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娘の試合に行かない理由:結果より大切なものを見守る

試合は娘にとっての晴れ舞台。
大切な試合に出るとき、親として応援に行くのは当然のことと思われるかもしれません。しかし、私はあえて応援には行かないことにしています。
それには深い葛藤と理由があります。


試合は結果に過ぎない

試合当日の朝、娘は緊張と期待を胸に家を出ます。
私は玄関先で見送るだけです。
なぜなら、試合そのものはただの結果に過ぎないと考えているからです。
より重要なのは、その過程、つまり日々の練習です。
娘が何をどれだけ努力し、どれだけ成長したか。試合当日にはその答えはもう出ています。
それなら試合当日はこれまでの成果をぶつけて、試合の緊張感と興奮を味わって楽しむだけ。
試合当日にすることはもうないと考えています。


家で待つという選択

試合が終わって疲れて帰ってくる娘。
そんなとき、家に帰れば温かい晩御飯が待っている。それがどれほどの癒しになるかを考えています。
試合中に親ができることはほとんどありませんが、家で待っていることで、娘が安心して帰れる場所を提供することはできます。
そのため、私はキッチンで娘の好きな料理を作りながら待つことにしています。


応援の形は人それぞれ

もちろん、試合会場で声援を送ることも大切です。
応援してくれる人がいることは、娘にとって大きな励みになるでしょう。
しかし、誰かが舞台裏で支える役割も同じくらい重要です。
私はその縁の下の力持ちであることに、親というサポーターとしての役割の価値を感じています。


自分との葛藤

「我が子の応援に行かないのか?関心を持っていないのか?」

そんな疑問が頭をよぎることもあります。
ネガティブなもう一人の自分が問いかけてくるのです。
彼の言っていることはとてもよく理解できます。確かにその通りかもしれません。
自分は間違っているのだろうかと、毎回思います。

だからこそ一度立ち止まって、
その度に自分の中にいる彼と対話して話し合います。

家族のために何をするのが本当に良いのだろう。
他の人にはできない、やっていない、自分にできることはなんだろう。


家族のためにできること

人それぞれに異なる立場や環境があります。
私は、自分が家族のためにできる最善のことを探し続けています。
目立たないところでそっと支えること、それが私の選んだ役割です。
そうすることで、娘が試合に集中でき、どんな結果であれ帰ってきたときに落ち着ける場所を提供したいのです。


娘が起きてきたら、聞いてみようと思います。

「今日の晩御飯、何がいい?」

彼女が食べたい料理を作りながら、私は彼女の成長を見守り続けます。
これが私なりの最大のエールです。

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