足跡
文京区で生まれ育った大学の友達がいる。今は西日暮里に住んでいるその彼に先日、かつて多くの近代作家が住んでいた千駄木の辺りを案内してもらった。
まず向かったのは谷中銀座商店街だが、このご時勢でシャッターが閉まっている店も多くて寂しい感じがした。いくつかの店に入ってみたけど、人が少ない商店街というのはどこか悲壮感が漂っていて、何となく空気が乾いた感じだった。
続いて団子坂の方へ向かって散歩。
僕は小学生の頃から江戸川乱歩が好きで、ある意味自分の原点でもあるので、物語に登場するD坂(団子坂)を実際に見れたのは良かった。
特に乱歩の短編がとても好きで、最近も「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」を読み返したりしていた。「D坂の殺人事件」もまた読もうと思う。
次に根津神社へ。境内では子供が遊んでいて賑やかな雰囲気で、お参りをしてから千本鳥居をくぐって歩いた。高さが結構低くて、腰を曲げながら歩いたのでキツかったが、距離は短かったのはまだ良かった。
文豪の石という平べったくて長い石があり、座って休憩しながら、二人で少し話した。彼も小説を書いていて公募に出した経験もあるということで、物語を作ることについてとか、色々話したりした。
他にも就活のことや将来のことなんかも話せて良い時間だった。
その後、夏目漱石の旧居跡や森鷗外記念館にも立ち寄った。
漱石や鷗外には、翻訳家としての顔もあった。最近だと村上春樹などもそうだ。以前から思っているのだが、「翻訳」というのは凄く価値あることだろうなと。ある言語で書かれた文章を他の言語に変換するのは、想像してみると途方もない作業だと感じられる。けど、それを通して言語に立ち向かう意義は、とてつもなく大きいのだろう。
近代作家の作品が未だに支持されて読まれ続けるのは、単にお話として面白いだけではなくて、物語に内包される表現や描写が、美しく凄まじいからだと思う。そういうものは作家の中にある言語感覚の鋭さから来るのかも、とか考える。
もっと近代作品に触れていこうと思った、どうしても読みづらさがあり少し敷居は高いけれど。そんなことを考えた一日。
読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。