茨木のり子 「根府川の海」
8月15日付読売新聞の詩歌を紹介している欄に、この詩の冒頭の三行だけが掲載されていました。
終戦記念日に因んでこの詩が紹介されたものと思います。
軍国主義時代の自らを顧みた内容が含まれていることから、取り上げられたのかもしれません。
紙面の構成から詩の一部に限定して掲載されていました。
わたしの好きな詩でもありますので、少し長いですがここに全文を掲載します。
(註.岩波文庫茨木のり子詩集からの引用)
根府川の海
根府川
東海道 の 小駅
赤い カンナ の 咲い て いる 駅
たっぷり 栄養 の ある
大きな 花 の 向う に
いつも まっさお な 海 が ひろがっ て い た
中尉 との 恋 の 話 を きかさ れ ながら
友 と 二人 ここ を 通っ た こと が あっ た
あふれる よう な 青春 を
リュック に つめこみ
動員 令 を ポケット に
ゆら れ て いっ た こと も ある
燃えさかる 東京 を あと に
ネープル の 花 の 白かっ た ふるさと へ
たどりつく とき も
あなた は 在っ た
丈 高い カンナ の 花 よ
おだやか な 相模 の 海 よ
沖 に 光る 波 の ひと ひら
ああ そんな かがやき に 似 た
十代 の 歳月
風船 の よう に 消え た
無知 で 純粋 で 徒労 だっ た 歳 月
うしなわ れ た たった 一つ の 海 賊 箱
ほっそり と
蒼く
国 を だきしめ て
眉 を あげ て い た
菜 ッパ 服 時代 の 小さい あたし を
根府川 の 海 よ
忘れ は し ない だろ う?
女 の 年輪 を まし ながら
ふたたび 私 は 通過 する
あれ から 八 年
ひたすら に 不敵 な こころ を 育て
海 よ
あなた の よう に
あら ぬ 方 を 眺め ながら・・・・・・。
この詩を読むたびに最後の二行は、いつも「?」をわたしの胸につきつけます。
意味が分からないわけではありません。
作者の気持ちに思いを馳せることからです。
終戦から8年を経過したときとすると、昭和28年前後でしょうか。
まだ日本の行く末も判然としない頃ではないでしょうか。
わたしは当時6歳で、まだ戦災の焼け跡地やバラックが残っているのを覚えています。
反惑感、虚無感、あるいは第三者的な客観視的感覚、あるいは不貞腐れ感、いろいろな感情が推測されます。
当然のことですが、わたしには分かりようがありません。
この二行は、終戦後の時代背景を考慮しなくとも、言葉だけを操るのではない作者の地についた感覚が胸に迫ってきます。
作者の意図はともかくとして、わたし自身の生き方をも含めて、この詩は読むたびにわたしの心に「?」を問いかけてくれます。