ユーゴー「レ・ミゼラブル」第2部を読んで
「レ・ミゼラブル」第1部に引き続いて、第2部を読み終わりました。
もう「レ・ミゼラブル」を読了してしまったような気持ちです。
前回のnote記事でこの小説はドラマに仕立てると面白いように感想を述べましたが、第2部の最後の章でこの小説の思索的・哲学的な深さに感銘を受けました。
ここでも、さすがにトルストイが愛読書としてあげている理由が分かりました。
第2部のあらすじを概略して以下に記します。
第1部でジャン・ヴァルジャンは再び捕まりましたが脱獄を成功させて、ファンティーヌの娘コゼットを迎えに行きます。テナルディエからコゼットを引き取りゴルボー屋敷に潜んでいましたが、ジャヴェル警視に勘づかれて、そこから逃亡します。逃げ込んだ先は、幸いにも以前に命を助けたフォーシュルヴァン老人のいる修道院でした。ここでジャン・ヴァルジャンとコゼットは安全な生活に落ち着くことができました。
第2部のポイントとしては、次の3点があるかなと思います。
① ジャン・ヴァルジャンは、森の中に水を汲みに来たコゼットに偶然に会います。ここでは急に水桶が軽くなるところなどユーゴーの詩的な表現が幻想的です。さすがに詩人でもあるユーゴーの一面が躍如としています。
➁ ゴルボー屋敷からの逃走劇は、スリル満点のリアルな表現でまさにドラマティックな見どころです。
③ 修道院にいられるようになってからのジャン・ヴァルジャンの心理的な変容に対するユーゴーの人間観察や神に対する哲学的な思索などは読み応えがあります。
第2部の冒頭は、ワーテルローの戦いなど歴史的な背景を描いており、また修道院に対する実情など小説の本筋とは離れている個所に相当のページ数を割いています。
わたしとしては、個人的には修道院に関するところなどは興味深く読みました。
ユーゴー本人も本筋から離れていることを認めていますが、作者としては自分の意図を十分に読者に伝えたかったものと思います。
この修道院に関する叙述は、第2部第8編9「隠棲」の最終章の哲学的な思索を理解する上でも大変に重要です。
ジャン・ヴァルジャンの監獄での生活と修道女の修道院での生活を対比しての思索は、人間の根幹に切り込んでおり感動しました。
以下に参考となる個所を引用します。
(岩波文庫 レ・ミゼラブル 第2部第8編9「隠棲」 豊島与志雄訳より)
穏やかな生活が始まり、読者としてもほっとします。
前者とは監獄、後者とは修道院を表しています。
この人間の根幹に触れる文章は、深く考えさせるものがあります。
この文章が、第2部の最後となります。
読者としてもこのまま穏やかな日々が続くことを念じてしまいます。
この第2部は、ジャン・ヴァルジャンが人間として「再生」していく過程が描かれているように思います。
そしてこれからさらに人間としての高みに上ることだろうと思います。
人間として最も大切なことが描かれてゆくことを期待するとともに、第3部以降の展開がますます楽しみとなりました。