Théodora

猫とマルグリット・デュラス。仕事ーー『集英社 世界文学大事典』、「クーリエ・ジャポン」、いとうせいこう『「国境なき医師団」を見に行く』、町田康・ヒグチユウコ『猫のエルは』、王寺賢太・立木康介『〈68年5月〉と私たち』、 『金森修科学論翻訳集』他、現在は文芸誌「群像」の校正。

Théodora

猫とマルグリット・デュラス。仕事ーー『集英社 世界文学大事典』、「クーリエ・ジャポン」、いとうせいこう『「国境なき医師団」を見に行く』、町田康・ヒグチユウコ『猫のエルは』、王寺賢太・立木康介『〈68年5月〉と私たち』、 『金森修科学論翻訳集』他、現在は文芸誌「群像」の校正。

マガジン

  • Sensual Bachataの夜

    センシュアル・バチャータを始めました!

  • 記憶の記録

    もはや自分しか覚えていないであろうことを書き留めます。

  • ずっちのこと

    伴侶であった雄猫のずっちのことを、写真と文章でここに残します。 共に過ごした時間の後半に入ったあたりまで書いてあります。 もう少ししたら続きを。

  • 書きもの

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再生

MEMORIA ずっちモノクローム

白黒フィルムで撮った古い写真をスライドショーにしました。#猫#記憶

    • 55歳からのアルゼンチンタンゴ ❶

      目ざせ、ミロンガ!素足にピンヒールを履いて、膝小僧の出るノースリーブを着て、ミロンガに行く。そこで見知らぬ男性からダンスに誘ってもらうーーこれがわたしの当面の目標である。 ミロンガはタンゴを踊るサロン。男が女を踊りに誘い、即興のペアダンスを楽しむ。 それならタンゴを習って、さっさと行って踊ってくればいい、と思われるかもしれない。 ところがこれが、自分のような者には越えられるかどうか危ういハードルなのだ。 * わたしは1年ほど前、55歳のときにアルゼンチンタンゴを始め

      • 自分の言葉② 『午前四時のブルー』Ⅲ

        先日刊行された『午前四時のブルー』Ⅲ号に、 「もう一度、腕に火を––––マルグリット・デュラス『死の病い』」というエッセイを書きました。 小林康夫先生はデュラスのテクスト「死の病い」との出会いについて書くようにおっしゃいました。 わたしもそのように、テクスト「死の病い」との出会いについて書こうとしました。 二十歳の誕生日に「死の病い」を読むに至ったいきさつについて書こうとしました。 大学ノートに少しずつ自分の言葉を書いていきました。 その一方で、小林訳の「死の病い」を読み

        • 自分の言葉① 小林康夫先生

          二〇一八年暮れのことです。 フリーランス校正者として通っている出版社の大理石の床の上に、十五センチくらいの一本糞が落ちていました。目を疑いましたが、どう見ても人糞でした。一階の奥の図書室につづく廊下を歩いていくと、トイレの手前に落ちていたのです。 大理石のビルにはもう十五年余り通っていますが、人糞に遭遇したのは初めてのことでした。あまりにも思いがけない景色だったせいか、たちまち動悸がしてきました。あたりには誰もいません。なぜこんなところに置かれているのだろうか? しかも、まっ

        • 固定された記事

        MEMORIA ずっちモノクローム

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        • Sensual Bachataの夜
          2本
        • 記憶の記録
          1本
        • ずっちのこと
          39本
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          4本

        記事

          古井さんの「遺稿」を読んだあとに

          寝るのはいつも明け方近くなので、けさ見た夢ということになるが、本当にひさしぶりにあなたが出てきてくれて懐かしかった。 あなたは映画に行こうと言って、てのひらに4枚のチケットを並べてみせた。わたしは身をのりだして映画のタイトルを読もうとした。 チケットはどれも破線から下が切り取られていた。 そこで目が覚めた。 10年のうち、あなたと映画に行ったのは一度だけだった。 2004年1月23日に日比谷で観たオムニバス映画『10ミニッツ・オールダー イデアの森』がそれだ。8人の監

