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何もしない時間をどれだけ取っているか?

何もしない時間はどのような効果があるのだろうか?私は何もしない時間は、エゴをなくし、自分を理由なく大丈夫と思え、自発的になると考えている。安心した心は自分にできることをする。無理がない。下手でもいいからと楽しみ、結果的にユニークなものを生み出す。生み出しているうちに、生活が安定し、周囲の人と良好な関係を築く効果があると捉えている。つまり、ヒト、モノ、カネに対して効果があるのではないかと思案している。私は2回転職した現在休職中の30代サラリーマンだ。仕事をする中で、どこか無理をしたこともあるし、自分にこたえようと試行錯誤したこともある。そのような私がどのような経緯でこの考えに至ったのか、実際、どのくらい何もしない時間を取っているのか話していこうと思う。

経緯

学生時代、私は焦っていた。競争社会に身を置き、このままではいけないと思えていた。周囲から”良い”とされる状態は競争で勝つことだったので、特定のルールの元、勝つように行動した。結果はついてきた。しかし、どこまでやっても次の競争が次から次に降ってきるので、その全てにこたえようとしていた。何かと大変だった。この時に何もしない時間は全く取っていなかった。家に帰れば、ご飯を食べてシャワーを浴びて寝る。基本的なことしかしていなかった。たまに、自分について考えた。今後どうしていこうかと思案した。自分と向き合う時ですら、人と話したり、本を読んだり、何か書いたりして”何もしない”ということはしていなかった。

そのような中、心理学者アブラハム・マズローの自己実現論に出会った。人の欲求は5段階あるという理論だ。Wikipediaを私なりに要約すると次の通りだ。

自己実現論
■自己実現の欲求 :自分に適したことをしたいなどと思う欲求
■承認(尊重)の欲求 :他者から認められたいなどと思う欲求
■社会的欲求 / 所属と愛の欲求 :社会に必要とされたい、所属したいなどと思う欲求
■安全の欲求:経済的に安定したい、良い暮らしをしたいと思う欲求
■生理的欲求 :食事・睡眠・排泄などの欲求

その中で、マズローは晩年、自己超越という欲求段階があると提唱しているということを知った。自己超越をしている人は自己超越者と呼ばれ、wikipediaから抜粋すると次の11個の特徴を持っている。このレベルに達している人は人口の2%ほどであるという見解らしい。

「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
統合された意識を持つ
落ち着いていて、瞑想的な認知をする
深い洞察を得た経験が、今までにある
他者の不幸に罪悪感を抱く
創造的である
謙虚である
聡明である
多視点的な思考ができる
外見は普通である (Very normal on the outside)

私は自己超越者に心あたりがあった。競争社会の中でも、なぜか焦ることなく、その取り組んでいること自体に楽しみ、あれこれ発見をしている人がいる。子供のように無邪気で、エネルギッシュであるが、落ち着いている。素早く物事を理解し、様々な視点で物事を観察できる。人との関わり合いも上手で、何かと無理をしない。そのような人は結果を出す。自発的に動いている。今を生きている。過去のことに囚われたり、将来のことに対して執着しない。

これは、社会人となっても同じような想いを強くした。私の仕事は理系の研究開発職であるのだが、理詰めで理論武装した世界の中で、なぜか感覚的にあれこれやってのける人がいる。そのような人は目がキラキラしていて、何事も意欲的である。社会のルールを守りつつも、新しい発想をする。世の中ではこのような人を天才と呼ぶのかもしれない。

天才のそばにいる中で、天才は確かに子供の頃から何かと得意だったことはあるものの、実は普通であるということに気がついた。人並みに苦労している。困難がある。悩んだ時期がある。時には打ちひしがれたりもする。そのような人の共通する。そのような普通な人と私の違いは、”何もしない時間を取ったか”であった。

