイロス・デ・カストロも、宣教師の記録に立脚し、人食いは実際にあったという前提でさまざまな議論を展開している。
一方、著者はアメリカの文化人類学者W.アレンズと共に、宣教師の食人に関する記述に疑問を呈する。人食いの見聞の具体的な日時や場所についての情報が乏しい上に、描写が当時流通していた本とかぶっていることも多いという。「トゥピナンパ族の場合、私達が取り扱っているのは、恐らく食人についての一連の文献資料なのではなくて、頼りにならないひとつの証言をもとにして、それがほとんど逐語的に、目撃譚と称する他の文献報告に繰り込まれたものだろうと思われるのである」(146ページ、アレンズからの引用部分)。
結局、食人の文化があったかなかったかについて明確な結論は出されないのだが、ともあれ、さまざまな報告同士の類似点や関係にも気を配った史料検討は、非常にスリリングで読み応えがある。
感想
本書を読んで物足りないと思った点を二つ。誰かが教えてくれれば嬉しいし、自分なりに勉強していければと思うところでもある。
第一に、ルソー研究という点からみれば「アウトサイダー」ともみえる著者だが、そのルソー理解にどういう新鮮味があり、あるいはどういった問題があるのかが知りたいと思った。巻末に掲載された参考文献には、国外のルソー研究はあまり含まれていない。それらを踏まえたらどうなるのか。
第二に、モンテスキューやルソーなどフランス啓蒙思想家の思想と植民地主義の関連について、おそらくはもっと蓄積があるだろうことについて知りたい。人食い言説をめぐる先行研究、植民地史料の批判的読解についての先行研究についてはふれてはいるが、哲学分野ではどうなのか。ヘーゲルのアフリカ人認識やヒュームの人種主義、アーレントの黒人への態度など、西洋哲学の正典とされる哲学者へのポストコロニアリズム・脱植民地化的な観点からの批判とはどう関わってくるのか。それ以前に、ネグリチュード運動もあったフランス語圏で啓蒙思想家たちはどう論じられてきたのか。
たとえば……ということでいうならば、私はエンリケ・ドゥセルの教育哲学を連想した。たまたま『ラテンアメリカの解放の倫理に向かって(Para una ética de la liberación latinoamericana)』(1973年)のうちの教育哲学論の英訳を読んでいたら、ドゥセルも、ルソーの『エミール』にみられる西洋中心性を批判していた。ここでのドゥセルの批判は正直大雑把にも思われるのだが、教育への着目は、後の大著『解放の倫理学』(1998年)におけるパウロ・フレイレ論にもつながっていく。