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[戦え]俺たちの命の使い方[生きろ]

あんたはセーフティーネットなんつーよく分かるようなわからないような横文字を見たりするかい?

要するに憲法で決まっている「健康で文化的な最低限の生活」の保証ってやつだ。
何?日本語にした方がよくわからんって?
俺もそう思う。

国の法律の最上位に当たる憲法で「生きろ」と俺たちは言われているってわけだ。

そこにこんなニュースが飛び込んでくる。

ざっくりいうと「働けないってヒトが働けるって言ったら亡くなってしまった」ってことだな。

働けないから世の中に価値を提供出来ない以上はしかたない。
そんな意見もあるだろう。
働けなくても生まれた以上は死ぬまで生きる必要がある。
そんな意見もあるだろう。

なんとなく思い出したのが「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」での沖田十三のセリフだ。
「お前はまだ生きている。生きているじゃないか。命ある限り戦え」

このセリフには賛否両論があるのは知ってる。
俺としても「何と」戦えと沖田は言っているのかってのを今説明しろって言われても説明出来ない。

目の前のガトランティスの戦力と戦え。
それはわかる。
そうじゃなくて、戦ったあとは誰と戦えって話だ。

今回は生きることが戦いだとして、何のために戦うのかってのをガキンチョみたく考えてみる回だ。

まあ、オッサンのガキみたいな話にちっと付き合ってくれよ。


働くってこと

冒頭で紹介したニュースでは体調の問題で働けないと言うことで生活保護を受けていた人物が、「働く」と言う意思表示をして生活保護を打ち切って「もらった」って話って理解した。

そもそも「働ける」ってどう言う状態だ?
例えば、小学生の子どもが弁当の売り子をすることは可能か?
可能だけれどさせちゃいけないってのが今の日本のルールだ。

なぜか?

だって、教育を受けなければならないときに働かせてしまったら、受けるべき教育を受けられない。
その理屈は俺にも心底共感できる。

その上でだ。

子どもの頃に病気で満足な教育を受けられないような立場のヒトはどうなのか。

満足に教育を受けることなく社会に放り出されて「働け」と言う。
これってさ、何も病気だとか精神的な何かだとかって話に限らずにさ。

いるじゃん。
勉強出来ないやつ。
ってか、いたじゃん。

そういう奴らは「出来ない」を抱えたまま生きることになる。
親の金で大学まで出させてもらって、仕事につき、それで挫折して体を壊して俺が考える手段では立ち直ることが不可能だと確信しちまうやつが俺の知り合いにもいる。

それでも沖田十三は言う。
「命ある限り戦え」と。

俺たちが戦う敵

たぶんだよ。
ヒトが農業という手段を手に入れた瞬間に「財産」と言う考え方が出来上がった。

その財産ってのは直接食べられれる食料に限らない話に発展する。
土地、衣服、究極的には「情報」なんてものが財産になる。

沖田十三はそんな資産を守るために「ヒトと戦え」と言ったのか。
そうは考えたくない。
資産を奪い取るために「戦え」と言ったのか。
もっと考えたくない。

でも現実では資産を奪い奪われと言う「戦い」が現実として起きている。
戦争と言う物理攻撃を伴ったものだけじゃない。
仕事をしている以上は「Win-Winの関係」と言うまじないの言葉でオブラートに包みながら自らの利益を追求する。

それが資本主義だ。
それそのものは否定する理屈を俺は用意出来ない。

俺たちはなら、戦い続けろと言う沖田の言葉に従わざるを得ないのか。

状況と戦う

生きている限りヒトと戦え。
そんな意見は断じて受け入れることが出来ない。

冒頭のニュースで餓死にまで追い込まれた御仁をみると、働くと言う戦う手段を選択しようにも出来なかったってことに見える。

事実関係は断片情報だから分からない。
でも、仮にだ。

何の知識も得ることが出来ないって状況。
今の時代では「武器」をひとつも持っていない状況。

それをね。
親の経済状況によって決められるってのは、あまりに理不尽じゃないか。

力がないものは死ね。
それはわかる。
じゃあ、力あるものだけが生き残った修羅の国で俺たちは生きたいと思うか?

思わないじゃん。

優しく困っているヒトを助ける故郷が欲しいじゃん。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが「戦う」ことでその故郷は手に入ると思うかい?

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