この見解に行き着くまでに、あれこれと分析をした。私の分析では、3つの切り口がある。性格、思考と捉え方、人との関わり方だ。

まず、性格であるが、自己超越者は性格診断で全ての特徴が当てはまる。元々、子供の頃はその人特有の性格がある。内向的、論理的と言った形だ。それが社会の中で経験したり様々な人に囲まれる中で、全ての性格を経験している。外交的になることもあれば、感情的になることもある。結果的に、全てのバランスを取るように、全ての性格が当てはまるような”統合的な性格”をしていた。そして、統合的な性格になると、なぜかエゴがない。こうしてやろう、あぁしてやろうと計算高くない。もちろんあれこれシミュレーションしてみることはできるのであるが、このやり方がいいと決めつけない。自分の意欲のままに物事に取り組む。

次に思考と捉え方であるが、このような人は論理的に物事を把握することもできる。新しいことに出会うと、体系的に捉える。重要な要素を見出す。重要な要素の付近は深堀もする。時間をかけてあれこれ分析することもできるのであるが、一番の特徴は体系的に捉えたものから、一瞬で自分の目的とするもののこれまで予想していなかったことを発想することだ。情報を集め、物事を体系的に捉え、鍵となる要素を見出す。そして、一旦頭を空っぽにした後に、何か悩んでいたことや解決したいこと、やりたいなと思っているようなことに対して解を閃く。何か論理立てて思考したわけではない。閃く形で新しい発想をする。

最後に人との関わり方であるが、人の変化に敏感に気が付くことができる。この人は体調が悪そう、この人は元気いっぱいだ、といった具合である。これは組織、集団にも同じことが言える。どこかの組織を見て、どこか弱っている、活気があるということを見抜く。見抜いた上で、当たり障りなく接する。本人は当たり障りなくしようとしているわけではない。気づいた結果、自然とそうなっている。体調が悪いからそっとしておこう、体調が悪いから、少し活気を与えよう、どう関わるかはその時次第なのであるが、流れを読む。無理をしない。すると物事がうまくいく。

自己超越者、天才、統合的な性格の人、とあれこれ様々な呼称をしたが、この特徴を有する人は、”何もしない時間を取っている”。論理的に考えるのが得意なのであれば、それをできるようにすればいいのではないかと考えるかもしれないがそうではない。ロジカルシンキングができずとも、自己超越者の特徴を有する人に会った事がある。ただ、ロジカルシンキングができる方が自己超越者となっている可能性は高いのではないかと所感として抱く。理系の研究開発職には、なぜか他の畑よりも自己超越者が多かったように思う。ただし、そうでなくとも、自己超越者だなと思う人はいた。別にそれをスキルとしてできることは必須ではない。また、人と関わる事が上手なのであれば、人と関わる経験が多い方がいい、場数を踏むべき、コミュニケーション能力をあれこれ身につけるべきかと言えばそうでもない。人と関わらずとも、自己超越者の特徴を有する人はいる。逆に、ひとりになることを選択している人の方がこの特徴を有しているように思えた。

なお、なぜ私が”理系の研究開発職には、なぜか他の畑よりも自己超越者が多かった”と言えるのかといえば、一時期、異業種交流会という名の街コン、出会いの場に行っていたからである。都内に住んでいると、どこかでこのような会は毎日開かれていた。都合のつく時は、興味本位で様々な人に会った。それには年収やステータスがなければ参加できないのもあれば、年齢制限くらいのもの、趣味趣向が同じ人向けと様々であったが、そのようなものに参加して知見を広げいていた時期がある。また、〇〇勉強会というのにも参加したこともあるし、〇〇セミナーにも参加した事がある。私の場合はその目的に応じて集まった人を観察するために行っていたのではないか、と今となっては思える。

話を戻すが、分気づきを重ねている中で、私はあれこれ本を読んだ。自己啓発系の本から心理学の本、哲学や精神に関わる本。全ては人の心が根っことなるところの本であるが、この私が気になっていることは何なのだろうと追求した。キーワードはマズローの自己超越者の”「在ること」 (Being) ”、”統合された意識”、”瞑想的な認知”だった。これらが何を指すのか、マズローの文献ももちろん読んだし、それにまつわる様々な情報を集めた。

