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中勘助「銀の匙」

本書は会社の先輩の言葉で知りました。
文学に造詣の深い先輩が、「中勘助の銀の匙が好きだ」と漏らしたのです。
わたしは、咄嗟に言葉が出ませんでした。
たぶん、そのとき中勘助という作家は名前を聞いたことがあるくらいで、ほとんど知りませんでした。
そのことがずっと記憶に残り、なんどか本書を手に取って開いたことはあるのですが読むまでに至りませんでした。
今回、読んでみることにしたのは、夏目漱石が激賞したことを知ったからです。

本書の内容は、幼年期から少年期にかけての主人公の生い立ちを記述しています。
この主人公は、中勘助といってよいのでしょう。
いわゆる自伝的な小説です。
特に母親が病弱のために伯母が母親代わりとなって、その愛情を一身に受けています。
幼少期の隣家の少女とのお遊びや学校に行ってからの周りの友だちとのことなどが、きめ細かく描かれています。
そしていちばんわたしが感動したのは、別れた伯母と再会する場面です。
もう小説は、9割がた進んだ終わりに近いところです。
そこから訪ねてきた友人の姉へのほのかな恋心などが、哀しく美しく描かれ終末となります。

伯母と再会した場面から一部を以下に引用します。
(中 勘助. 銀の匙 . 青空文庫. Kindle 版.) 

「耳もえろ遠なりましてなも」
 「それでひと様に御無礼ばつかいたします」
  こちらがいつまでも黙つてるものですこしのりだすやうにして
 「どなた様でございます」
 とくりかへす。私は胸一杯なのをやつとの思ひで
 「私です」
 といつた。それでもまだ
 「どなた様でゐらつせるいなも」
 といつてしげしげとひとを見あげ見おろししてたがなにはともあれ心やすい人にはちがひないと思つたらしく、立ちあがつて奥の火鉢のそばにあつた煎餅蒲団を仏壇のわきにしいて
 「さあどうぞおあがりあすばいて」
 と招じいれるやうに腰をかがめた。そのあひだに私はやうやく気をおちつけて笑ひながら
 「伯母さんわかりませんか。□□です」
 といつたら
 「え」
 といつて縁先へ飛んできて暫くは瞬きもしずにひとの顔をのぞきこんだあげく涙をほろほろとこぼして
 「□さかや。おお おお □さかや」
 といひいひ自分よりはずつと背が高くなつた私を頭から肩からお賓頭盧様みたいに撫でまはした。さうしてひとが消えてなくなりでもするかのやうにすこしも眼をはなさず
 「まあ、そのいに大きならんしてちよつともわかれせんがや」
 といひながら火鉢のそばに坐らせ、挨拶もそこそこにもつと撫でたさうな様子で
 「ほんによう来とくれた、まあ死ぬまで逢へんかしらんと思つとつたに」
 と拝まないばかりにして涙をふく。

引用が長くなりましたが、伯母の再会の喜びを感じますと、もっと引用したくなるくらいです。
 
夏目漱石が、中勘助から送られてきた本書を絶賛して公開するまでに骨を折ったとのことです。
漱石は明治末年ごろの自然主義文学と言われる文学に対する気持ちから、私小説的なものでありながらも芸術性の高さを評価したのではないかと推察してしまいます。
いわゆる告白的な私小説ではない本書の価値を見抜いたのではないでしょうか。
これはわたしの深読みかもしれませんが。

本書は最後の1割の部分がなかったとしたら、わたしとしては感興を得なかったかもしれません。
正直言いまして、なぜ本書が一番だと先輩が言ったのか疑問を感じながら読んでいましたから。
実の母親と子ではない同士の愛情あふれる関係が、もっともわたしの興味を惹くところです。
無償の愛を感じます。

先輩になぜ一番に本書をあげたのか聞きたくなりますが、2年ほど前に亡くなりましたので聞くことは叶いません。
しかし真面目で実直そのものだった人柄でしたので、本書を好きだったこととに違和感はありません。
一冊の書を契機として、先輩を懐かしく偲ぶことができました。
本書自体の感想とは言えませんが、わたしにとって貴重なひと時となりました。



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