          古井さんの「遺稿」を読んだあとに

          古井睿子インタビューから古井由吉「遺稿」へ

          二月に八十二歳で亡くなった古井由吉の最後の作品「遺稿」が新潮五月号に載っている。未完に終わったことが無念に思われてなかなか目を通す気持ちになれなかったが、六月になって『古井由吉 文学の奇蹟』(河出書房新社)が出て、末尾に掲載されている古井睿子インタビュー「夫・古井由吉の最後の日々」を読んだことで、これに続けてようやく「遺稿」を開いた。 「夫・古井由吉の最後の日々」 古井の妻・睿子さんが、夫の最後の四か月余り(主として二〇一九年十月の尿路感染症による緊急入院から二〇二〇年二

          古井睿子インタビューから古井由吉「遺稿」へ

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          寝室のずっち(『ずっちのこと』後篇⑥)

          寝室のずっち(『ずっちのこと』後篇⑥)

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          ずっちとベゴニア(『ずっちのこと』後篇⑤)

          ずっちとベゴニア(『ずっちのこと』後篇⑤)

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          「はんの木緑地」とずっち(「ずっちのこと』後篇④)

          写真は2005年4月末、寝室から撮ったものです。向こうの家がずっと遠くにあって、樹木が繁ってくると屋根しか見えなくなります。 以前、新しい部屋のすぐ裏手には「はんの木緑地」が広がっていると書きました。建物の背がブロック塀を挟んで緑地と接している格好です。ブロック塀から向こう側を覗くと、ここが崖っぷちで、5メートルくらい真下からさらに下がっていく形で、なだらかな緑地が広がっているのがわかります。「はんの木緑地」は緑の谷になっているのです。 緑地の真ん中を一本の遊歩道が通って

          「はんの木緑地」とずっち(「ずっちのこと』後篇④)

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          ずっちのまどろみ(『ずっちのこと』後篇③)

          ずっちのまどろみ(『ずっちのこと』後篇③)

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          ずっちと退屈(『ずっちのこと』後篇②)

          ずっちと退屈(『ずっちのこと』後篇②)

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          ずっちとの新しい日々(『ずっちのこと』後篇①)

          さて、ずっちを連れて2回目の引っ越しをしました。2005年3月のことです。 袋小路の行き止まりに立つ一軒家の2階部分を借りました。家のすぐ裏には「はんの木緑地」が広がっています。広い出窓が東と西の2方向にあって、東の出窓からは道路の様子を、西の出窓からは緑地の木立を眺めることができ、南側にはベランダもあります。木造の古い家ですが光はふんだんに入ってきました。 写真は東の出窓です。ラベンダー越しにずっちがこちらを見ています。引っ越しした当初は、よくこんな顔をしました。 大

          ずっちとの新しい日々(『ずっちのこと』後篇①)

          ずっちともう一度

          ずっちの二重生活が発覚してから半年が経ちました。今は2005年1月です。 来月にはこの渋谷区の部屋を出て、練馬区の「はんの木緑地」を背にした家の2階に移ることにしました。 1995年11月にここへ越してきましたから、9年半ほど住んでいたことになります。ずっちはもうすぐ10歳、2回目の引っ越しです。 ここに住み続けていたのは、ずっちが憩っていたあのすばらしい野原があったからです。ところが、しばらく前に野原は潰されて、大きなマンションが建ってしまいました。猫たちが辛うじて自然

          ずっちともう一度

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          ヤネコとしてのずっち

          ヤネコとしてのずっち

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          ずっちの後をつけたこと

          2004年の夏になっていました。 その日はよく晴れていて、日差しが強かったのを覚えています。 午後のまだ早い時間でした。わたしは何か必要があって外へ出たんだと思います。とても暑かったので、自動販売機のコーラを買いに出たのかもしれません。 野原のほうに行くと、やや先をずっちが歩いていくのが見えました。声をかけようとして、ちょっとためらいました。なんだか急いでいるように見えたのです。 ずっちは迷いなく角を右に曲がり、通りに沿ってリズムよくトコトコと歩いて行きます。わたしは

          ずっちの後をつけたこと

          ずっちの空白

          さて、「ずっちのこと」は2003年に差し掛かったところです。ずっちと知り合ってから、はや8年が経とうとしています。 ずっちは相変わらずひとりで外へ出かけていき、その日かその次の日か、その次の次の日に帰ってくるようになりました。 わたしのほうは、大手出版社でフリーランスとして働くことになり、常勤で校正の仕事をするようになりました。新たな場所で、新たな出会いがあり、ずっちがいつ帰ってきたかわからなくなるほどの多忙と乱脈に陥り、そしてそのまま、病院の掻破台に上がることになりまし

          ずっちの空白