自分の軸を持つとは
部活を決める時、結婚相手を決める時、どのような基準で決めるだろうか?
全国大会に出場していて強豪校だから。年収がうん千万人以上だから。週に1回しか部活動がないから。相手が私がいないと生きていけない言うから。これらの理由を述べる人は不安な人である。何か今の自分ではない姿になりたいと願っている。日々の生活に張りがなく楽しいことがないと感じている。
昔からボールがあれば触ろうと夢中になってたから。気張らずただ一緒にいたいと思うから。授業中でもノートに余白があれば何か書いてしまうから。一緒にいると知らない自分が出てくるから。これらの理由を話す人は安心している人である。自分がどう感じるかで決めている。対象に対して理想がない。ただそこにあるから選んでいる。生活の一部である。
自分の軸を持つとは理想を掲げることではない。自分の軸を持つとは自分がどう感じるかに対して気がつき続けることだ。
人の状態はコロコロ変わる。たとえば晴れていれば元気いっぱいだが、雨が降ると元気がなくなる人がいる。湿気に弱い人がいる。人と話している時はあっという間に過ぎ去っていくが、自分ひとりであると何をしてもつまらないと感じる人がいる。対して人と話しているとどこか疲れるが、ひとりであると落ち着き作業が捗る人がいる。
自分の軸を持つとは、自分の状態が変わる中でその時の課題(意欲)を解決する勇気を持つことだ。無気力感にさいなまれる時は、そのまま休もうと決断することだ。お腹が空いたら冷蔵庫のところへと歩いていくことだ。学校の宿題がどうしようにも取り組む気力が湧かないが、どうすれば気力が湧くようになるのか考えることだ。仕事で人間関係にトラブルが起こったら、どうすれば自分も心地よく、相手も心地よくなるか考えることだ。親が子供にこれができてほしいと思うのに、それができない子供を見て悩む時は、子供の今のできない状態を受け入れる勇気を持つことだ。
自分の状態は人生において刻々と変わっていく。自分の軸とは不変的なものをイメージする人もいるかもしれないが、そのようなものでなくていい。自分は時間は何としても厳守する人だ。自分は1日3つ人が喜ぶことをすると決めている人だ。自分は毎日必ず新しい知識を入れるように決めている人だ。このような自分のあり方を決めることが自分の軸を持つことではない。
自分の軸に数字が入ったり、限定する言葉が入ったり、周囲からの見られ方を入れている人は、不安な人だ。目標を立てて、自分に鞭をふるい、今の状態ではなく、他の理想を掲げて頑張ってきた人だ。避けがたい困難があった人だ。安全欲求に従った人だ。周囲に「美味しい?」と聞かれたら、「美味しい」とこたえなければいけない環境で育ってきた人だ。周囲から決めつけられ、機嫌を取ることを要求され、ありのままを出すことができなかった人だ。勉強ができることを良しとされた人だ。勉強ができないことを良しとされなかった人だ。風邪をひいたらいけないと言われ続けた人だ。風邪をひくようなものなら、あなたはカラダが弱いからダメなのよと言われた人だ。元気があることを要求された。風邪をひくという人として生きていれば誰もがなる状態を否定されたからだ。
自分の軸に自分の感じ方が入ったり、自分が気になることが入ったり、自分の夢が入っている人は、安心している人だ。夢をみて、それまでの過程を楽しんでいる人だ。成長欲求に従った人だ。たとえば自分は画家になりたいと筆を握ったが、お花屋さんになっているような人のことだ。自分は親孝行するんだと言いながら、親から遠く離れた場所で生き、生活している人だ。自分が気になる方向に歩んでいった人だ。気になる方向に歩む中で、目の前の課題を解決してきた人だ。どうやったら、自分なりの表現ができるのか悩んだ末、お花が最も性に合ってると気づいた人だ。親孝行したいと思いながらも、目の前のまたとない機会に人生を賭けてきた人だ。日常の中で自分が気になっている事に気がつき、それを認めてきた人だ。本屋さんにいけば、毎回海外の暮らしの本を手に取ってるなと気づいた人だ。SNSで美しい家ばかりを検索していたが、家が好きなのではなく、ユニークな家に住んでいる人に興味があるんだと気づいた人だ。自分の好きなことと興味のあることは違うと気がついた人だ。
自分の軸を持つとは、自分の感じ方の変化に気がつくことだ。世の中の流れの中に自分を乗せることだ。周囲の人の顔色ばかりを窺うのではなく、自分の身の安全ばかりを考えるのではなく、挑戦することをしてきた人だ。数々のうまく行かないことをまぁ何とかなるさと捉えて楽観的にいた人だ。そこで挑戦したことを経験として終わりにするのではなく、自分はうまくいかなかったけど、次はどうしたいんだろうと観察する人だ。そうしてまた挑戦していく人だ。試していく人だ。自立的な人だ。何者にでもなれる人だ。