山本周五郎「泥棒と若殿」
山本周五郎の短編が好きで繰り返し読んでいます。
今回はそのうちのひとつを取り上げてみようと思いました。
どの作品を選んだら良いかけっこう迷いましたが、「泥棒と若殿」にしました。
この作品のあらすじは
お家騒動に巻き込まれた若殿の成信は、お国の辺鄙なところに幽閉されています。食べ物もろくになく、3日も食べてない日が続き寝ています。そこに泥棒の伝九郎が入ってきて家探しをするのですが、何もないためあきれてしまいます。成信を脅かして金を要求するのですがまったくありません。伝九郎自身も空腹のため食べ物を探すのですが米櫃には一粒も米はありません。
逆に伝九郎は成信が心配になり、自分が里の方に出向いていろいろと買ってきて成信に食事を作って食べさせます。
伝九郎は仕事にもありついて成信を養っているような生活が始まります。ですが、伝九郎はこの生活が楽しくてなりません。それは成信の人を惹きつける人間的な魅力なのでしょう。言ってみれば伝九郎は成信に惚れこんでしまいます。今まで辛酸をなめてきた伝九郎にとってはこのような人に巡り合うことはなかったのです。成信も伝九郎に感謝と親しみを覚えて、侍などは捨てて、それこそここを出て伝九郎と一緒に生きていこうと思います。
そこにお城から成信にお迎えが来ます。お家騒動が解決したのです。成信は帰らずに伝九郎と一緒に暮らしていきたいと拒否します。しかし、そこはそれぞれの人の使命があるからと説得されてお城に戻る決断をします。それを伝九郎に伝えようと前の晩から自分が初めて夕食を作りに食べさせるのですが、どうしても口に出せません。伝九郎を寝付かせて、静かに家を出ていこうとします。
次に小説の最後の場面を少し長くなりますが引用します。
伝九郎は殆んど夢中のようで、這って夜具までゆくとそれなり、手足を投げだして眠りこけた。成信はその寝姿を、やや暫らく見まもっていたが、裏庭の樹をわたる風の音を聞いて、われに返ったように立上った。今だ、今ゆかぬと気が挫ける。
時が経つほどみれんが強くなる。朝までというつもりだったが。早いほうがまちがいなしと思い切って、なにもかもそのまま、立っていってすばやく身仕度をした。袴をはき、刀を持てばよい、広縁のきしみを除けて、沓脱ぎの草履をさぐり当てた。そうして前庭へ出てゆくとたん、うしろから伝九郎の声がした。
「おめえいっちまうのか、信さん」
成信は身の竦む思いで立停った。
「おれを置いて、いっちまうのか」
「伝九郎、堪忍して呉れ」成信は頭を垂れ、声をころして云った、「おまえはこの土地でりっぱに生きてゆける、おれも生きたい、おれも武士として生きたくなった、おまえがおまえらしく生きるように、おれもおれらしく生きたくなったんだ、……世話になり放しで済まない、まことに済まないがおれをゆかせて呉れ」
「晩の飯はこのためだったんだな」伝九郎は広縁の柱を抱いたまま云った、「おらあ信さんといっしょにいたかった、一生ふたりで暮せると思ってたんだ、信さんと暮すようになってから、初めておらあ生きる張合ができ、世のなかが明るくみえてきた、ようやっと人間らしい気持になれたのに、いまんなっておめえにいかれちまう、信さんてえものがいなくなる、……伝九が可哀そうだたあ、思っちあ呉れねえのか」
成信は夜の空をふり仰いだ、頭をはげしく左右に振り、きっぱりと力をこめて云った。
「また会おう、伝九、人間にはそれぞれの道がある、おれはおれの道をゆくんだ、達者でいて呉れ、さらばだ」
成信は思いきって、大股にぐんぐん歩きだした。
「それじあ、いっちまうんだな、信さん」伝九郎の声がうしろから追って来た、「おらあもうとめねえよ、どうかりっぱに出世して呉んな、……祈ってるからな、病まねえようにして、いつか、もしできたら、会いに来て呉んな、信さん、おらあ待ってるぜ」
歯をくいしばり、耳をふさぐおもいで、成信はずんずん門の外へ出た。するとそこに誰かいてつくばった。
「お供をつかまつります」
鮫島平馬である、成信は頷ずいて、そのまま道を下っていった。、
まだ西風が強く、夜空はちりばめたような星であった。
信さん、いっちまうのか信さん。
成信の耳には伝九郎のかなしい声がいつまでも聞えていた。
もう何回もこの場面を読んでいるにもかかわらず、どうしてもホロリとしてしまいます。これはリアルな世界ではないかもしれません。そんなのあるわけないだろ、と言われればそれまでです。しかし、山本周五郎はここに人間として最も大切なことを表したかったのではないかと思います。親子間でもなく男女間でもなく、人間が人間を愛することがいかに貴いことかを象徴的に表現したのだろうとわたしは解釈します。それも理屈ではなくしみじみとした情感をもって胸を満たしてくれます。
子への虐待や生徒間のいじめで、苦しい思いをしている子供たちを見聞きすると、人間が人間を愛する大切さが揺らいでいないだろうかと心配になります。
どこか世の中には、きっと人間愛に満ちた行為があるものとわたしは信じていますが・・・