そのような中で、私は一つの解に至った。”「在ること」 (Being) ”、”統合された意識”、”瞑想的な認知”は”頭を空っぽにすること”がどうやら鍵になっているかもしれない、ということである。頭を空っぽにする手段の中で、一般的と思われるものに、瞑想やヨガ、マインドフルネスがあった。

そこで私はこれらを片っぱしから試した。その中でも特に印象に残ったのが次の本である。全て英語であるが図もあるのでまぁまぁ分かりやすい。

The Mind Illuminated: A Complete Meditation Guide Integrating Buddhist Wisdom and Brain Science for Greater Mindfulness
著者:John Yates , Matthew Immergut
発行年月:2017.1

この本の説明ではないが、この本に書かれている瞑想の10プロセスは、私なりの見解を交えてこちらの記事で語っている。

以上の通り、私は自分と周囲の違いから、何が差異なのであろうと考え、あれこれ試した。情報を収集した。分析した。その結果が”頭を空っぽにする”ということだったのである。

どのくらい時間を取っているか

頭を空っぽにすることは、忙しさによって違う。忙しい時は全くその時間が取れない。時間を取ったとしても、頭を空っぽにできない。様々な事が脳裏をよぎる。しかし、ここでは忙しさに応じて具体的な頻度、時間を話していく。

■最も忙しい時:
朝6:00には起きて、6:30には家を出て、7:00に会社に着く。仕事をお昼食べる間も無く取り組み、帰宅は20:00か21:00頃である。私は土日休みの仕事しかしたことがないので、土日は休める。しかし、来週の発表、分析結果などを家で考えることもあるような日々である。頭を空っぽにする時間、頻度は次の通り。なお、忙しい時は”意識して”やっている。

時間:30分〜2時間程度。平均45分程度。
頻度:週1、2回(土日のみ)
時間帯:朝(起きて一通りやることやった後)、夜(お風呂に入った後、寝る前)

■まぁまぁ忙しい時:
朝7:00頃に起きて、8:00か9:00頃に会社に着く。昼ごはんは適当に取って再び仕事をし、18:00か19:00頃には帰路につく。土日休むで好きなことをする。これが自分にとっては一番生活しやすい。頭を空っぽにする時間、頻度は次の通り。自然とやっている事が多く、1日を良い日にしたいなという気持ちから少し意識してやっている。無理はしていない。

時間:5分〜30分程度。平均15分程度。
頻度:週1回(主に土曜日の朝)
時間帯:朝(起きて一通りやることやった後)

■まったく忙しくない時:
朝7:00頃に起きて、9:00か10:00頃に会社に着く。昼ごはんは自分の好きなものを厳選している。お腹いっぱいになった後はゆっくり休む。仕事をした後、16:00には会社を出る。忙しくないので、有給も取る。3連休にしたり、水曜日休みにする。頭を空っぽにする時間、頻度は次の通り。気づいたら頭を空っぽにしている。休んでいる。無になっている。

時間:1分〜15分程度。平均5分程度。
頻度:毎日3回程度。昼ごはんの後、夜ご飯の後、お風呂に入った後
時間帯:終日(朝は活力に溢れているので、結果的にしていない)

結論

私は何かと大変だなと感じ、それに気がつきなぜだろう?と周囲を比較したり情報をあれこれ集めたり、試行錯誤した結果、何もしない、頭を空っぽにすることが心理学者のマズローが提唱する自己超越者になることに繋がるという見解に至った。自分の生活に取り入れた結果、忙殺されている時は自分を取り戻すかのように、意識的にそのような時間を取り、のんびりとしている時は、食後の一息で頭を空っぽにしていた。

頭を空っぽにする手段は、人により様々である。自然の中を歩くことかもしれないし、お風呂でリラックスすることかもしれない。本を読むことかもしれないし、ヨガをすることかもしれない。手段は何であれ、頭を空っぽにすることは、自分は大丈夫と根拠なく思える。より満たされるようになる。




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