人の評価を気にしていても仕方ない
仕事の成果を代表とする「物事の評価」というものは、他人がするものです。これは他人の方が客観的にジャッジできるからと言われていますが、果たして本当にそうでしょうか?
たとえば木一本とっても、「素晴らしい形!」という人もいれば、「なんだか中途半端だなあ」っていう人もいると思います。
つまり、主観が入るんです。少なからず。
だったら他人の評価なんぞ、気にしなくていいじゃないと。
最近、いろんな本をみていたのですが、一貫しているのは「自分にベクトルを向ける」というものでした。
同じジャンルの本を読んでいるからと言われそうですが、著者は全部違いますし、全然関係ないジャンルでも同じようなことが言われています。
たとえばですが、心理学系の本では「他人の評価を気にしていても、それは自分でコントロールできるものではないし、気にしていても仕方ない」的な書かれ方をしています。
一方で、スポーツ選手やチームビルティングの本でも「他人と競ってしまうと、本来の目標を見失い、結局自分が何をやりたいのか、何を目指しているかが曇ってくる」というような言われ方をしています。
どちらも「評価は仕方ない。でもそれに囚われているようでは、自分の成長はないし、見識も広がらない」という結論であるような気がいます。
これは僕の浅い経験談から言っても、全く同じことが言えます。
学校のテストがいい例です。
「何点取れるか勝負しようぜ!」と友達と競っている時のテストって、なぜかいい点が取れないんですよね。
当時は理由がわからなかったですが、今なら「いや、目的は競うことじゃなくて、いい点を取ることだからじゃない?」とアドバイスできそうなものですが、結局論理的に考えることができないと、ベクトルが違うほうへ向いてしまうことが多々あるんです。人間は感情の生き物ですからね。
そういう意味でも、他人と自分を比較することにも意味がありません。
生活基盤も違えば、考え方も違う。もちろん、努力量も違うだろうし、目的も違う。
比較するというのはあくまで「同じ条件」でなければ意味がないんです。
加えて言いますと、比較することは、優劣をつけるということ。この優劣に気が取られていたら、本来目指しているものからはどんどん遠ざかっていきます。
ざっくりと「評価を気にしても仕方ない。目線は、ベクトルは自分に向ける」ということを書いてきました。
人と比べてもいいことはありません。
これはスポーツだろうが、ビジネスだろうが、勉強だろうが、全部一緒です。
だからこそ自分に集中、自分へ目線を向けていく。
ということを改めて肝に銘じて、今日も頑張っていきます。
だぴてぃ