権力と言論の自由

あんたも森東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の「問題発言」のニュースを聞いたかい?

男女差別だ、女性蔑視だと散々パラ叩かれている様子が連日報道されている。

終いにはEUのオリンピック委員会のヒトまでもが叩いてきている状態だ。

問題の発言は「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」ってやつなんだけれども、この発言の何が問題視されているのかってのは、ちょっと考えておいたほうがいいことだと思うんだよね。

今回は男女という課題について考えてみる回だ。

ちっとばかり、この難題について一緒に考えてみようや。

性差という現実

今の社会は完全に男性によって主導されている。これは紛れもない事実だ。

多くの意思決定が男性によってなされて、政策や事業方針が決まっていく。

そんな状況を踏まえて、女性議員からはこんな声も上がったりする。

女性目線がないと政策偏る
出典:上記サイト

まあ、よく聞く類の発言だよな。

でも待ち給えよ君(何目線?)

この発言をさ「男性目線がないと政策偏る」ってしたら、途端に多くのヒトのバッシングを受けるやつじゃんか?

それってどうなん?って思わんかい?

そう考えると、男性社会ってやつは女性についての発言を抑止する様に出来上がっているって事実が見えてくる。

コイツはちっと意識が必要な事実に見えるんだよな。

言論の自由

男性社会という状況が何らかの発言の自由を奪っているというのが事実だとして、言論の自由はどこ行ったって話になるような気がするよな。

表現ってのはどういう表現であっても、誰かの意見と対立することがありうる。
つまりは、どんな表現でもヘイトされる可能性ってのが必ずある。

今回の森会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」って発言はその最たる例だと思うんだよな。

俺自身はその発言の真偽は判断できない。
なにしろ男社会のど真ん中で生きているから、この「女性がたくさん入っている理事会」ってやつを経験していないしね。

森会長自身も、政界という男社会で生き延びてきたヒトだから、この「女性がたくさん入っている理事会」ってのは、彼自身の人生経験の中でも特異な状況だったんだと思う。

これは俺の想像に過ぎない話なんだけれども、女性が発言すると他の女性も発言を求めるというのって、シンプルに女性が話し好きって一般的な性質を持っているからってよりも、男性社会の中で女性が存在感を出すための生き残り戦略のような要素もあるんじゃないかとも思うんだ。

つまり、女性の発言を促しているのは男性社会そのものってわけだ。
なんだそのねじれた感じ。

つまり、本来は森会長の発言は森会長が認識している事実に対する表現なわけで、その事実認識を「表現してはいけない」ってのはシンプルに考えると言論の自由を抑止していることにならんかね?

権力と表現

でも事実として森会長は叩かれまくっている。

なぜ俺たちは森会長の「言論の自由」を奪うことを正義として感じているんだろうか?

おそらくは森会長が権力者だからなんじゃなかろうか?

多分、俺のようななんにも権力を持っていないオッサンが同じ発言をしてもなんも気にされない。
ところが森会長のような権力者の発言は現実的な「規制」だったり「差別」だったりを生み出す力を持っている。

今回のケースで言えば、理事会の女性比率を上げるためには時間の確保が必要だってことになり、ともすれば女性の社会進出は生産性を下げるという意見にもつながりかねない。

で、権力者がその意見を持っているってだけで、社会は忖度を始める。

発言こそ無いかもしれないが「ああ、そうだよなぁ」って思うヒトが確実に増える。

結果として男性社会は存続し、性差による生きにくさってものが継続されてしまう。

権力者の発言ってのは、そう言う制約条件を自動的につけられているってわけだ。

森会長は、今回の発言を理由には会長職を辞することはないって言っている。
彼はこの不自由な状況を甘んじて受け続けるということなんだろう。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは言論の自由と権力を天秤にかけたときに、どちらを選ぶと思う?

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